フォーム

 ジムで今日はオフのはずである佐々木がランニングマシーンを利用しているのを見て、鈴は声をかけた。

「佐々木さん、何やってるんですか?」

 モーター音に負けないよう声を張る。

「見て分かんないのか?」

 鈴は溜め息を吐く。

「勝手にトレーニングするのはやめてください」

「まあ、走るだけなら文句はないと思ったんだが」

「……走り込みのレベルによりますけどね。脚のトレーニングを見直さなくてはいけませんよ」

「そうか。なら、怒ってるのか?」

「いえ、別に。27日が最後のトレーニングですから」

「ああ」

「自主練はほどほどにしてくださいよ。というか年末年始はじっくり休んでくださいね」

 鈴はその場を去ろうとした時、

「なあ、前にフォームを変えてみないかって言ってたよな」

「はい」

「それ詳しく教えてくれないか?」

「どうして?」

 佐々木は停止ボタンを押して、ランニングマシーンを止める。

 モーター音が小さくなり、佐々木は早歩きからゆっくりとした足取りになり、そして立ち止まった。

 その後、話があるということでリクライニングエリアに移動した。

 佐々木は椅子に座り、ミネラルウォーターのペットボトルを開けて一口飲む。

 そして、

「俺のルーティンを知ってるよな」

「はい」

 佐々木にはバッターボックスに入ってからお決まりの動きがある。

「えっと、今まで通りの成績を維持するためのやつですよね?」

「ああ。……でもよ。俺ももう歳だ。最後は成績もめちゃくちゃだったしよ。その状態で現状維持のようなルーティンは意味ないだろ?」

 確かにそうだろう。今を維持するということは伸び代をなくすということ。

「正直引退間近なんだ。だったら、最後くらいはフォームを変えてもいいかなって思ってな」

「それならなぜあの時は?」

「こういうのはすぐに答えを出さないものさ」

「はあ」

 鈴は首を傾げた。

「あっ! でも梅原さんは反対しているので……」

「あいつには俺から言っとくよ」


  ◯


 後日、鈴と小春は小会議室にて佐々木達に新しいフォーム案について説明することになった。

 佐々木はきちんと梅原に話をつけたらしい。

 けれど梅原の顔はまだ不満の色があった。

「バッターが足を上げるのはなぜか知ってますか?」

 鈴は問う。

「体重移動だろ」

 梅原は何を今更みたいに言う。

「フォームを変える気はありませんか?」

「どう変える気だ?」

「梅原さんはミート。佐々木さんはパワーを重視にフォームを変えましょう」

「具体的に?」

「梅原さんは足を上げるのをやめましょう。足上げはブレを生じます。ですのでミート打ちには合いません」

「ならどうしろと?」

 指でテーブルをトントンと叩く。

「ヒールダウンのフライングエルボーです」

 画面に映像が流れる。

 鈴はパワーポインターを使って、バッターの左足を示す。

「まず、これがヒールダウンです」

 そのバッターは左足を裏返し、つま先を地面に、足の裏をピッチャー側に向けている。

「そして右脇を見て下さい」

 通常、脇を閉めるのだが、映像のバッターは開いていた。

「これがフライングエルボーです」

 そして再生ボタンを押すとバッターのスイング映像が流れる。

「この打ち方は体重移動はありませんが、頭のブレもなく、きっちり球を当てることができます」

「ふうん」

「フライボール革命を知っていますか?」

「あれだろ? フライ狙いの方がヒット率が高いとか?」

「はい。どんどん上へ飛ばしましょう。梅原さんはパワーもありますし、フライングエルボーなら高く飛びます!」

「……そうか。ま、試しにやってみるか」

「では、次に佐々木さんは足を上げましょう」

 鈴は佐々木の新フォーム説明へと移った。

「ミート力とスイングスピード、選球眼があるので力があればヒットになります」

「で、ステップ打法と?」

 鈴は頷いた。

「足上げは体重を乗せることができますので、より飛距離が上がるかと。もちろん、絶対に変えろとは言いません。ただ、最初は少しだけでも構いません」

「おいおい、俺のには映像はないのか?」

「普通の打ち方ですのでありません。必要でしたか?」

「まあ、いいけど」


  ◯


「このでかい団扇は?」

 梅原は団扇を持って小春に聞く。

 その梅原の持つ団扇は縦180横100の巨大団扇。イラストも何もない無骨な団扇。

「これをおもいっきり振ることでスイングスピードが上がります」

「うーん。それなら鉄バットの方が良くないか」

 梅原のいう鉄バットは中身のある金属バットのこと。

 実は金属バットの中は空洞である。

 そして中身のある鉄バットは中も鉄がぎっしりと詰まったもの。

「駄目です。あれだと肩や肘、手首に負担がかかります」

 梅原は巨大団扇を楽々と振るが風の抵抗が大きいのかスイングスピードは遅かった。

