君の肢体に季節の野菜を添えて

掃除屋さん

君の肢体に季節の野菜を添えて

「どうしたの?」

「ひっ!」


 突然背後から声をかけられて変な声を出してしまった。声をかけてきたのは15歳くらいの女の子。


「お姉さん、いつもここから覗いてるよね」

「あはは…バレてた?」


 『いつも』という事は前からバレていたらしい。恥ずかしさのあまり赤面してしまう。


「村の外にいつも村を覗いてる人がいるって、みんな怖がってるよ?」

「あちゃ〜…。それは申し訳ない」

「どうしたの?村に何か用?」

「いや〜、用ってわけじゃないんだけど…」

 

 不思議そうな顔で首を傾げる村娘。


「言いづらい事?」

「まぁ…そうだね。それより君は怖がってないんだね」

「全然!だってお姉さん綺麗だし!」


 満面の笑みで言う村娘。久しぶりに人と話すので私は少し緊張している。


「そうだ、お姉さんって今ヒマ?」

「あ、ああ。特に用事はないよ」

「良い所があるの!行きましょ!」


 そう言って手を引っ張って、村とは反対の森へと入っていく。獣道を進んでいくと綺麗な湖の畔に着いた。


「綺麗でしょ!ここは私のお気に入りの場所なの」


 静かな湖畔に鳥のさえずりが聞こえる。鏡のような水面に、時折波紋が現れる。魚でもいるのだろうか。


 村娘は長椅子のように置かれている丸太に腰掛けると、隣に座るよう合図した。


 丸太に腰掛けながら湖を眺める。風が木々を揺らし葉の擦れる音が耳に心地よい。先程から村娘がこちらをチラチラ見ているのは気づいているのだが、私はこんな時どうすればいいのか分からない。


 沈黙に耐えかねたのか、村娘が口を開いた。


「あの〜…お姉さん喋りませんか?」

「ん?ああ、いいよ」

「私はアリスって言います!お姉さんの名前は?」

「………」


 私には名前が無かった。はたしてこれを彼女に伝えるべきなのか。しかし良い言い訳を思い付くほど頭の回転が早いわけではない。


「名前…分かんないんだよね!ごめんね」

「……記憶喪失ってやつですか?」

「え⁉︎ああ、まぁそんなもんかな」

「大変じゃないですか!寝る所はどうしてるんです?」

「寝る所はねぇ。その〜…あっち!あっちの方にね親切な老夫婦が住んでてね、そこに住まわせてもらってるの」


 なんとも信憑性にかける言い訳ではあるが、アリスは納得してくれた様子だ。


「その老夫婦には何て呼ばれてるんですか?」

「あー、その、なんだ。娘さんって呼ばれてるかな」

「そうですか…困りました。お姉さんの事、なんて呼べばいいんだろ」


 アリスは腕を組んで考え始めた。目の前の静かな湖を見て何か思い付いたようだ。


「この湖の名前、アカプル湖っていうの。そこから取って『ルプカ』!どう⁉︎」


 正直それが良い名前なのかは分からないが、由来がこの綺麗な湖ならば良い事なのだろう。


「私はルプカ。私はルプカ。うん、覚えた」

「よろしくね!ルプカ。じゃあ……って、ああ!しまった…」


 急に立ち上がり頭を抱えたアリス。急に動き出すので驚いて丸太から転げ落ちそうになる。


「今日私の当番の日だった…。ごめん!帰らないと、また明日会える?」

「いいよ、暇だから」

「ここで会わない?そしたら村のみんなも怖がらないし」

「分かった。また此処で」


 バイバイと手を振りながら走り去っていく村娘を見て、ルプカは空を見上げた。


(ルプカ…か。名前、貰っちゃったな)


