第120話 ……なるほど、これが ◆――魔王・ローズ
ショコラのやつ、我の顔を見るなり一目散に逃げて言ったな。
しかも驚きすぎて、最初二本足で立っていたのは気づいてなさそうだ。
思い出して、我はくつくつと笑った。
「……主様が笑っているのは久しぶりですね」
そこへ、アイビーが人間たちに気づかれないようそっと囁いてくる。
「ん? ……そうかもしれぬな。ショコラの顔があまりに平和ボケしておったものだから」
魔界にいた頃のショコラは、常に血走った目をギラギラさせていた。
すさんだ空気をただよわせ、目が合えば同じ魔族でも容赦なく襲い掛かっていたと聞く。
それがさきほど見たショコラはどうだ。
目も顔も体も、これ以上ないほどコロコロと丸くなり――というかあやつ、だいぶ太ったな――「あたいは可愛いただの飼いネコちゃんです」という顔できゅるんとすましていた。
本当は一発お仕置きを入れてやろうかと思っていたのだが、あまりにもふぬけた姿に驚いて目を丸くすることしかできなかったぞ。
「ふっ……」
ふたたび笑いがこみあげて、我は口元を押さえた。
エデリーンという王妃がにこやかに話しかけてくる。
「遅くなりましたが、お茶会を始めましょう」
王妃の掛け声とともに、茶髪の男が入って来た。同時に我とアイビーを部屋に案内してくれたやたら元気のいい侍女たちがすました顔で出てくる。彼らは手にお盆を持っていて、そこには色とりどりの何やらやたらキラキラとしたものが載っていた。
「今日はうちの料理人にスイーツビュッフェにしてもらいましたわ。どれでもお好きなものを食べてくださいませ」
ふうん? このキラキラしたものは、すいーつびゅっふぇというのか。
長く生きてきたが、あんなものは初めて見る。いつの間にか人の世もずいぶんと進化したものだな……。
我はじっと、すいーつびゅっふぇとやらを見つめた。
ふわふわとした黄色っぽい物体の上に、真っ赤なイチゴが輝いている。
その隣にあるのは、真っ白で真四角をした何かだ。あれもケーキとかいう食べ物なのか? 上にイチゴとともに、白いコスモスが咲いているぞ?
さらに、オレンジがたっぷりと載った小さな丸いものもあるな。オレンジは切りたてなのか、瑞々しい艶を放っている。
……一瞬その甘酸っぱさを想像して、口の中がきゅんとした。我も、かつてはオレンジのようなものを食べていたこともあるのだ。
さらには、ピンク色の球体もある。……この表面のピンク色部分は何でできているのだ? つるつるして、林檎のように表面に光沢がある。
どれもひとくちサイズでありながら趣向が凝らされていて、これは本当に食べ物なのか? と驚いてしまうぐらいだ。
「「かぁわいい~!!!」」
そばでは王妃と聖女が同時に目を輝かせている。
「本当に、ハロルドったら安定の腕前ね。おいしいのはもちろん、見ているだけでワクワクするなんて……さすがのセンスね!」
「そうだろう。いい出来だろう」
どうやら、茶髪の男が料理人であるらしい。男は嬉々として説明し始めた。
「手前からフロマージュブランクリームの苺タルト、コスモスのホワイトチョコムース、オレンジのミント載せタルト、ラスベリーとストロベリーのルビーチョコムースになります。他にも……」
聞いたことのない単語が次々出てくる。
昔からそうであったが、人間と言うものは本当に手先が器用だな。
「どれも好きなものを選んでくださいませ。味は保証いたしますわ」
ほう? 全部食べ物なのか。それはすごいな……。
我は感心した。見れば、アイビーも身を乗り出して興味深そうにすいーつびゅっふぇを見つめている。
この男、一見すると無表情だが、その実我なんぞよりよっぽど甘味が好きだからな……。
「主様、これなどどうです? 以前この黄色い実を好んで食べておられたのでしょう?」
「……よく覚えているな」
アイビーと出会ってから、我はオレンジはおろか、他の食べ物もほほ摂取したことがない。大昔に一度、アイビーに尋ねられて過去の話をしたことがあるぐらいだ。
「主様のことは何だって覚えていますよ。なんと言ったって私の妻なのですから」
アイビーがさらりと言った。
……妻というのはあくまで便宜上のものなのだがな?
