紅い薔薇を手折るなかれ

緋雪

第1話 

 6月、昨日からやっと2日連続の晴れた空が、すっかり地面を乾かしていた。気温は高めでも乾燥しているだけで涼しく感じる。


 非常階段の隅っこの壁にもたれて、彼女は小さく座っていた。瞳は涙で潤み、どこか遠くを見つめている。


 紫苑しおんもまた、姿勢を変えることなく、その近くの渡り廊下で風を感じながら、外をぼーっと眺めていた。彼女の存在には、ついさっき気付いたけれど、気付かれたくないんだろうな、と思って無視していた。


 綺麗な子だった。色白でストレートの茶色っぽい長い髪。華奢という言葉はこの子のためにあるのではないかというくらい、儚げな子だった。


「紫苑せんぱ〜い! こんなとこにいたんだ〜。一緒にお弁当食べようって約束したじゃないですかぁ!」

 同じ部活の後輩、桃香ももかが呼びに来た。紫苑は咄嗟に、非常階段の子が見つからぬように、自ら桃香の方へ歩いて行った。

 非常階段の子に、自分が見ていたことを知られてしまったかもしれない。だけど、彼女の方を見ていたわけではない。偶然そこに居合わせただけで、彼女には気付いてなかったと、そう思ってくれていることを願った。


 紫苑には、知られるわけにはいかないことがあったから。


「紫苑先輩、おそ〜い。どこにいたんですかぁ?」

 1年生の菜々ななが膨れっ面をする。

「ごめんごめん。ちょっと考え事してた」

 紫苑は誤魔化す。

「まあいいじゃん。食べよ」

「あっ、先輩、これ、あたし作った卵サンドなんですよ」

「あ! 何それ、有希ゆうき、抜けがけじゃん!」

 多恵たえが怒る。

「あ、先輩、あたしのチキンソテー貰って下さい!」

 負けずに菜々が参加した。 

 紫苑は苦笑いだ。

「そんなに貰うと、太っちゃうから。ありがと。気持ちだけ貰っとくよ」

 後輩たちにニコッと笑いかけると、彼女たちは一斉に黄色い声をあげた。


 そんなこと、「女子校じゃ、よくあることよ」って従姉いとこ紗和さわは笑った。けど、うち、共学なんだよなあ。紫苑は苦笑いしながら頭をかく。


「よ、紫苑、また後輩ちゃんたちとランチしてたの?」

 中学からの友達、堀江ほりえ優磨ゆうまが笑う。

「笑い事にするけどさあ……」

「いいじゃん、モテて」

「あたし、女だよ? ……多分」

「多分、な」

「女の顔して、女の身体で、女の恰好をしているんだけどなあ」

「バスケ部の副キャプテンやってて、そんだけ背が高くて、頼れるお姉様だもんな。イケメンだし」

「なんだよ、イケメンって」

 紫苑も笑った。


 浅葱あさぎ紫苑しおん。高校3年生。18歳。バスケ部元副部長(3年生は引退している)、毎年、県大会優勝まではいくくらいのレベルだったが、紫苑は勉強もおろそかにはしていない。常にトップクラスの成績だった。小学校の頃からバスケをやっているからか、身長が175cmある。まあ、バスケ部には、もっと背の高い子もいるし、平均的にみんな背が高いので、部活をしている時は、あまり目立たない。が、他の女の子たちの中に入ると、やはり頭一つ分くらい違う子もいるので、目立っていた。

 顔立ちが整っていて、少し中性的な感じなのもあってか、顔と背の高さ、人柄と人付き合いの良さで、男女問わずモテていた。特に後輩たちはファンクラブのようなものを作っていて、今日のように、時々昼休みにランチに誘われるのだった。


「それにしてもあの子……あんな子、この学校にいたかな……」

 午後の授業が始まるので、自分の席に戻って、紫苑は彼女のことを思い出す。非常階段で小さくなって泣いていた子。とても儚く消えてしまいそうな綺麗な子。


 紫苑は、その子のことが、ずっと気になっていた。

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