 この浮き立つ感情が何なのかもわからないルプカは、とりあえず丸太に座りながら足をパタパタさせるのだった。




―――翌日、昼頃にアリスはやって来た。


 手を振りながら「おーい」と近づいてくるアリスに、ルプカは付近に自生してた木の実を食べながら手をあげて挨拶をした。


「ルプカ早いね。いつから居たの?」

「んあ?朝から」

「え!ごめんなさい。まさか朝から来るとは思わなくて…」

「いや、ここが気に入ったから。気にしないで」


 ルプカはやってきたアリスの顔に痣がついているのに気付く。アリスの痣と同じ部分の自分の顔を指差してルプカは尋ねた。


「どうしたの?ここ。」

「あ…。ここね!昨日急いで帰ったら木にぶつかっちゃって。森の中を走ったらダメね」

「それなら今日は家まで送るよ、森の中を歩くのは慣れてるんだ」

「え?……ん〜。じゃあ近くまでお願いしようかな!」


 それからたわいもない会話をしたり、ルプカの髪を編んだりして時間は過ぎていった。


「アリス、そろそろ暗くなるから帰ったほうがいいぞ」

「ええ?もう?仕方ないわね。それじゃ送ってってくれる?」


 アリスは手を握って欲しいと言わんばかりに突き出してきた。ルプカは、やれやれといった表情で手を繋ぎ森を抜けていく。村が見えてきた所で、アリスは立ち止まった。


「ここまでで大丈夫」

「家まで送るよ?」

「また『覗き女』が来た!ってみんな怖がっちゃうもの。だから今日はここでお別れ。また明日あそこで会いましょ」


 そういってアリスはルプカの両手をギュッと握ってから、踵を返して村へと駆けて行った。ルプカはアリスが家の中へと入っていくのを確認すると、また森の中へ消えて行った。手に残った温もりを感じながら。




―――翌日、朝からアリスはやってきた。


「ルプカ、おはよ!見てこれ」


 そう言って取り出したのは釣り竿だった。


「ルプカは釣りってやった事ある?」

「見た事はあるけど、やった事はない」


 アリスは一通りのやり方を教え、2人並んで釣りを開始した。


「今日のお昼ご飯にするから、じゃんじゃん釣りましょ!」

「アリスもここで食べるのか?」

「そうよ?嫌だった?」

「いや…そんな事はない」


 ルプカは今まで一人で食べることしかなかった。予想していなかった展開に一抹の不安を覚えながらも釣りを続ける。


 魚が食いつくまで、好きな食べ物や好きな色、今までで1番面白かった事など、緊張で何を話せばいいか分からないお見合い現場のような会話をしつつ竿を握る。


「そういえばルプカって、火起こしできる?」

「やった事はないが昔、火の魔法を教えてもらった事があるんだけど…」


 そう言って人差し指を立てる。すると指先から爪くらいの大きさの火がついた。


「こんだけしか出来なかった」

「アハハ!爪に火を点すとはこの事ね!でもそれだけでも火起こしするのが大分楽だわ」


 10センチから15センチくらいの魚を、10匹ほど釣った所でお昼の時間が近づいてきた。


「そろそろお昼ね」

「食べる時間か?」

「そうね、準備しましょう」


 アリスが釣り竿を置き、焚き木を拾いに行こうと腰を上げた時、ルプカが魚を掴み口へ運ぼうとしていた。


「ちょちょちょ!待って!ルプカ、ダメよ生は!」

「そうなのか?」

「そうよ〜もぉ〜。記憶喪失って食べ方まで忘れるの?」


 アリスは呆れた様子でルプカが持っている魚を籠へ戻した。


「火を起こすから、焚き木を拾いにいきましょう。教えてあげるから」


 ルプカと手を繋ぎ焚き木を拾いにいく。ある程度集め終わると近くの枯れ木から皮を引っ剥がして、これを先程の魔法で燃やしてもらう。


「ルプカ、いい?魚は焼いて食べるのよ?」

「わかった」

「ヒトはね、料理をしてヒトになるの。そのまま食べるのは獣のする事よ。手を加えて美味しく食べる事で獣からヒトへ進化したの。本当はね、お皿に盛り付けて、彩りもこだわったりしてやるんだけど、今日は外だしね」

