第5話:誘い





多嘉子と共に過ごす時間は、あっという間だ。

ついこの間この国に来たと思えば、はや半年以上が経過していた。

暑い季節も過ぎ去って、冷たい風のところどころに、赤い葉が舞うようになった。


あれから彼女には、格闘やアウラ術などと並行して、剣術や槍術も指南してもらっている。

彼女曰く、俺のような覚えの悪い奴ほどそそられるらしい。


ハーマスで剣術を習っていたときから薄々解ってはいたのだが、俺は武術そちらの方は全く成長が見込めないようだ。何度向かっていっても、一撃で隙を突かれて剣を弾き飛ばされるか、派手に一発叩き込まれるかのどちらかだ。


もちろん防具なんぞ無しで、アウラも使ってのチャンバラなのだ。一発でも喰らえば即ブラックアウト。剣の修行をしてたと思って気づいたらベッドの上でした、なんてことが何度あったことか。


めいっぱい体を使って疲れたあとは、彼女の作る美味い昼飯を腹いっぱい食い、午後には学問の教えを請いつつ、ときたま街へ買い物などに行くこともある。そしてその度に、見たこともない奇妙な野菜の数々や、長い棚にずらりと並んだ調味料に驚かされるのである。



牛乳に漬けた甘い穀類で軽い朝食を済ませると、今日も修行という名の暴行を加えられるために庭に出る。

こんなことをしていたら、それこそケイサツに見つかってしまいそうだが、うっそうと茂った森の中にあるうえに、この家全体が視覚聴覚妨害の結界に覆われていることもあって、魔力の使えないこの世界の人間に見つかることはない。例え魔術師の類に気づかれたところで、最弱の魔女が、最弱以下の男と殴り合っているだけの光景だ。気に留めることもないだろうとのこと。


彼女は今日も、肩幅より少し広いスタンスを斜にとり、木剣を左手に持って奥手に構え、力を抜いた右手を前方に構える。


「さあ、撃ってきな。」


彼女はいつものセリフを放ち、全身にアウラをまとう。それに気圧されまいと俺も全身にアウラをまとい、彼女の構えを真似て立つ。

点対称を描く俺たちは、何ともつかない合図を起点に、一直線に接近して衝突する。


彼女は、刀身を体で隠すような姿勢をとり、半身で突っ込んでくる。そしてリーチに入ったと見るや否や、ランダムな角度から木剣がいきなり姿を表し、不可避の初撃を繰り出す。

だが、俺とてそれを無様に食うほど阿呆ではない。俺は、上段に振りかぶった木剣にスタームをかけ、柄を前にして射出する。

まさか、剣を振り下ろさんとする姿勢から、そのままの向きで剣が矢のように飛んでくるとは誰も思うまい。

彼女の剣はその軌道を逸らし、俺の木剣を打ち払うに留まった。


そして、尋常でない彼女の移動速度が、ここで災いする。俺の木剣を弾き飛ばした頃には、彼女は素手で届くほどに、俺に接近してしまっていた。当然、この機を俺が逃すはずはない。


「【ヴォル】!!!!」


俺の叫びに呼応し、半径数メートルが熱球に覆われる。落ち葉が散り散りになって火の粉に変わり、生じた爆風が地面をえぐる。


これなら避けられまいと思ったのも束の間、多嘉子の姿がないことに気づく。辺りを見回したが、敵影を捉える間もなく次の瞬間、体が全く抵抗なくふわりと浮いた。そして、猛烈な勢いで前方の樹木に向かって加速した。


すさまじい空気抵抗が顔面を打つ中、俺は必死にアウラを体の前面から絞り出し、樹木への直接衝突を免れた。

すると今度は、一気に下に振り落とされる。俺は再びアウラを放出し、落下傘のように柔らかに着地する。

だが、足が地面につく前に、俺の脇腹に衝撃と激痛が走る。


俺はその勢いのままに地面に叩きつけられ、二、三回咳き込むと脇腹に目をやった。

すると、近くに木剣が落ちていた。おそらく先程俺が彼女に発射したものだ。投げ返されて、それが脇腹に直撃したのだろう。なるほど、俺を空中に放り出したのは、この攻撃の回避を難しくするためか。