「今日は丸一日これを振り続けて下さい」

「……ああ」

 梅原は不服そうに言う。


  ◯


「懐かしいな」

 佐々木はタイヤを見て苦笑した。

 タイヤと言っても車のではなく、ブルドーザークラスのゴツゴツしたデカイタイヤだ。

 それが今、台の上に固定され立てられている。

「経験がおありで?」

「まあね。小坊の頃にバッティング練習でやらされたよ。古き練習だな」

 佐々木はぽんぽんとタイヤを叩く。

 なら、説明は不要ですね。強く当てるではなく、強く押すを大切に。

「これ役に立つのか? 昔の練習って実は役に立たないのが多いだろ? 例えばうさぎ飛びとか?」

「うさぎ飛びは絶対NGです。あれは腿の軟骨を骨折されるのと膝の靭帯を切るだけですから」

「へえ。昔の漫画やアニメだったら、これを地面に倒して紐をつけて、それを腰に巻きつけてウサギ飛びってのがあったんだぜ」

「駄目ですからね絶対。懐かしくてもやってはいけませんからね」

「分かってるよ。それじゃあ、いっちょやるか!」

 佐々木はバットを構え、タイヤに向けバットを振る。

 バン!


  ◯


 壁にボードが掛けられている。そのボードにはボタンが75個等間隔に配置されている。ボードの幅は両手をいっぱいに広げたサイズ。高さは170センチ。

「これがトレーニング?」という梅原の問いに佐々木が、「反射トレーニングだろ」と答える。

「佐々木さんはやはり知ってますよね」

「どういうことだ?」

「この反射トレーニングは佐々木さんが有名にさせたんですよ」

「なんか俺の記録が非公式だが日本記録とかでな」

「へえ、それはすごい」

「と言ってもすぐに記録は抜かれたけどな」

「いえいえ、数多くの著名なスポーツマンが挑戦しては佐々木さんの記録に敗れたじゃないですか」

「反射がよくてもな」

 佐々木は苦笑した。

「で、どういうトレーニングなんだ?」

 挑戦してみたくて梅原はうずうずしていた。

「簡単ですよ。一分間にランダムに光ったボタンを押すだけです」

「それだけ?」

「はい。では、やってみましょうか」

 まずは梅原から挑戦することになった。

「よっ、ほっ、……っと、おっと……」

 梅原は両手を広げて光るボタンを見つけては押していく。

「はい、終了です」

 ボード上部のスコア版に梅原が押したボタンの数が表示される。

「53」

「それってすごいのか?」

「普通ですね」

「じゃあ佐々木さんはもっとすごい数字を?」

「プレッシャーをかけないでくれよ」

 次に佐々木が挑戦する。

『おお!』

 鈴と梅原は声を上げた。

 佐々木は次々と光るボタンを素早く押していく。

 まるで光った瞬間に。

 反射トレーニングは動きは簡単だが、これがなかなか光るボタンを探せず、もたつくことが多い。

 しかし、佐々木は全くもたつくことなく光った瞬間に手が動き押している。

 結果は──。

「81です」

「速いですね」

 梅原が褒めるも佐々木の顔は渋い。

「どうしたんですか?」

「いや、前より低くてな」

「ええ! 前より低いって、それじゃあ前のスコアはどれくらいだったんですか?」

「93だ」


 ◯


「では最後に新しいフォームを使ったバッティング練習です」

 今、4人はバッティングルーム前にきている。

「新フォームの素振りは済ませていますよね?」

「ああ」、「まあ……な」

 梅原の返事はぶっきらぼうだった。

 まだ新フォームについて難色のようだ。

「えー、では、バッティングルームへ入って練習をお願いします」

 梅原はバッティングルームに入る前に、

「もしあまり成果がないなら前のフォームに戻すがいいな?」

「はい」

 結局、どのフォームを使うかは最終的には本人の意思次第だ。

 強制はできない。

 そして梅原はバッティングルームに入った。


  ◯


「感触はどうでしたか?」

 バッティング練習が終わり、鈴は二人に聞く。

「まだなんとも」

 梅原が愛想なく答える。そして更衣室に向かった。

「俺は昔に戻った気分だよ」

 佐々木は苦笑いで答える。

「昔はステップを?」

「そりゃあ、足を上げてたよ。足を上げなくなったのはメジャーに行った頃かな?」

 そして佐々木は更衣室に向かう。

 小春が鈴のもとにやった来て、

「メジャーから内野安打でしたよね」

「うん。左打者だからかな?」

 左打者は一塁に近い。内野安打にもなりやすい。

「ステップだと内野安打も難しくなりそうね」

 鈴は額を人差し指でぐりぐりと押す。

「いいんじゃないですか? 今では内野安打も厳しいんだから」

「あはは、厳しいね」

「はい。歳も歳ですからね」

(いや、君が厳しいなという意味なんだけど)

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