「彩り?」

「そうよ〜、野菜とかを添えたりしてね、見た目も美味しさに関係してくるのよ。それが料理なの」


 あまりピンときていないルプカの顔を見ながら、アリスは魚を串焼きにしていく。


「ルプカは魚好き?」

「食べる。嫌いではない」

「そう、良かったわ」


 出来上がった焼き魚を食べながら、湖の周りを2人で散歩する。


 

 アリスは明日は来れないと言った。家の仕事があるらしい。それから2日来て、1日来ないという日々が2週間程続いた。


 その間、アリスには色々教えてもらった。兎の捌き方だったり、鳥の羽で作る飾り物だったり。数字の勉強も教えてもらったし、国の情勢も教えてもらった。これはちょっと難しかったので完璧ではないけれど。




 アリスが来ない日は寂しい。いつも一人だったのに、いつの間にかアリスに毒されていたのだろうか。しかし毒と言うにはあまりにも甘美な毒である。早く会いたい。だから会えない日は眠る。ひたすら眠る。何も考えなくていいから。早く会いたい。会いたい。逢いたい。



 翌日、アリスは昼過ぎにやってきた。今日はなんだか元気が無い。こちらから話しかけても、笑顔がぎこちない。気まずいまま、時間が過ぎてゆく。気付けばアリスが帰る時間だ。


「近くまで送るよ」


 そう言って立ち上がろうとすると、それを引き止めるようにアリスが手を引っ張った。仕方なくそのままアリスの横に座った。


「どうしたの?」

「今日は帰らない」


 いつもと違う雰囲気にルプカは困惑している。するとアリスが意を決したように口火を切った


「あなた、グールでしょ?」


 


 いつかはこんな日が来るとは思っていた。可能ならこのままの関係でいたかった。


「気付いてたの?」

「そりゃ、魚や肉を生で食べようとしたり、あまりにも常識が無さすぎるもの。分かるわよ」

「……そうよ、私はグール。でも信じて欲しい。アリスを襲ったりはしない」

「分かってるわよ。これだけ一緒にいて一度も危ない事なんて無かったんだから」


 ルプカは俯いたまま意気消沈してしまった。


「ルプカ、あのね?あなたの事信じてるから隠さず言うね」


 ルプカは泣きそうな目でアリスの方を見た。


「ルプカが村の外から覗いてたでしょ。村の人達はもしかしたらグールじゃないかって思ってたの。それで私が人柱として選ばれたの。食べられたとしても私みたいな『変な子』なら問題ないって事」

「変な子?」

「そ。私ね、男の人苦手なんだ。だけどね、小さな村だから子供を産まない女は価値がないんだって」

「アリスは女だけど、女が好きって事?」

「ん〜、まぁそう言う事になるかな」


 ルプカは不思議そうな顔でアリスを見つめる。


「なにか問題があるのか?私も女だけどアリスの事は好きだぞ?」

「ありがと。でもね、人間は種を保存するって本能があるから、そこから外れた私は『変な子』なんだってさ。ルプカだって好きな人が出来たら子供ほしくなるでしょ?」


 ルプカは暗くなっていく空を見上げながら、深呼吸を一回して話し始めた。


「よく分からないんだ。私も『変な子』だったから。私はグールだけど、人間を食べるのは好きじゃないんだ。だから捨てられた」

「グールは人間以外って食べるの?」

「食べれるよ。でもみんな一番美味しいのは人間だから食べてるんだと思う。人間をね、食べると『もっと食べたい、もっと人間を食べろ!』って頭の中で誰かが囁くの。私はその感じが嫌で人間を食べる事を嫌ったわ。それをみんなが気味悪がったってわけ。だから私も『変な子』なの。アリスと一緒ね」