焼けるように疼く脇腹を強く押さえながら、隠れているであろう多嘉子の気配を探る。


俺は、アウラの放出を完全に止め、息を整えて感覚を研ぎ澄ます。すると、斜め後ろから微弱なアウラが感じ取れた。

俺がそちらに目を向けるや否や、凄まじい勢いで何か小さなものが飛んできた。スタームで加速された小石だった。しかし俺のアウラの放出が一瞬早かったのが幸いし、飛んできた小石はアウラに当たって砕けた。

そのまま、流れるようにアウラを背中に回し、後ろから俺を襲う鋭い蹴りを受け止める。


「へえ。よく分かったじゃんか。」


そう言って感心する多嘉子の足を押し戻しながら俺は答えた。


「ああ。貴方は魔法があまり得意ではなさそうだからな。あれは攻撃というより、囮か目眩しと考えた方が適当だろう。」


そしてそのまま肉弾戦にもつれ込み、案の定、今日も一発KOを頂いたのだった。




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夕食を終え、食器を片付ける。

食器用の石鹸のようなものだと言って渡された柔らかい瓶を押すと、ねっとりとした緑色の液体が出てくる。皿洗いのたびに使っているが、スライムの死骸のようでどうも好かない。


洗った皿を拭き終えて、いつもの如く緑色の茶を片手に語らっていると、コンコンと硬いものが窓を突く音が聞こえた。


俺は、それを聞いた多嘉子が一瞬焦ったような顔になるのを見逃さなかった。彼女は平静を装って窓を開け、窓枠にとまっていた一羽のカラスを中に招き入れた。何かに緊張しているのか、窓の鍵をかける彼女の手の動きが悪い。


カラスは、足につけた手紙を嘴で器用につまんで取ると、それを多嘉子に渡し、自分は近くにあったハンガーラックに我が物顔でとまって羽繕いを始めた。


彼女は終始、緊張した面持ちでそれを読んでいた。当然俺が内容について聞いても、何も答えてはくれない。彼女は手紙を読み終わると、ヴォルを唱えて燃やして捨てた。


「...何だったのだ。」


俺が聞いても、多嘉子はかなりの緊張とわずかな恐怖を孕んだ目のまま、


「ちょっと、上司から呼び出しがかかっただけだ。明日は一日留守にするから、家で番をしててくれないか。」


と、一言言うのみだった。


それ以降、俺が何を言っても彼女は全く反応せず、風呂から上がるとさっさと寝室に移ってしまった。

寝室に入っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、俺は、一種の焦燥に駆られる。...分からない。この感情がどういうものを表すのか、俺は知らない。





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女が三人、平原に生えた大きなミズナラの木の木漏れ日の中、茶を啜っていた。


真っ黒に染め上げられたボロボロのマントを羽織った無表情な黒髪の女、胸と下腹部だけを覆った、黒い水着のようなものだけを身につけている強気な顔の金髪の女、そして、腰上までの長いスリットの入った黒い長衣を身につけたおとなしそうな白い髪の女。

