第112話

あの日のことはあまり覚えていません。

特に体に以上はありませんがなぜか昨日のことだけはどうしても思い出せない。

目が冷めた時は私は寮の部屋で寝ていましたし何か長い夢でも見たようなぼんやりした気分ではありましたがそれ以外変わったところは特にありませんでした。

でも…


「なんかとてつもなく酷い夢を見たような気がするのは確かなんだよね…」


今でも体に残っている微弱な慄き。

普段こういう感覚はあまり感じないため、きっと何か自分の意思に反する酷い目に遭う夢を見たのはなんとなく確信しています。

内容までは思い出せませんがあんな類の夢はもうごめんかも…


「目が覚めましたか?みもりちゃん。」


そしてそんな私のことを傍でずっと見守っていたのは


「ゆり…ちゃん…?」


一瞬ゆりちゃんに見えてしまったクリスちゃんでした。


暗紫色の長い髪の毛と金のブレスレットや耳飾りなどの派手やかなアクセサリー。

妖艶なお化粧に包まれた赤紫の不思議な目には私への優しさがいっぱい込められていてそれだけで私は一瞬で大切な幼馴染の女の子を思い出してしまう。

ほんのりした甘みの笑みで目覚めのおはようの挨拶をしてくれるその褐色の肌を持った「魔界王家」のお姫様はただそうやって私のことを見つめていました。


「ごめん…クリスちゃん…ちょっと見間違えちゃった…」

「ううん。無理もないですよ。急に倒れましたもの。」


私が覚えていない私の一日のことを代わりに話してくれるクリスちゃんの話。

でも記憶がないせいのなのか私にはあまりピンとこなかったのです。


「みもりちゃん、急に体調が悪くなってそのまま保健室まで運ばれたんです。授業も全部休んで。」

「そうか…」


こりゃ皆勤はもうもう無理かなって思われる瞬間。

去年あの家に連れて行かれて中学校の皆勤賞はもらえませんでしたから高校こそ必ずもらってやるって決めていたのにいきなり体調不良だなんて。

拍子抜けした気分ではありますがまあ、もう起こったことは仕方がないでしょう。


「でもみもりちゃんは可愛いですから。それさえあれば世間はみもりちゃんの価値を知ってくれるはずです。」

「全然慰めになってないんだけど…でもありがとう…」


なんかゆりちゃんみたいな慰め方をするな…クリスちゃんって…

ってゆりちゃん…?


「そ…そういえばゆりちゃんは…?」


っと目覚めばかりに早速ゆりちゃんのことから探し始める私。

そんな私にクリスちゃんは隣のベッドを目配せしながら


「ちゃんとここにいます。もう寝ているんですが。」


ぐっすり寝ているゆりちゃんのことを私に確かめさせてくれました。


安心できる自然のような和やかな栗色の髪。

その中に包まれてスピィっとした心地よい呼吸音。

私は私が愛しているその姿のままで隣のベッドで眠っているゆりちゃんを見てまた自分の日常が守られたという安堵感に胸をなでおろしました。


「緑山さん、すごく心配してました。みもりちゃんが目を覚ますまではここから離れないって言って。」

「そ…そうなんだ…」


今のクリスちゃんの話、ちょっと安心しちゃったかも…


あの日、赤城さんとかな先輩の仲直りさせる作戦の途中、喧嘩をやってしまった私達。

それ以来、ゆりちゃんは私のことを全然相手してくれなくて私は地味に寂しい思いをしてきました。

もしこのままいつまでも相手してくれなかったらどうしようって心配になったのも恥ずかしいながらも確かな事実なんですが今のクリスちゃんの言葉で私は改めてゆりちゃんの優しさに気づくことができたのです。

いくら喧嘩なんかしてもゆりちゃんはいつだって私のことを大切にしてくれるんだなって思われて。


そんな私の気持ちが分かるようにクリスちゃんはそっと私の手を握って


「緑山さんが起きたらちゃんとごめんなさいって言ってください。本当はみもりちゃんだってあんな酷いことを言ってしまったことをすごく後悔したって自分の心をちゃんと打ち明けたらきっと緑山さんだって許してくれるはずです。

