第70話 神の威光 ★――キンセンカ(リリアン)
「あっ。こんにちは! あなたがリリアン?」
ガチャリとドアを開けた先に待っていたのは、机の上の地図――王宮の地図のようね――を覗き込んでいた赤毛の侍女だ。
彼女はわたくしに気付くとぱっと顔を上げた。その拍子にぴょこんと揺れる左右の三つ編みに、お揃いの色の瞳。年の頃は十代後半かしら? 小柄な侍女だった。
「ええ、わたくしがリリアンですわ。あなたは?」
「私はアンです! エデリーン様とアイ様付きの侍女のうちのひとり。本当はあと他にもいるんですけど、ラナとイブは今おふたりについているので、今日は私が説明しますね!」
ラナとイブ……。そういえばさっきも王妃や聖女たちの後ろに、桃色と黄色の髪をした侍女がくっついていたわね。彼女たちのことかしら?
考えていると、はきはきとした様子でアンが手を差し出してくる。
「同じエデリーン様付き同士、仲良くしましょうね!」
「ええ。こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
私は微笑みを浮かべて、にこやかに握手を交わした。
マクシミリアンから王妃に関することは聞いているとは言え、まだまだ知らないことも多い。国王ユーリを堕とすまでは、彼女たちにも情報を教えてもらえるよう、しっかり仲良くしておかないとね。
わたくしの友好的な態度に安心したのか、アンは早くもぺらぺらと喋り始めた。
「いやーそれにしても聞いた時はびっくりしちゃった! まさか女騎士だなんて! あなた、デイル伯爵様の遠縁って言っていたわよね? 小さい頃はどこに住んでいたの?」
「小さい頃は田舎に住んでいましたのよ。家も裕福ではなくて」
わたくしは用意してきたシナリオを滑らかに語った。アンはといえば素直な人物らしく、微塵も疑うことなくふんふんとうなずきながら聞いている。
「そうなんだ!? それにしては喋り方がずいぶん優雅というか、気品があるよね? あたしも一応伯爵令嬢なんだけど、見ての通り口調がはすっぱすぎて、お母様によく怒られているのに」
思わぬ突っ込みを入れられてギクリとする。
この喋り方は前回――といってももう数百年前になるんだけれど――とある王朝に忍び込んだ時に使っていた口調なのよ。わたくしの見た目と相まって一番しっくりなじむから使っているのだけれど、もう少し砕けた口調にすべきだったかしら? でももう手遅れよね……。
「わ……わたくしのお母様の仕込みです。どんなに家が貧しくとも、品だけは身に着けるようにと、嗜みを叩き込まれましたのよ」
おほほほ、と笑うと、アンがきらきらと目を輝かせた。
「はぁーっ! 偉いなあ! あたしのお母様が聞いたらきっと、『あんたも見習いなさい!』って言われちゃうよ」
そこまでしみじみと言ったアンが、急にはっとした顔になる。
「あ、いっけない。本題を話さないといけないんだった。ごめんねおしゃべりばっかりで! あたしよくうるさいって怒られるんだよねえ」
何が楽しいのか、自分でケタケタと笑いながら、アンは机の上に載せられた地図を指さした。
「本当は騎士たちの宿舎は別にあるんだけど、あなたは女の子でしょ? だからあたしたち三侍女の隣に部屋を作ってもらったの。剣とか鎧とかも、上に許可をもらって部屋に置いてもらえるようにしたけど、くれぐれも盗難には注意してね! ま、このお城は治安がいいからそんなことはないけど、念のためよ念のため!」
言いながら、アンが地図の上でサッサッサッと指を滑らせていく。
「それから主であるエデリーン様、アイ様、ユーリ様のお部屋はここよ。あなたも護衛騎士なら何度も行くことになると思う。あとで一度全部の部屋を案内するけれど、大体の位置も覚えておいて」
その場所を見て、私はふぅん? と首をかしげる。
「わたくしの部屋は、エデリーン王妃陛下の部屋からは離れているのね? これじゃ夜間何かあった時に、かけつけられないのではなくって?」
てっきり護衛騎士ならもう少し近くの部屋を与えられるのかと思っていたけれど、意外にも宿舎は他の侍女たちと同じだ。
「大丈夫大丈夫。夜間は専門の騎士たちが守っているから。護衛騎士だって、睡眠はしっかりとらないと守れる時に守れなくなるでしょ? それから、あなたの支給品についてなんだけど――」
その後もアンは、わたくしに様々なことを説明した。それをひとつひとつ覚えていると、突然部屋の扉がノックされ、ひとりの人物が入ってくる。
「あっ、ホートリー大神官様!」
すぐさまアンが、サッと頭を下げた。わたくしも真似をして挨拶した後、ちらっ……と顔を上げて、目の前の人物を見る。
“ホートリー大神官”は、マクシミリアンが言っていたわ。国王一家と一番仲が良い神官だと。
それにしても……思っていたよりもずいぶん穏やかな外見をしているのね?
