転ばぬ先の杖
トール
第1話
コンビニと雑居ビルの間に、その建物はある。
(今日は見えた)
古い感じの喫茶店、一見するとそれだけ。
植物を絡ませたレンガ調の壁は、雰囲気作りというよりは貧乏臭くボロい。営業中の掛札も、なんか斜め。オシャレというよりはただズレてる。そもそも客寄せする気があるのか微妙。
もしかしたら潰れてるのかもしれない。
ライバル店と鎬を削り、流行り廃りで消えていく。そんなお店は珍しくない。
今だってその建物を眺めているのは向かいのコーヒースタンドのテラス席なのだから。立地も駐車場の数もこちらのが上で、なによりあちらの入りにくさが半端ない。
しかし私が注目してるのはそんなところじゃない。
「ねえマナ」
「なに?」
「あれ、見える?」
「……どれ?」
「コンビニの隣り」
「……人? 物?」
「建物」
「あー、見える見える。きったない
「うん。汚いなぁ、って思って……」
「不思議ちゃん乙」
本当だよ。
それで済めばどれだけいいか……。
一瞬たりとも視線を逸らさず、網膜に謎い喫茶店を焼き付ける。
変化は唐突に起こった。
(あ)
と思った時には既に遅く。
最初からその存在なんて無かったように、喫茶店は消えていた。
いつもこうだ。
不意に表れて、唐突に消える、私を悩ます喫茶店。
見えるようになったのは最近で、毎度のこと友達に確認するのだが……。
見えるのは私だけという事実。
頭のイタい娘ちゃんである。
安くてペラいフラペチーノで喉を潤しつつ、病院に行くべきかどうかを悩む。
十六年生きてきた中で、初めてのケース。
なるほど。初めては焦るってほんとだな。どうしよう。割と解決方法が無いぞ?
良い考えが出てこないかと頭を揺らしながら悩んでいると、スマホに夢中だった友達が顔を上げた。
「んでー? ほんとどした。唐突な不思議ちゃんムーブとか。狙ってる男子の好みにイメチェン?」
「そんなんじゃないけどー……。まあ色々と悩みがあるのですよ。マナと違ってー」
「カチーン」
「ごちーん」
軽い肩パンに効果音をつけてみた。お気に召しました?
唐突な暴力にヨヨヨとテーブルに身を投げ出す。あー、なんと不幸……。
「おらー、早く話せよー。外で乳揉まれたいかー」
ガチ勘弁。
「お許しをー、お許しをー。これで、これで平にお許しをー」
「いや飲みかけとかいらないし」
なんだと? 現役女子高生の飲みかけフラペチーノだぞ? 金塊には及ばずとも銀塊ぐらいにはなるんじゃないの?
「それで? 本気なに? さっきからずっと道路見てんじゃん。恋煩いか? この時間に毎回ここを通る男子に一途アピールでもしてんのか?」
「切なー。なにそれめっちゃいい娘やん。友達になりたくない」
「それな」
相変わらずの緩い雰囲気。不思議ちゃんムーブもなんのその。私たちの絆はその程度じゃ崩れないぜい。
この空気ならイケるかもしれないと、悩みを婉曲に伝えてみる。
「実はさー? 最近になって人には見えない私だけのパーソナリティが見えたり見えなかったり?」
「厨二病です。病院紹介しときますねー?」
唐突な他人行儀?! 離される席は一人分。絆はどうした?
でもそうなるよね〜。
頭イタいのを治したきゃ病院で間違いない。かかるのは心のお医者さんだけど。
「ってガチで病院検索したの見せてくるやん。ちゃうやん。そうじゃないやん」
「え〜? だってミオが誤魔化すからー」
なんにも誤魔化してはないのだが?
言葉を選ぶ必要があるらしい。
えーと、えーと。
「あー…………なんて言うか、今まで一度として経験したことのないようなことを経験しまして……」
マナが噎せた。
「驚くと同時に不思議と心地良くて……このままじゃいけないって分かってるんだけど、病院に行くのには今一つ躊躇しちゃうのね?」
マナが咳き込んだ。
「だから他の解決方法……それこそあの扉の向こうに行けばいいんだろうけど……帰って来れないんじゃないかって不安で……」
マナが赤くなった。
「どう思う?」
「行かないで」
そうだよねぇ?
「え? なに? あんたそういう?」
どういう?
「だ、大丈夫! 大丈夫よ! ミオは綺麗だから! いや綺麗だからそんなことになっちゃったんだろうけど……。まだまだ良いことあるから! 生きてたら! 何もあんな汚いビルに重ねることないわ! うん。うんうん! な、なにか飲む? あたし奢っちゃう」
「キャラメルフラペチーノとチョコチップワッフルとサンドイッチ」
「ガッツリいくやん?」
やれやれと席を発つ親友を笑顔で見送る。
まさか唐突に奢ってくれるなんて。今日はいい日だなぁ、なんて思ったり。
不意に一人になったことで、再び向かいのコンビニと雑居ビルの間をチラリ。
(あ。また出てる)
私だけに見える喫茶店。
ちょっとした特別感。
こうやって眺めているだけなら問題無い。
誘うように現れるそれに、いつしか私は名前をつけた。
『十三番地』
これまた安直なネーミング。やっぱり病気で間違いない。私、そんなセンスじゃなかったもん。
残り少しになったフラペチーノをズコズコ吸いながら、代わり映えのしない不思議喫茶を眺める。
喫茶店の近くを通る人は、誰一人としてその存在に気付かない。
……不思議ー。
隣のビルから降りてきた人がコンビニまで歩いている。その距離で分かると思うんだけど、気付かない。
気付けない。
だーれも知らない自分だけの特別。
そう思うと少しだけ気分が良い。
でもねー? さすがに危ないでしょー。近寄りたいとは思えんわー。
消える瞬間とかどうなってるんだろうか? 圧縮とかされちゃうんだろうか?
……怖っ?!
まあ被害とか出たことないんだけど。
なんらかの変化はないものかと、最近はずっと眺めているが、得られるものはない。
――――しかしそれも今日までだったようで。
ずいぶんあっさりと、男の子が一人、喫茶店へと入っていった。
「………………うええ?!」
――――何故かそれに釣られるように、私は席を立って向かいの喫茶店へと走ってしまった。
転ばぬ先の杖 トール @mt-r
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