 ルプカは少し嬉しそうに笑った。釣られてアリスもクスッと笑う。


「そっか〜、私達似た者同士ってわけね」


 アリスはそう言うと密着するように隣に座って、自分の腕をルプカの目の前に出す。


「どう?私の体、美味しそう?」


 いたずらっぽく笑いながらアリスが言うと、ルプカは困った顔をした。


「私は食べないよ、アリスと離れたくないもん」

「フフッ、私もよ」


 アリスがルプカの横から抱きつく。突然の行動にルプカは固まってしまった。


「ルプカ?」

「ええっと、こういう時、ど、どうすればいいかわからなくて…」


 アリスはルプカの純粋無垢な反応に悪戯心が芽生えてしまう。丸太に座っているルプカの膝の上に向かい合うようにして座った。

 ルプカは頭が真っ白になって硬直している。


「ルプカ、手をあげて…そうそう」


 アリスがルプカに抱きつく。


「そしたら、そのまま私を抱きしめて」


 言われた通りアリスを抱きしめる。卵を割らないようにそっと力を込める感覚で、小さな体を抱きしめる。温もりが伝わってくる。アリスの匂いは、とても落ち着く。


「どう?こうやって抱き合ってるだけで、幸せな気持ちにならない?」

「これが『幸せ』ってこと…なんだね。なんだろう、胸の辺りがフワフワしてるような…でも凄い心臓が早くなってる。大丈夫かな?」

「大丈夫、私もだから。できれば、もう少し強く抱きしめて欲しいかな?」


 二人の体温が混ざり合い、湖からの冷たい風が心地よい。


「私は、もう死んでも良いって思ってた。村に味方なんていないし、みんな私を避けるわ。だからあなたに声を掛ける役に選ばれた時も、食べられちゃってもいいやって思ってたの。それで人目のつかない所に連れてったら襲われるかな〜って。こんな綺麗な人だったら食べられちゃってもいいかなって思ってたんだけど…」

「私以外のグールだったら食べられてたかもね」

「私はね、ルプカだったら食べられてもいいよ?」

「だから…食べないよ!」

「じゃあ私が食べてやる!」


 アリスが戯れるように耳を甘噛みする。くすぐったくて思わず笑ってしまう。


 宵闇の中に二人の笑い声が溶けていく。




 ルプカは突然、何かの気配を感じ取り顔を上げた。


「どうしたの?」

「いや…何だろう。嫌な感じがする」

「…あぁ、雨の匂いがするわね。もうすぐ降るのかしら」

「違う、あっちの方から嫌な魔力を感じる」


 ルプカが指を指したのは村の方角。


「アリス、掴まってて」


 ルプカはアリスをお姫様抱っこしたまま、その方角へと向かった。



 夜目の効くルプカは木々を避けながら走る。村に近づくと、いつもとは違う物々しい雰囲気に包まれていた。


「ルプカ、降ろしてちょうだい」


 アリスをそっと地面に下ろすと、2人は屈んで村の様子を探る。


「なんだろう。あれは、王都の兵士かしら」


 村の入り口には馬が十頭ほどおり、どれも村の馬ではない。よく見ると松明を持った兵士が馬の近くにいるのが見えた。


「王都の人がここに来るのは初めてね。何かあったのかしら。ルプカは戻ってて。見つかると厄介だし」


 そう言うと、アリスは誰にも見つからないように家の裏口へ向かい、静かに中に入っていった。


(戻ってとは言われたけど、何か心配だなぁ)


 ルプカは不安が拭えず、その場で様子を見ることにした。ポツリポツリと葉に雨が当たる音が聞こえ始める。



 

 アリスが家の中へ入ると話し声が聞こえた。親の声と聞き覚えのない声。おそらく兵士だろうと思い、聞き取れる所まで近づこうとする。足元にあったバケツに気付かずに蹴飛ばしてしまう。


