おーい?桶狭間で信長死んだってよ

たにたけし

桶狭間

永禄三年(西暦一五六〇年)

第一話 うつけ殿 死す

「なんで!?」


「なんで俺こんなとこいるんだよ!?!?」


走り、混乱し、泣きながら誰に言うでもなく恨み言を叫ぶ。

雨が降ってきた。雨粒は大きく、雨足が強くなる事を予感させる。

草葉を掻き分け、無我夢中にただ走る。俺は戦場から脇目もふらず全力疾走で逃げる敗残兵だ。

死にたくない!


ちょっともらした。


馬には逃げられた。戦場に恐怖したのではなく多分俺に愛想を尽かしたのだろう。

それはいい、今は馬に乗れる気がしない。もらしたからではなく今の俺では馬を駆れる気がしないのだ。


俺の名は千秋せんしゅう季忠すえただ

熱田神宮の大宮司だ。


今川の大軍を前に、信長公は我が熱田神宮で参拝をした。その時、境内から白鷺が飛び立った。

白鷺は熱田が祀る日本武尊が変化した姿と謂われる。

この御方は神に護られし奇跡を起こす御仁だと興奮した!

自分は歴史の分岐点にいると喜び勇んだ!


そして大軍率いる今川に…何故勝てると思った!?!?

俺は単身で今川軍に突っ込み雑兵に馬を驚かせられ、無様に落馬した。

落馬した俺を助けようと庇うように飛び込んだ無二の友、佐々が雑兵の槍に串刺しにされて死んだ!

それを見た三十人いた勇敢な俺の兵達は…どんなに勇敢でも!正道を歩み!義を重んじても!俺を庇い、逃がす為に皆死んだ!!

俺のせい…俺のせいだ!

そして今!俺だけが生きている!

馬にも逃げられ涙を流し鼻水を垂れ流し生き恥を晒し、戦場から逃げている!!


あとうんこもらした。


考えられる限り最悪の状況!履物の中は泥とうんこでぐちゃぐちゃだ。

顔も涙と鼻水でぐちゃぐちゃで頭も記憶もぐちゃぐちゃだ!!

家に帰りたい…帰りたい一身で走った!

家…家…!

だが家とは何処だ…?

俺の脳裏にある家は駅から徒歩五分の少し電車の音が煩わしい八畳間。玄関を開ければ風呂に入り温かく安全な部屋で冷蔵庫で冷やしたビールを飲めるささやかな俺の城のハズだ。


それは敵兵に馬から突き落とされた時に見た走馬灯。

知らない記憶と経験、未来の記憶と混じった気がした。令和と呼ばれる四百年以上未来の遠い記憶。

記憶が混じり、意識は混濁する。混濁した未来の俺の意識はあるのに名前すら思い出せない。

しかし全力で逃げる敗残兵である今、そんな未来の記憶に悠長に浸っている余裕はない。


雨足が強くなる、更に雹を伴った大雨となる。

豪雨は水の壁となり、雷鳴が轟き辺りの空気を震わす。

視界は一間先も見渡せず、まだ日は高い筈なのに天は夜のように昏い。

時たま稲光が輝き、視界を白に焦がす。

足元はぬかるみ泥の濁流となって足に纏わり付き、走る事を困難にする。

だがそんな中だからこそ落ち武者刈りにも逢わずに我が家まで走り抜けられた。

天はこんなクソ俺を見捨てなかったのか。


熱田神宮

俺の家?に戻って来た。


「殿!殿が帰ってきたぞ!!」


門の兵が満身創痍の俺を確認すると肩を貸してくれた。そして別の者に頼み家人を呼びに行かせる。

呼吸は荒く、兜も草履も無く、泥にまみれ…そしてうんこにまみれていた。

少し落ち着きを取り戻して嗅覚が戻ってきたのだろう、くさい。

肩を貸してくれている兵にもこの距離では伝っているだろう、くさい。


季忠すえただ…無事であったか…!」


(これは千秋季忠せんしゅうすえただの親、千秋季光せんしゅうすえみつ…)


俺の…親?の人だ。

記憶が入り乱れ、頭が痛くなる!


「お…親父様…俺は…俺は……」


親父様の前で泣き崩れた。心も体も限界だった。


◇ ◇ ◇


温かい風呂に浸かり、記憶を整理する。

此処は熱田大神を祀る熱田神宮、そして俺の…家?

慣れないが俺には確かに此処で生まれ育った記憶があった。俺の混乱した記憶はこの家と家族を否定しようとする。

だが確実な事は戦場から逃げ帰った愚かで弱い俺を、この人達は温かく迎え入れてくれたのだ。


「お前の出陣の後、桶狭間という小山に義元公が陣を張るとの報を受け、信長公は桶狭間へと向かった」


親父様が静かに俺が出陣した後の事を語る。


「信長公は義元公の首を直接狙うおつもりじゃ」


「桶狭間!?」


声に出してしまった。

桶狭間の戦い!聞いた事がある!俺はその戦いを知っている!未来の情報を俺は知っている!!

三万だか五万だかの今川軍の大軍を、たったの三千の兵で信長が勝利した戦国時代一の番狂わせの合戦だ!!テストに出たヤツだ!!

今はその真っただ中!?

ならこの戦…信長公が勝つ…!

競馬ならとんでもないオッズがつくところだ!!

絶対に俺は大穴の信長公に全財産を賭ける!!

しかしそんな大勝利の中、俺は一人何をしている…?

未来でもそうだった、社内でも勝ち馬に乗れず閑職に甘んじていた…そんな記憶がある。


千秋季忠せんしゅうすえただ


俺の未来の記憶では聞き覚えがない武将の名前、それが今の俺の名前だ。

きっと俺に似合いのマイナーな凡百の武将なのだろう。

そもそも歴史は不得手だった。なんなら戦国武将の名前なんて片手で数える程度しか覚えていない。

織田信長と豊臣秀吉、徳川家康…武田信玄……あとは上杉…謙信?

それと独眼竜政宗とか…島津の首おいてけさん?

ああそうだ、多分今日が命日になる今川義元もいたな、ゲームでは毬を蹴ってた気がする。

片手以上はいけたな、上出来だ。

この指に入っていない無名の俺は焦らず、騒がずに此処で歴史を見守っているだけでいい。

俺は一切何もしないだけで信長は義元に勝利し、時代は彼を戦国の覇王へと導く。そして豊臣を経て徳川幕府が生まれるだろう。

俺なんていてもいなくても変わりはしない、閑職には慣れている。

このまま流れに逆らわず…歴史を変えようなんて思わず…だが俺はここから…どうやったら俺の城へ帰る…?

混じった記憶が俺の家、狭いが快適なアパートへ心動いたその時。


「伝令ー!!」


突如として戦場から戻ってきたであろう兵が声を張り上げて入ってきた。

聞かなくても分かる、きっと桶狭間の戦いが信長公の大勝利で終わったとの報だろう。

今川義元の首を取った者の名前はなんといったか…毛利…五郎?だったか?


「桶狭間にて信長公ーーー」


焦りと疲れで声がかすれてはいるがそれでも伝令が家中に響かせようと声を一層大きく張り上げ叫ぶ。


「討ち死にィーーー!!」


「えええええええぇぇぇぇぇぇ!?!?」


戦国一の番狂わせが起きた。

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