第9話 動き始める世界

 灰色だった世界が文字通り色付いた日


もう何も信じないことをやめて

生死に執着しないことをやめたあの日。


あれから数日、やはり俺はこの世界を繰り返していた。

セレンの死はまだ繰り返されていて、

それに対してやはりまだ恐怖を感じている。

けれども、いつか必ずセレンを救ってこの世界から抜け出すのだと心に言い聞かせている。


また直ぐに折れてしまいそうな心を

繋ぎ止めるために


幾度も挫けかけた心を立て直すために

必死にそう言い聞かせている。


 だがこの世界には以前と変わったことがあった。

元々は3月31日を終えて、4月1日にセレンにしの運命が降りかかっていたのだけれど

ここ3度、続けてセレンの死は3月31日中に起こっている。


日付を超えることがなくなり、セレンの死を迎えた後

俺の視界はいつの間にか暗転し、気付くとベッドの上で朝を迎えているのだ。


そしてその度に夢を見るようになった。


自分の中で『夢だ』と自覚できる状態の夢。


 洞窟のような場所を真っ直ぐに進む

そして、時折背後から強い風が吹いて、大きな岩も転がってくる。


最初こそ、薄暗くて窪みに身を潜めるようにしてしゃがんでいたのだが

ここ3度程繰り返したおかげで、岩が転がって来るタイミングも

なんとなく掴めてきた。


ある程度歩くと声が聞こえて夢が醒める。


1度目は『起きて』


2度目は『早く』


3度目は『もう嫌なの』


昔聞いたような声とも思えるが、声の主に関しては断言出来るほどの確証はなかった。


ただ言えることは、それがセレンの声でないことは確かだと言うこと。


声が聞こえるたびに『この人を悲しませちゃいけない』『早くしなきゃ』と

焦る気持ちが大きくなる。


そうして光の見える方へ走り出すと


夢から覚めているんだ。


そして必ず、涙が一筋零れ落ちる。


プルルッ  プルルッ


カーテンの隙間から少しだけ陽の光を感じる薄暗い、静寂に包まれた部屋に

携帯の着信音が鳴り響く。


枕元に置いてある携帯に手を伸ばす。

持ち上げた時にストラップが揺れ、視界に入った。


セレンと初めて行った遊園地のキャラクターのストラップ。

猫をモチーフにしたピンクのリボンをつけたキャラクターだ。


 男の俺が付けるには少し可愛らしく、嫌だと伝えたのだけれど

『私がこの男の子版を付けるから、ウイングはそこのをつけて!」と

聞き入れては貰えなかった。


青い蝶ネクタイを付けた、そのキャラクターの方が

俺としては付けても気恥ずかしく無いと感じていたのだが


『お揃いで付けたいけど、これなら交換こしたみたいでしょ?」


そう言って満面の笑みを浮かべるセレンを目の当たりにして

それをもう1度拒否することは出来なかった。


ただストラップを交換しただけで

こんなにも喜んでくれるという事実が

自分の中で何物にも代えがたかった。


何も返せないと思っていた自分でも

彼女を笑顔にする事ができるのだと

こんな俺でも、幸せを分けれるのだと実感できたのだ。


昔の思い出が蘇る中、俺は電話に出た。

ーここは俺の知っている現実じゃなく、セレンの死が積み上げられた虚像なのだからー


「……、もしもし」

「あ、おはようウイング。あの、今日はちょっと用事があるからそっちに行けそうにないの」


俺が覚えている現実と同じ声。

それでいて、少し寂しそうな


「約束、果たせなくてごめんね」


『約束』とはいったい何だったのだろう。

考えを巡らせるが、思い当たる節はない。


「……ん?あぁ、大丈夫だ」


声のトーンが下がり、声量も小さくなる彼女に

それ以上問いかける勇気は出なかった。


 この世界が繰り返されていて、俺の知っている彼女ではなくて

ただの虚像なのだと分かっていても


それでも、今話しているセレンは

俺の幼馴染で、大切な人であることに変わりはない。


顔も、性格も、声のトーンも、……いつでも俺を優先しようとするところも

変わっていないのだから。


「大事な用があるんだろ?俺は大丈夫だから、焦らないようにな」


今までなら、こんなに落ち着いてセレンと話すことなど出来なかっただろう。


 この世界で、セレンを救おうと奔走していた時には

セレンと語り合う余裕など無かった。


クレナさんを失って、絶望した世界では

セレンを信じる事が出来なかった。


「……うん、ありがとう」


大切な人だと


救いたい命だと


そう自分の中で位置付けて


揺れ動く心の中でも、

『いつか必ずセレンを救うのだ』とそう言い聞かせてきた。


そうしてやっと、セレンと向き合えたような気がした。


 電話が切られた後、俺はすることも無く

外の空気を吸いに玄関を開けた。


春の朝はまだ肌寒くて

やはり上着を1枚羽織るべきだったかと思い、踵を返した瞬間

視界の端に白いものを捉えた。


赤い郵便ポストに

奥まで入っていない白い封筒。


乱雑なそれは

つい先程、誰かが入れに来て

慌てて帰ったかのような印象を残していた。


 これも今までにない事だ。

この世界には基本的に俺とセレンしかいない。


いや、通行人はいるのだけれど

俺の周囲で生活している人間は、誰1人として存在し得なかったのだ。


両親も祖父母も、クラスメイトも近所で飼われていたはずのあの犬もいない世界。


恐る恐る封筒に手を伸ばす。


宛先の書かれていない封筒。


裏返すと


『クロウ・ラビリテ』


そう、書いてあったのだ。

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