我が複雑な顔をしていると、なぜか王妃がこちらを見て微笑んでいた。その瞳には恍惚が浮かび、何やら少し気味が悪い。
「ふふ……おふたりは仲がいいのですね」
「ま、まあ、夫婦だからな……」
何やら謎の言い訳をしつつ、我はアイビーが進めてくれた〝おれんじのたると〟とやらをひとくち頬張る。
途端に、柑橘系の甘酸っぱい味が口の中に広がった。
果物はみずみずしく、それでいて酸味よりも甘みが強い。
果物なのに、こんなに甘いのか? 我の知っている柑橘系とはだいぶ違うな……。それでいて甘すぎず、下の生地と混ざり合ってちょうどいい塩梅になっている。
……おれんじたると、なかなかうまいではないか。
我がもくもくと食べていると、アイビーがまたサッと何かを差し出した。
「主様、こちらも大変おいしいですよ」
それは、ピンク色の林檎のような形をしたものだ。
「どれ」
我は差し出されるまま、それにかじりついた。
途端に、口の中にふわっとした甘みが溶けて広がる。
……驚いたな。てっきり表面は林檎のように硬いのかと思ったのだが、こんなにやわらかいものなのか? それに、食べた瞬間舌の上でしゅわっと溶けてなくなったぞ? これは一体なんだ?
「アイビー、今のもうひとつ」
「御意」
我が要求すると、アイビーはすぐに同じものをもうひとつ取った。差し出されるまま、我がアイビーの手ずから食べていると、王妃がにこやかにこちらを見ていた。
「ふふっ。おふたりは仲睦まじいですわね」
「主様のお世話をするのがわたくしの生きがいですので」
さらっと言い放つアイビーに、王妃が「まあ」と頬を赤らめる。
「なんて愛情の深さでしょう! 素敵ですわ!」
王妃は何やら変な勘違いをしているようだが、まあ、このすいーつびゅっふぇとやらは悪くないので気にしないことにした。
「ビュッフェも気に入っていただたようでよかったですわ。どれもとてもおいしいでしょう?」
おいしい。
その単語に、我はぴたりと動きを止めた。
それから考えて、ぽつりとつぶやく。
「………………そうだな。これは、おいしい、な……」
数百年ぶりに食べた、ショコラがくれた飴もおいしかった。
だが今食べているすいーつびゅっふぇとやらは、飴よりもさらに複雑な味がするしろもので、そしてひとことでは語れない奥深さもある。
ひとつずつゆっくりじっくりと食べて、舌の上で味わい尽くしたい。
そう思わせるおいしさが、すいーつびゅっふぇにはあった。
……勘違いするなよ。キンセンカと違って、我はこれぐらいで落ちたりせぬぞ。あ、いや、キンセンカが食べ物で落ちたと思っているわけではないのだが……。
「まじょさまっ! これもおいしーよ!」
お菓子を手に持った聖女が、ぴょこんと膝に飛びついてくる。
我は一瞬びくりとした。
この間ホーリー家で触れられた時もそうだったのだが、聖女がどんなスキルを持っているのかまだわからないためつい警戒してしまうのだ。
下手すると触れられた瞬間、強い力で消し飛ばされる可能性だってある。
だが我の心配は杞憂だったようで、布越しに伝わってくるのは子どものあたたかな体温だ。
「あのねぇ、これアイのすきなやつなの! いちごたると! いちごがねぇ、とってもじゅーしーなんだよ!」
じゅーしー。
聞いたことのない単語だな。
王妃が笑った。
「ジューシーなんて単語、どこで覚えたの?」
「なべのおじちゃんがいってた!」
なべのおじちゃんと呼ばれた料理人が、得意げな顔になる。
「あふれんばかりの苺果汁に溺れるといい!」
なんとも変わった人間だな……。
そう考えていると、聖女が我に向かって「んっ!」と小さな手を差し出してきた。
幼くて、まだ手の力加減がうまくできていないのだろう。力を籠められすぎたタルトは少し歪んでしまっていたけれど、我は受け取るとそれを食べた。
噛んだ途端、苺の甘酸っぱい果汁が口に染みわたる。
……なるほど、これが〝じゅーしー〟ということか。
なかなかうまいではないか。
やがてそこに国王も現れ、我たちは至って平和な〝お茶会〟とやらを過ごしていた。
ふっ。笑ってしまうな。
奴ら人間にとって最大の脅威である魔王。その我を倒すどころか、せっせともてなしているなんて気付いたら、奴らは一体どんな顔をするのだろうな?
我に聖女を奪われた後になって後悔しても、もう遅いというのに――。
そう思いながら、我はまたひとつ、たるととやらを口に放り込んだ。
***
>キンセンカが食べ物で落ちたと思っているわけではないのだが……。
大体あってる、と思った方はぜひ挙手どうぞ!
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