つるんとした頭に、逆にふさふさな眉と口ひげ。細い糸目はのほほんと垂れ下がっており、体も小柄でなんというか……『人畜無害』を絵に描いたような人物だ。
大神官というからにはもっと厳めしい人物を想像していたのだけれど、拍子抜けするほど穏やかな雰囲気に、わたくしは目を細めた。
「ほっほ。おふたりともそんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。顔を上げてください」
「それにしても、どうして大神官様がここに? 何かお探しですか?」
言いながらアンが部屋の中を見渡す。
この部屋は豪華ながら特に何の役目も持たない一室で、辺りに置かれているのは机に椅子、それに花瓶などと言った変哲のないものばかり。こうして女官たちが一時的に立ち寄ることはあれど、大神官が必要そうなものは確かにないように見える。
「いえ、ちょっと気になる気配を感じましてね……それにつられてふらふらとやってきましたら、この部屋にたどりついたというわけでして」
言いながら、ホッホッホと朗らかな声を上げて大神官が笑う。
「気になる気配……ですか?」
アンが不思議そうに聞き返す。一方わたくしは、穏やかに微笑みながらも、内心では焦っていた。
ちょっとまって。気になる気配って、この男、まさかわたくしのことを言っているとでもいうの……?
でも、そんなわけないわよね? わたくしの擬態は完璧。魔力はすべて体内に隠しているし、今まで神官相手にだってバレたことなんかないのよ。
そう思うものの、わたくしは自分でも無意識のうちにこくりと唾を呑みこんでいた。
……いえ、大丈夫よ。例え正体がバレたところで関係ない。
だって大神官とて男。今までわたくしの魅了魔法にかからなかった大神官はいなかった。過去にわたくしの傀儡となった大神官がどれほどいたか、数えるのも面倒なくらいなんだもの。
そうよ。怯えることはない。心配なら先手必勝で、魅了してしまえばいいのよ。
深呼吸をしてわたくしは気を取り直すと、バッとホートリー大神官を見た。
ふふ、瞳さえ見てしまえば、こちらのものよ!
――そう強気に視線を向けた先で、わたくしは信じられないものを見た。
先ほどまで糸のように薄く細かった大神官の目が、カッと開眼していたのだ。
どこまでも透き通る、そしてすべてを見透かすような青い瞳が、信じられぬほどの強い光を伴ってまっすぐわたくしを見つめている。
それは神の威光すら感じさせる瞳だった。実際、大神官の体はうっすらと白い光をまとっていたの。
「あ……!」
あまりのことに、思わずわたくしは一歩後ずさりした。その拍子にジュッ、と指先が焦げる感覚がして、恐怖で叫び出しそうになる。
――だめ。このままでは浄化されてしまう。
そう思った瞬間、稲妻で打たれたように、感じたことのない恐怖が全身を駆け巡った。先ほどショコラに踏みつぶされていた時以上の重圧が、わたくしの気道をふさいでいる。ちりちりと身を焼く強い光に、わたくしはあえぐように口を動かした。
本能が『
わたくしは暴れる心臓をなんとか押さえつけ、渾身の力を振り絞って、パッと大神官から視線をはずす。
途端に苦しかった息が楽になり、ようやくぜっぜと荒い呼吸を繰り返せるようになったのだ。どうやら、気付かないうちに息も止まっていたらしい。
「り、リリアン!? どうしたの!?」
異変に気付いたアンが、心配そうに声をかけてくる。
「おやおや、大丈夫ですかな、お嬢さん」
おっとりした声を響かせて、大神官もわたくしの顔を覗き込んでくる。だがその気配すら怖い。
わたくしはあわてて大神官の視線を遮るように手を上げた。
「だ、大丈夫ですわ。さきほどユーリ陛下と稽古試合をしていましたから、その疲れが今になって出たのかもしれません」
「そうなの? 無理しないで少し休んだら?」
「これくらいなんてこと……!」
言いながらも、まだ心臓がバクバクしている。
だって目の前のこの男――なにが『人畜無害』よ! そう考えた数分前の自分をひっぱたいてやりたいわ! 人畜無害どころか真逆の有害無益よ! 神官たちが神聖力を持つのは知っていたけれど、わたくしを怯えさせるほどだなんて、初めてだわ……!
それにあの男、先ほどの様子からしてわたくしの正体に気付いているわよね!? もしかしてこのまま、わたくしは浄化されてしまうの――?
考えて、ぞっとした。
そこに「ほっほ」という穏やかな声が響く。
「いやはや。威勢のいいお嬢さんでいらっしゃる。でも……もしかしたら、アイ様の新しい、よきお友達になってくれるやもしれませんなあ……うーむ。悩ましい」
え……?
考えていることが読めなくてちらと見上げると、大神官はひげを撫でながら何か考え込んでいた。途中で一瞬、細い瞳がまたこちらを向いた気がして、わたくしはあわてて顔を逸らす。
「ま、よいでしょう」
「ホートリー大神官様……?」
ひとりだけ状況を呑み込めていないアンの声に、大神官はまたほっほと笑った。
「いやはや。忙しいところをお邪魔してしまいましたな。私の探し物はもう終わりましたので、どうぞお気遣いなく。それではこれで失礼させていただきますぞ」
え……? もしかして、見逃してくれたの? それともわたくしの思い違いだっただけで、実は気づいていないの……?
「あ、はい! お疲れ様でございます!」
「お嬢さんもどうぞ、お大事に」
そう微笑んだ大神官の顔は穏やかだったが、なぜかわたくしにはその細い瞳が一瞬きらりと光った気がした。
「……お気遣いありがとうございます」
軽やかな足取りで大神官が出て言った次の瞬間、わたくしはその場にずしゃりと崩れ落ちた。
……あまりの恐怖に、腰が抜けたのよ。
===
\ホートリー大神官はこう見えてすごい大神官/
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます