第133話 素敵な思い出
「おぉおっ」
アイがきらきらと目を輝かせる。
彼が取り出したのは細長くて分厚鉄板だ。大きさはチェス盤のちょうど半分ぐらいかしら? そこに二つの取っ手がついている。
かと思うと、ハロルドはそれを上に載せると「よっ」と言って開いた。
鉄板は二つ折りになっていたのよ。そして鉄板部分は、魚――鯛の形にしっかりと凹んでいた。
すかさずアンが、アイが見えやすいよう足場台を持ってきてくれる。できる侍女ね!
「おさかな!」
「すごい、本当に鯛だわ」
「懐かしいわこの形……そうそう、この体の部分が、ぷっくりと膨らんでまあるいのよね。尻尾も食べ応えがありそうな大きさ……ふふふ、楽しみだわ」
そう言って喜ぶサクラ太后陛下は本当に嬉しそうだ。ホートリー大神官もニコニコしながらそれを見ているし、リリアンも神官の務めなど忘れて興味津々で覗き込んで
――ってよく見たら肩にショコラが乗っているじゃない!
いつのまに入ってきたのかしら!?
いつもだったらハロルドが即追い出すのだけれど、今日はハロルドもたい焼き器に夢中で気づいていない。
「まずはたい焼き器を熱していくぜ。この辺りの容量は、実はホットケーキと一緒だな。っつーか、材料も似てる」
「ということは、ホットケーキに餡子を挟んだものと一緒ということ?」
「理屈的にはまぁそうと言えなくもないが、少しの違いが雲泥の差になるのが料理というもんさ」
言いながら、ハロルドが筆のようなもので何かを鉄板に塗り付けていく。
「生地はさっき作っておいたからな。油を塗ったら、これの出番だ」
次に取り出したのは、搾り袋? 中にはクリーム色の何かが詰まっている。これが生地かしら?
慣れた手つきで、ハロルドがピュッピュッピュッと鉄板の中にそれを落とし込んでいく。
よく見ると、とろりとした生地は全部、鯛の頭の部分に落とされていた。
「あたまだけのせるの?」
「よーく見てろ姫さん。ここにハンドルがついているだろ? このハンドルを持ち上げると鉄板が少し傾くから……」
言っているそばから、流し込んだ生地が鉄板を伝ってとろーりと尾まで広がっていく。
「ほら、こうやって尾まで流し込むってワケ」
へええ。よく考えられているわね。これなら生地も均一の厚さになるものね。
「ここまで来たら……お次は姫さんの大好きな、餡子の出番だ」
「あんこー!」
ドーン! とハロルドが出してきたのは、浅い調理用バットに敷き詰められた餡子だ。ハロルドはそれをへらを使ってすくい取ると、先ほど広げたばかりの鯛の中に餡子を落とし込んでいく。
サッサッサッとすばやい速さで餡子を次々載せていくのだけれど、、驚くことに載せられた餡子は全部均一の量だった。
まるで職人芸を見ているようで感心してしまう。
「で。反対側にも同じように生地を流して……」
反対側も同じくハンドルを持って、流し込んだ生地を全体にいきわたらせる。
「最後にがっちゃんこして焼けば完成だ!」
餡子が入っていた方のハンドルを持ち上げると、ハロルドはさっともう片方の鉄板に被せた。餡子がこぼれるのでは、とハラハラする暇もないほど速い動きだったわ。
やがて、生地に火が通ったのだろう。
あたりにふんわりとした香ばしい、それでいてほんのり甘い、食欲をくすぐる匂いが広がる。
「くんくん……なんかすごくいいにおいがするよー!」
「ああ、懐かしいわねぇ。たい焼きの匂いを嗅ぐと、なんだかほっとするわ。学校の終わり、日が落ちかけた帰り道で、園子ちゃんとふたりで食べ歩いた日を思い出すわ」
うっとりと、サクラ太后陛下が目をつぶって言う。その表情は乙女のようにみずみずしく、きっとかつて見た夕日を思い出しているのだろう。
「あの頃の日本はまだまだ発展している最中で、都会では西洋のおかしが流行っていて憧れたものだわ。でも私の住んでいるところは昔ながらの商店街しかなくて、たい焼きしかなかったの。ただそのたい焼きが本当においしかったのよねぇ……」
アイがくんくんと鼻を動かし、ふんわりとただようたい焼きのいい匂いを吸い込みながら、サクラ太后陛下の話を聞いていた。
「……こうして考えると、日本にいた頃の記憶も悪いものばかりではなかったのかもしれないわ。大きな不幸に飲み込まれて忘れてしまっていたけれど、囁かで幸福な毎日も、確かにあったんだもの……」
黒い優しい瞳が見つめているのは、在りし日の思い出だろうか。
そこまで言って、サクラ太后陛下ははっとしたようだった。
「いやだ。また昔の話でしんみりしてしまいましたね。いけないわ、老人はすぐに昔を懐かしがってしまう」
「それだけ素敵な思い出が多かった証拠ですわ。なければ、懐かしがることすらできませんもの」
私の言葉に、太后陛下が嬉しそうに笑う。
「ふふふ、それもそうね」
「おーし、焼けたぜ!」
そこにハロルドの大声が響いた。
「見よ! これがハロルド特製たい焼きだ!」
言って、ハロルドは閉じていた鉄板をパカッ! と開ける。
そこに並ぶのは――小麦色に焼けた、ほかほかの鯛たちだ。
私たちは一斉に声を上げた。
「わあああ! いっぱい!」
「この中に餡子が入っているなんて、教えられなきゃ絶対にわからないわね……」
「見事に密封されていますねぇ」
リリアンは何も言わず、じーーーっと穴が空くほどたい焼きを凝視している。横ではサクラ太后陛下が嬉しそうに目を細めていた。
「おっと、まだ完成には早いぜ?」
手袋をつけたハロルドが、鉄板にくっついているたい焼きをぺりぺりと剝がした。それから大きな調理用ハサミを使って、ぱちんぱちんと切っていく。
「はみ出した部分や焦げた部分はこうして切って……ほら、これで完成だ!」
ハロルドは綺麗に整えられたたい焼きをみんなの前に突き出した。
「おぉお~!」
それはまるで、ころり、ふっくらとした小麦色の鯛が宙を泳いでいるようだった。
「じゃあまずは姫さんからな。ほい」
「ありがとう!」
アイが受け取ろうとした瞬間だった。
***
たい焼き、しっぽ付きも好きなんですよねぇ……。
3巻発売の時に担当さんが四ツ谷にある「わかば」さんのたい焼きを買ってきてくださったのですがめちゃんこおいしかったです!近くの方はぜひ!
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