第101話 手心を加えると言うか、オブラートに包んでくれると嬉しいなっていうか

 扉ではないわ。壁よ。だって私のいる位置から、ちょうどそれが見えていたんだもの。


「なっ!?」


 仰天したマクシミリアンが振り向いた次の瞬間、今度はゴッ!!! という鈍い音がして、マクシミリアンが吹き飛んだ。


 それが部屋に飛び込んできたユーリ様に殴り飛ばされたからだとわかったのは、必死な顔をしたユーリ様が、私の口に詰められたスカーフを取り出した時だった。


「エデリーン、無事か!? すまない、私がふがいないばかりに……!」


 ブツッ、ブツッという音とともに手首を縛っていたロープが切られ、そのまま私はユーリ様に力強く抱きしめられる。

 私はケホ、とせき込んだ。


「ユーリ、様……。どうしてここに……!? リリアンと一緒にいたのでは……!?」


 事態が呑み込めなくて、でも来てくれたことが嬉しくて、私はユーリ様の背中におそるおそる手を回す。


「すまない! 私は、リリアンの術にかかっていたんだ。そのせいで彼女を君だと思い込んで……本当にすまない! 君は、つらい思いをしただろう……!」


 術? リリアンを、私だと思い込んでいた……?


 頭の中で必死に情報を整理していると、起き上がったらしいマクシミリアンが、殴られた頬を押さえながら叫ぶ。


「クソッ、どうなっているんだ……! リリアン! お前の仕事は、国王を魅了することじゃなかったのか!? サキュバスなんだろう!?」

「「えっ!? サキュバスだったんですか!?」」


 突如混じった叫び声は、双子騎士のオリバーとジェームズだ。

 見れば、ユーリ様がやってきた方向から、手をロープで縛ったリリアンを連れたオリバーと、アイを抱っこしたジェームズが立っている。ジェームズはマクシミリアンを見つけると、アイをその場に下ろしてマクシミリアンの拘束に走った。


「サキュバス!? ……魔物か」


 マクシミリアンの言葉に、ユーリ様の瞳が鋭く険しくなる。


 ――ユーリ様は過去に、魔物に母親を殺されている。それもあって、彼は魔物に対してはとても厳しく、冷酷なのだ。


 一方のリリアンはと言えば、諦めたようにフッと笑っただけ。

 直後、バサリと音がして、小さな黒い羽根と羊のようにぐるりと巻いた角が現れる。


 まるで、もう隠す気はないとでも言うかのように。

 ……でも、不思議ね。リリアンは正体を隠す気がないのと同時に、抵抗する気もないように見えるわ。だってあのロープぐらいいくらでも切れそうなものなのに、未だに手につけたままだもの。


「オリバー、アイを遠くに連れていってくれ。サキュバスは私が――」


 言って、ユーリ様が剣に手をかける。けれど彼が剣を構える前に、アイの叫び声があたりに響いた。


「だめ!!! リリアンおねえちゃんをいじめちゃ、だめっ!!!」

「あっ! アイ様!」


 バッ! とオリバーの手を振り払ったアイが、リリアンの前に立ちふさがり、両手を大きく広げてかばう。それを見たユーリ様は、ゆっくりと首を振った。


「……アイ。こればかりは駄目だ、彼女は魔物なんだ」

「それでもだめ! だってりりあんおねえちゃんは、アイのおともだちだもん! まものだからって、いじめるの、だめ!」

「アイ、それは……」

「だってパパ! まものがぜんぶわるいひとなら、どうしてりりあんおねえちゃんは、にげようとしないの⁉ パパにだって、やりかえしたりしてないよ!」


 その言葉に、ユーリ様がハッと黙り込む。


 確かにそれは、私も先ほどから気になっていたことだ。

 そんな私たちの代わりに答えたのは、それまでずっと黙っていたリリアン自身だった。


「ただたんに疲れてしまっただけよ。どうせ失敗した以上、わたくしはもう主様に顔向けできないんだもの。だったら失望される前にここで終わらせた方が、ましだというもの」


 ……主様?


 淡々と語るリリアンの顔は、虚ろだ。


「なら、アイたちのところにこればいいよ! だっておねえちゃん、ママのきしさまなんでしょ!?」

「アイ、それはできないんだ。彼女は私に術をかけ、マクシミリアンと共謀して、エデリーンを……ママを、危険な目に遭わせた」


 ぎろりとユーリ様の鋭い瞳がマクシミリアンをねめつける。ジェームズに捕まってぶすりとしていた彼は、「ひっ」と短い悲鳴を上げた。


「じゃあ、おねえちゃんともういっかいなかよくすればいいよ! なかなおり、しようよ!」

「彼女は魔物。私たちとは生きる世界が違う」

「そんなことないよ! だって……だって……!」


 一瞬、アイはちらりとそばにいたショコラを見た。けれどぶんぶんと首を振ったかと思うと、アイは叫んだのだ。


「だっておねえちゃん、どーなつおいしいっていってたもん!!!」


 ……どーなつ?

 私たちが目を丸くする前で、なぜか虚ろだったリリアンだけが、ぴくりと肩を震わせる。


「またどーなつぱーてぃーしようねって、アイとやくそくしたもん!」

「アイ……」

「それにおねえちゃん、ほんとうはぜんぜんパパのこと、すきじゃなかったんだよ! だから、ぜんぶいやいや、がんばってたんだよ!」

「……えっ?」


 突然飛び出たまったく予想外の発言に、その場にいた大人たち全員が目を丸くした。


「えっ、あの、アイ。急にどうしたの……?」

「だってアイ、すぐわかったもん。パパみてるときのおねえちゃん、ぜんぜんたのしそうじゃないから、なんでだろって、おもってたんだもん」


 アイの容赦ない言葉に、ドスドスッと見えない矢がユーリ様に深く突き刺さった……気がした。


「あ、あの、アイ……? もうちょっとその、手心を加えると言うか、オブラートに包んでくれると嬉しいなっていうか」


 五歳のアイにこの言葉の意味はまだ通じないだろうと思いつつも、私は言わずにはいられなかった。


 だってあまりにもユーリ様が不憫で……!


「い、いいんだエデリーン。事実だから……」

「ユーリ様……!」


 リリアンが企みのためにユーリ様を篭絡しようとしていたのはみんな気付いているけれど、だからってはっきりと言葉にされると傷つくというか……!


 子どもの正直さ、怖い!


「だからおねえちゃんは、わるくないもん。どーなつすきなひとに、わるいひとはいないもん! うぇえええん!!!」


 とうとう大声で泣き出したアイに、私はあわてて駆け寄った。抱きしめようと手を伸ばすと、アイがすぐさま胸の中に飛び込んでくる。


 そうよね、アイにとってリリアンは、りりあんおねえちゃんというお友達だものね……。


「ねえ、リリアン」


 私は泣きじゃくるアイを抱きしめながらリリアンを見た。







***


もう少ししんみり収束する事態……のはずが、子どもってほんとう残酷なまでに正直ですよねぇ(白目

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