もしかするとむしろ緑山さんの方こそみもりちゃんと仲直りしたいと思っているかも知れません。」


っと私達の和解を心から願ってくれました。

その手から伝わってくる偽りのない温かい優しさに心が解れてきた私は


「うん!私、ちゃんと謝るから!」


必ずそうしてみせるとクリスちゃんと約束しました。


「それでは夜も更けたことですし私はそろそろ自分の部屋に戻りますね。

おやすみなさい、みもりちゃん。お大事に。」

「お…おやすみ…!クリスちゃん…!今日はありがとう…!」


目覚めた私の健康に異常がないということを確認して自分の部屋に戻ろうとするクリスちゃんとそんなクリスちゃんにお礼を言う私。

明日学校で会おうというクリスちゃんの言葉が本当に嬉しくなる夜の一時でした。


「クリスちゃんって本当にいい子なんだね。」


部屋のあっちこっちにまだかすかに残されているクリスちゃんの残香。

今までも嗅いだことがないその甘くて異国的な香りに私はもう一度私の大切な友達のことを感じることができたのです。


「ゆりちゃんにも分かってもらえると本当に嬉しいんだけどな。」


まだ眠気にふらついている体をなんとか引き起こして隣のゆりちゃんのベッドまで運んだ私はそうつぶやきながら眠っているゆりちゃんの頭をなでつける。

サラサラで艶やかさのいいきれいな髪に不思議に気持ちが和んでくる。

私は息を潜めてぐっすりと眠っている大切な幼馴染のことをただひたすら愛しく想っていました。


「起きたらちゃんと言うね?ゆりちゃん。あの時、あんな酷いことを言って本当にごめんなさいって。私、ゆりちゃんのことが大好きなのにあんな言葉で傷つけて本当にごめん。」