「誰かいるのか?」

「見てきます」


 足音が近づいてくる。


「アリス!帰ってきたか!」


 アリスの親は手を掴むと、兵士の元へと連れていった。


「君が娘さんかね?吾輩はアガヒドゥ・ファンアンス3世。早速本題に入らせてもらう、グールはどこにいる?」

「……なんの事でしょうか」

「この周辺にグールが出たと聞いてやってきたのだが…村の者は皆、君が知っているとしか言わんのでな」


 この男の冷たい声に、感情の無い表情に、アリスは震えながらも知らないと答えた。


「はて?君がグールをどこかに連れていったと、村の者は言っておるのだが」

「私は…山の方に連れてって、村に近づかないでと…言っただけです。山の方に逃げていった後は知りません」


 アリスは森の『いつもの湖』とは反対の山にいると嘘をついた。


 アガヒドゥが、ねっとりと舐め回すようにアリスを観察した。


「……なぜ、あなたは魔物を逃したのですか?なぜグールはあなたの言うことを聞いたのですか?なぜあなたは、もう戻って来ないという確証が持てるのですか?なぜあなたは……嘘をつくのですか?」


 アガヒドゥは矢継ぎ早に質問した後、『嘘をついている』と、かまをかけた。少女はポーカーフェイスでいられるには、まだ幼すぎた。


「おや?何か隠し事ですか?いけませんねぇ、実にいけません」


 剣を鞘から抜くとアリスの首元へと突きつける。


「もしやあなた…グールなのでは?」

「なっ!…違う!」

「結構結構。罪を犯したものは、皆そう言うのです。私じゃ無い、違うと」


 首元の剣先がゆっくりと下に、服を切りながら鳩尾の位置で止まった。


「怖いでしょう、グールは鉄が苦手なんですよね?」

「やめてください!娘はグールではありません!」

「おやおやおや…娘をグールへの人柱としておきながら、今更親気取りですか…笑わせますね。人減らしの為に彼女を差し出したのでしょう?グールなら良し。もしグールじゃなかったとしても要らないのであれば、せめて私の快楽の為に、役に立って死んでください」


 冷笑を浮かべながら、その感触を愉しむようにアガヒドゥの剣はゆっくりとアリスの中へと入っていく。





 木々の隙間からアリスの家を様子見るルプカの鼻をくすぐる匂い。


(これは…血の匂い?)


 アリスの家から数人の兵士が出てくる。その後を飛び出してきたのはアリスの親。一人だけ格好の違う兵士に食って掛かる。


「アガヒドゥ様!約束が違うでしょ!どうして娘を…」


 泣き崩れるアリスの親に対してアガヒドゥは、まるで虫を見るような目で答えた。


「魔物を逃すなど、一体あなたはどういう教育をしてきたのですか?親として責任をとってください」

「ど…どういう意味…」


 言葉を遮るようにアガヒドゥの剣はアリスの親を貫いた。ルプカは同族が殺し合うという尋常ならざる光景に身を震わせた。


「まったく…血で鎧が汚れてしまいました。もうこの村には用はありません。行きましょう」


 兵士達が馬に乗り村を出て山の方へ向かうのを見ると、ルプカはアリスの家の裏口へと急いだ。


 家の中に入るといい匂いがしてきた。奥へと進むごとに匂いは強さを増す。生唾をごくりと飲む。そして台所へ着くと、そこにはアリスが倒れていた。


「アリス!」

「ル…プカ…」

「どうした⁉︎何があった⁉︎」


 アリスの服は真っ赤に染まり、むせかえるような血の匂いがルプカの鼻腔をくすぐる。


「あいつら…ルプカを探してた…早く逃げて」

「それよりも、この傷をなんとかしないと!」

「私にはわかる…もう無理よ……だから最後にお願い…聞いてくれる?」


 アリスは自分の血で染まった手でルプカの頬に触れ、親指で唇をなぞると、さながら真紅のルージュのようだった。


「私を食べて…こんな死に様は嫌…」

「そんな…私はまだ一緒にいたい!」

「食べて…私は貴女と一つになるの…ずっと一緒…」


 アリスの体から力が抜け、そのまま動かなくなった。


(魔王様が人間との協調を目指すと言ったから、人間を観察してただけなのに。こんな思いをするなら人間のいない場所にいればよかった…アリスと出会わなければよかった!)