各々、黒く小さなティーカップを傾け、小さなティーポットとこじんまりしたクッキーの籠を囲んで、少ない言葉を交わす。


「もうすぐ時間だけど、来ないね、あいつ。」


黒髪黒マントの女が、カップの紅茶を飲み干して言った。金髪の女が、空になったカップを指に引っ掛けてくるくる回しながら答える。


「アイツのことだ、ビビってんじゃねえの?アイツ見た目は強気なくせに、その実弱虫だからな。...あああ、酒飲みてえーー!!」


手足を投げ出してわめく金髪女を、さらにその横の白髪の女が、クッキーを頬張りながら嗜める。


「行儀悪いですよ、イスラ。あなた、ただでさえ服装が淫らなんですから。」


「ハッ、パンツすら穿いてねえテメエに言われる筋合いねえな。」


「ごふっ!!??」


白い髪の女は、腰あたりを押さえながらクッキーの破片にむせ返る。


「べ、別にいいじゃないですか!!!隠してるものが一枚だけっていう点では、私たち全員同義じゃないですか!!!」


「ダーマ。私まで巻き込まないで。」


「ノーサン!!自分だけ逃げようとしないでくださいよ!貴女だって、その黒マントの下は殆ど裸のくせに!!何ですか!?露出狂なんですか!?」


先程までの重苦しい空気が嘘のように、途端にキャアキャア騒ぎ出した三人。

するとそこに、低い声で冷ややかに呼びかける者があった。


「またやってるよ。トップ三人がこうも下品では、魔女の品格が損なわれるんじゃないんですか、先輩。」


すると、戯れていた女たちはすぐに先程の厳かな雰囲気に戻り、声のする方に目をやった。


「ああ、来たんだね。タカコちゃん。」


名を呼ばれた多嘉子は、手を強く握り締めながら問う。


「...なんだって、今更アタシなんか呼び出したんだ。もう用はないだろう。」


すると、水着の金髪女が意地の悪い笑みを浮かべて彼女に近寄り、


「まーまー、そんなツンケンすんなって。それよか、可愛いお弟子さんがついてきてるぜ?いい加減気づいてやんなよ。」


「なっ!!??」


多嘉子が慌てて後ろを振り向くと、「ハア」という若干の諦観を含んだため息と共に、少し離れたところの空間がぐにゃっと歪み、そこから一人の男が現れた。


「多嘉子の上司というだけあって、無駄骨だとは分かってはいたが...、こうも簡単に見破られては、さすがに俺とて傷つくぞ?」


ぽりぽりと頭を掻きながらゆっくりと多嘉子たちに歩み寄るその男、ミランガ。

彼を見た金髪の女、イスラは、高笑いしながら言った。


「あっははは、中々の腕だぜ、ぼうず。視覚妨害、聴覚妨害を個人の魔力だけで同時発動、おまけに魔力結界は使わず、アウラを抑えるだけで気配を絶ってやがった。その歳にしちゃ、上出来だと思うぜ?」


ミランガはわざと恭しく彼女らに頭を下げ、


「お褒めにあずかり光栄だ。で、多嘉子を呼び出した要件、弟子たる俺にも聞かせていただけないだろうか。」


そう言うと、ノーサン、イスラ、ダーマの三人はキョトンとした顔を見合わせると、コクリと頷いた。

そしてノーサンが椅子の座ったまま、そばに置かれた小さな木の椅子を指差して、そこに座るよう促した。



緊張した面持ちで椅子に座る多嘉子と、緊張そいうよりは警戒の色を濃くして隣に立つミランガ。


それを見てイスラが、ククッと小さく笑った。


「多嘉子、お前みたいな色気も無ぇ奴が、どうやって男なんかたぶらかしたんだよ。えらく大事にされてんじゃねえか。」


「「なっ!!??」」


それぞれ別の意味で心外なことを言われた多嘉子とミランガは、そろって顔を赤くした。


「たた、たぶらかしてなんかいない!!」


「そそそそうだ!!それに、大事にしてなど...!」


「あーあー、仲のよろしいことで...。どうしようかねえ。この先の話がしづらくなるじゃないか...。」


イスラは尚も意地悪い笑みを浮かべながら、舐め回すように彼らをジッと眺める。

沈黙を破ったのは、黒いマントの女、ノーサンだった。


「じゃあ、私から要件だけ伝えるね。」


そう言って、椅子からすくっと立ち上がったノーサンは、眠そうな無表情の顔を多嘉子に近づけた。

多嘉子の緊張の度合いが目に見えて増し、唾を飲む喉の動きが一層鮮明になる。

そしてノーサンは、冷ややかな声で言った。








「多嘉子。貴方、死んで。」




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