そして後でちゃんと自分の心の言葉が話せるように予め自分の気持ちを確かめておく。

私はあの時、ゆりちゃんに勝手に自分の保護者になった気になられるのは困るって言ったことを心から後悔していました。


「だから怒ってもいいからまた一緒にいて欲しい。私、やっぱりゆりちゃんがいないと寂しいから。」


っとその隣で横になってゆりちゃんを起こさない程の小さな声でもう少し自分の本心を出す練習をする私。

ゆりちゃんの甘くてくすぐったい息が自分の鼻に届くほど顔を近づけて私は何度も何度も自分の心をより確かめる練習を繰り返しました。

今ではなくてもゆりちゃんならきっとこの想いを受け止めてくれると私は信じて


「ゆりちゃん…大好き…」


そっとその側で眠りにつくようになりました。


***


みもりちゃんの寝顔。こんなに近くから見られたのがいつぶりなんでしょう。

長いまつげ。餅のような柔らかく、ハリ感のある色白。

漆黒の帳のように全身にまとわれた黒髪にはこの世の全ての輝きが鏤められ、神話から飛び出てきたとある魔法使いが使っていた魔術礼装のように神秘的で美しい。

触れ合った鼻から伝わってくる生暖かい息には甘しょっぱい愛情がいっぱい込められていてただ一息が思考が停止されそう。


「ゆり…ちゃん…」


そして私の名前を小さな声でつぶやくそのきれいな唇が見られた時、


「い…いけません…つい…」


私は危うくあなたのことを襲いかかるところでした。


世界の至宝。

私が道に迷ってさまよっていても夜空で必ず私の進むべきの道を示してくれる私だけの北極星。

私が私でいられるように私の心を支えてくれる私だけの小宇宙。

そんなあなたのことをこの私、「緑山みどりやま百合ゆり」は身も心も捧げて全身全霊で愛していました。


「優しいみもりちゃん…あなたは相変わらず私のことを好きって言ってくれるんですね…」


愛しいあなた。大切なあなた。

あなたのその言葉に私は何度も救われてきましたが


「でもあの女はダメです…あの女だけは…」


どうやら私の心はあなたの望みを叶えてあげる気は全くなさそうです。


薬の効果が強すぎたせいか、それとも初めての快感で理性がふっとばされてしまったがあなたの記憶に多少の不具合が発生するようになりました。

あなたには今日の出来事に関する記憶が一切残されず、その断片すら存在しないようです。

でも私はまだはっきりと覚えています。


あなたを外部の人の手まで借りてあの家に運んでもらったこと、あなたの喘ぎ声、あなたの絶頂の時の姿、興奮した時の匂い、何もかも全部覚えています。

鼻を突く体液の匂い、耳を鳴らす善がり声、あなたの震える体も、私の顔に飛び込んだ愛の蜜の色も味も全部この頭に鮮明と残っています。

その時、私が感じたのはただひたすらの高ぶり、胸がいっぱいになるあなたとの愛情がようやく実を結ぶという達成感と満足感、そして幸福だったのです。

あのままずっと時間が止まればと本気で心で願い続けていたほどこのゆりは大変幸せでした。


「これが終わったらついにあなたはこのゆりのもの。私達はずっと一緒なんです。」


っとあなたとの輝かしくて幸福に満ちた未来を描いたはずの私が途中から熱すぎになった理由。

なるほど、あの女が家に潜り込んでいたからでしたね。

あの女が私からの躾けを受けていたみもりちゃんを見て興奮したばかりで私が一時的に我を忘れてしまったということですか。

夢魔に関してはそれなりの知識がありますからなんとなく事情が分かるようになりました。


普通に忍び込まれたら気づけたのでしょう。

でもあの女は曲がりなりにもあらゆる魔術に精通している「夢魔サキュバス」。

しかもあの「魔界王家」の「太陽王」の血を引き継いだ正真正銘「ファラオ」ですから。

きっと何か魔術的な技で私から悟られたなかったに間違いまりません。

それにはいささか自分への不甲斐なさを感じてしまうのですが今になってはまあ、どうでもいいでしょう。

結局肝心なのは私のヘマで私をまたあの女に取られてしまったということですから。


でもゆりはめげても、へこんでもしません。

過ちを反省してこれをバネにして今後の礎にする。

一度失敗してからあなたのゆりは強くなるんですから♥


しかしよく入られたものです。あの家にはあの方からの結界が張られていて並々の力では捕捉することすらできない。

ああ見ても一応「事象能力」の結界ですしさすがの魔界の「ファラオ」って言ったところなんでしょうか。


「別にあなたなんかに言われるまでも…」


あの女にあんなことを言われる筋合いはありません。

私はみもりちゃんとちゃんと仲直りして元の仲良しの二人に戻ります。

そのために邪魔なものは全部自分から排除してやるという覚悟が私にはできていて彼女こそ今一番の邪魔者だと私はそう決めつけています。

何と言っても私とみもりちゃんは心が通じ合っている相思相愛の仲ですから。


「なのにあなたはどうしてあんな風に言えるんですか…」


でも先のみもりちゃんとあの女との会話を思い出しながら悩みにもがいている私はますます彼女のことが分からなくなってしまいました。


別に寝ていたわけではありませんでした。

ただ寝たフリをして少しでもあの女の本音を探ろうとしただけです。

でもまさかあんな嘘まで付いてくれるとは…

そのおかげでみもりちゃんから余計に嫌われずにすみましたがそれ以上、あの女の本当の狙いが一体何なのか分からなくなったのです。


私は急に気を失って学校に連れ戻されたことまでしっかり覚えています。


「大丈夫なのか?怪我とかしてねぇよな?」


寮長の紫村さんの声。

この人が出たらもうこれ以上進めるのは無理でしょうと判断した私はここは一応気切したふりをしてこの場を凌ぐことにしました。


「はい。意識と無意識を入れ替え、つまり無意識の反転による眠りに落ちただけですから。

まあ、緑山さんほどの強い精神力ならもうすぐ目を覚ますはずですが。」


なるほど。いきなりとてつもない眠気を感じたのはやはりあなたの能力だったんですか。


そう思ったら凄まじい敵意を感じる私でしたが


「私はみもりちゃんにも、緑山さんにも悲しい思いはしないで欲しいだけです。」


そればかりはどうしても理解できませんでした。


「だから今回のことはなかったことにしていただけないのでしょうか、部長。緑山さんには明日から通常通り学校へ行ってもらいたいです。」

「まあ、お前がそういうのならそれでも構わねぇだけど。」


っと今後の私の仕打ちのことを全的にあの女に委ねた「Scum美化部」の部長「紫村しむらさき」寮長は


「部屋までちゃんと運んでおけ。分かってはいると思うがくれぐれもこのことについては口外無用でな。」

「はい。任せてください。」


あの女に後片付けまで任せてそのまま部屋から出たのです。


「よいしょっと。」


っと以外に軽々しく私のことを背負う彼女。

お姫様だから絶対無理とかすぐ弱音を吐くと思いましたが案外そうでもなさそうです。

まあ、あの「Scum」で生徒の保護活動をやっている人だからこれくらい当然でしょうか。

嫌な仕事は全部他の人に押し付けるワガママのお姫様ってわけではないようですね…


「その方が嫌うのに楽なのに…」


そう呟いた私はそっと目を閉じて部屋まで運ばれるだけだったのです。


甘くて艶めかしい香り。

背中からしたその匂いはみもりちゃんの匂いの次と言ってもいいほどなかなか強烈な匂いで決して気に入る香りではなかったのですが


「大丈夫ですよ、緑山さん。あなたも、みもりちゃんも全部私が支えてみますから。」


背中から聞いたその話はそんなに嫌な気分ではなかったとふと私はそう思いました。


「以外にお尻大きいですね、緑山さん。元気な赤ちゃんが産めそうです。」


でもその言葉だけはどうしても聞き捨てにはなりませんでした。


部屋に戻ったベッドの上に寝かせられた後、私は思いました。


「何もかも全部見ていたくせによくあんな風に言えるものですね…それも自分のためではなくもっぱら私のため…」


つくづく嫌な女…

ですが認めたくないが彼女の無事に今回のことがもみ消されたのもまたの事実。

私はほんの少しだけ彼女の貢献に感謝の念を抱くようになりました。


でもそれも私にとってはただ気障な偽善。

私はそれでもあの女のことが憎くていやみったらしくて仕方がなかったのです。


嫌な理由は唯一つ。

みもりちゃんとずっと一緒だった私だからこそ味わうことができたたった一度の敗北。

彼女はきっと覚えてないはずですが私はまだあの日の屈辱を忘れていません。


「みもりちゃんを笑わせるのも、悲しませるのも、幸せにできるのも全部私だけに許された行為…

あなたなんかに奪われて堪るものですか…」


時間が過ぎた今にも胸の底で獰猛に暴れている嫉妬というの名前の獣。

私はもう何年もこの野獣を自分の心で飼っていました。


「いくら頑張ってやはりここだと私とみもりちゃんだけの「楽園」はこない…」


でも私はまだその獣を自分の手で飼い慣らしてない、むしろまだまだ引きずり回されているばかりでした。


「待っているだけでは楽園はこない…というわけですか。」


私は相変わらず「嫉妬の奴隷」でした。

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