 否定すればするほど、頭の中に浮かぶのはアリスとの思い出。グールと知りながらも優しく接してくれた彼女の笑顔。人間というものはどういうものなのか、人間の良い所を集めたのがアリスなのだろう。そして人間の醜悪を集めたのが、あの兵士。

 ルプカは人間の二面性に戸惑う。魔王様の言う通り人間を信じていいのだろうか。


 動かなくなったアリスをただ見つめる事しか出来ないルプカは悩んだ。


 私は彼女の友として…いや、人間はこれを何と呼ぶのか分からないが、それ以上の関係として…彼女の願いを叶えるべきなのだろうか。人間は死ぬと残された者達により土に埋められる、その埋められる場所の集まりを『墓地』という事を聞いたことがある。人間としてそうするべきなのではないか、しかしアリスは願った『私と一つになりたい』と。それは私がアリスを食べる事で叶う事なのか…


 私という存在を好きになってくれた彼女の恩返しになるのであれば…


 ルプカはアリスの上半身を起こし、動かなくなった彼女を抱きしめる。そのままアリスの右手を握り、腕を伸ばした。


「……ごめんね」


 二の腕を口にする。


 大粒の涙がルプカの頬を伝う。数十年ぶりの人間の肉は涙が出るほど美味しかった。これはグールの本能、抗えるはずもない感情。


(違う!これは美味しくて泣いているんじゃない!悲しくて泣いているんだ!)


 今日の料理で残ったのであろう野菜が台所に置いてあった。ルプカは野菜も食べながらアリスを噛みしめた。せめて人間らしく、あの日彼女が教えてくれたようにバランスを考えて食事する。私は決して己の、グールとしての欲望だけで人間を食べているのではない、そう言い聞かせる。



(勿体無いから全部食べてしまおう)

「残りは埋める。人間として弔う!」


 頭の中でナニかが囁きかけてくる。


(家の前で親も死んでる。勿体無いから食べよう)

「食べない!アリスは嫌われようとも村の人々を愛していた」


 ルプカはアリスを抱き抱え、2人の場所…あの湖畔へと向かった。


(焼いて食べよう?アリスも言ってたでしょう?)

「焼かない!アリスはこのまま埋葬する」


 2人で語らった丸太のそばに穴を掘る。すぐに掘り返されないように深く掘る。


(埋めても骨になるだけだよ。肉が勿体無いよ)

「うるさい!黙れ!」


 埋め終わった。墓標の代わりにアリスの好きだった花を供えた。


(人間を殺して、肉を食べよう)

「うるさいうるさい!」


(きっとアリスを殺したのは、アリスの親を殺した『あの男』だよ。これは復讐だよ)

「復讐…」


(そうだよ、復讐なんてまるで『人間みたい』だね。殺そう?苦しませて殺そう?生きたまま食べてあげよう?復讐だもの)

「……私が人間だったら、アリスの為に復讐をするべきなの?」


(死んだ者達に囚われ続けるなんて、人間以外の何者でもないよ。愛する人が殺されたんだもの、復讐は必然でしょ?)

「愛する人……必然……」



 ルプカはフラフラと歩き出し、気付けば村の入り口に辿り着いていた。降り出した雨のせいでぬかるんだ道は、くっきりと蹄鉄の後が残っている。


「これを辿れば『あの男』がいる…」


 グールは、復讐をすると決めた。グールの本能が人間を食う為にそうさせたのか、ルプカが人間の友を本気で想ったからなのかは誰にも分からない。


 ルプカの眼前には闇夜が広がる。まるで己の心を表しているかのように真っ暗で冷たい。


(でも1人じゃない。私の中にはアリスがいる)


 愛することを覚えたグールは、闇夜に消えていった。

人間の為に人間を殺すという矛盾をはらみながら。

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君の肢体に季節の野菜を添えて 掃除屋さん @soujiya

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