第63話 ハチ公、奮起する

 馴れ馴れしく名前を呼ぶ正義の態度に、こだまが怒りを覚えていることは間違いない。

 既に無表情で目を細めて彼のことを見つめているこだまの様子を見て、正義や彼の友人たちは何も思わないのだろうか?


 どうにかして、この状況を打破しなければ……そう考える狛哉が大いに慌てる中、恐ろしい程に冷静なこだまが淡々とした様子で口を開く。


「鎌谷、だっけ? 悪いけど、あたしにはあんたと話すことなんてないわ。邪魔だからとっとと退いてちょうだい」


「そう釣れないことを言わないでくれよ。滅多にないチャンスなんだ、俺にも少しくらい付き合ってくれてもいいじゃないか」


「そうしてやる義理がないって言ってるの。優しく言ってあげてる内にそこを退いてくれないかしら?」


「あはは、手厳しいね。でも、俺はあの駄犬よりもずっと君の役に立つはずさ。今日だけでもいいからあれを捨てて、俺と付き合ってみないかい?」


「……話にならないわね。行くわよ、ハチ。ついてきなさい」


「あ、はい……!」


 段々と隠すつもりがなくなっているこだまの不機嫌オーラを感じ取りながら、彼女の命令に応えて緩んだ正義の友人たちのガードを擦り抜ける狛哉。

 彼を引き連れ、この場から去っていくこだまの背を見つめていた正義は、不敵に笑うと彼女に向けて大声で叫んだ。


「諦めないよ、俺は! すぐに君だって気付くはずさ! その駄犬より、俺の方がずっと格上だってことにね!」


「……ふざけたことをぬかしてんじゃないわよ、馬鹿が。人の時間を無駄にしておいて、何をほざいてるんだか……!!」


 ぼそっと小さな声で呟くこだまの声を聞いた狛哉の背中に悪寒が走る。

 正義のせいで過去最大級まで機嫌を損ねている彼女がこの後に何をするかを想像した彼が覚悟を決める中、人気がない場所までやって来たこだまは、その予想通りの行動に打って出た。


「この、バカハチ! 何を黙って馬鹿にされてんのよ!? 言い返しなさい! やり返しなさい! 少しは意地ってもんを見せなさいよ、馬鹿!」


「いだだだだだ……! 痛いよ、森本さん……!!」


 握り締めた拳をぐりぐりと脇腹に押し込みながらのお説教に泣きそうになる狛哉であったが、この折檻はある意味では当然のものだとも考えている。

 確かにまあ、あそこまで言われておいて何も言い返さないというのは男として情けないものがあるよな、と考える彼に対して、こだまは折檻を続けながら言う。


「ストーカーをとっちめた時のあんたはどこに行ったのよ!? あの勢いで鎌谷の奴に噛みついてやれば、あいつだってデカい顔はしなくなるでしょうに!」


「い、いや、別にあの人はストーカーみたいな悪いことをしたわけじゃあないし……いだだだだ……」


「ご主人様に迷惑をかけて、あんたを馬鹿にして、それで何が悪いことはしてない、よ? 大体ねえ、あんたがもっとシャキッとしないからああいう連中が寄ってくるの! 番犬は番犬らしく、ご主人様を狙う不届き者を追っ払う努力をしなさいよね!」


「ぼ、僕、いつの間にか番犬の役目も任されるようになってたんだ……?」


「ご主人様から頼りにされて嬉しいでしょう? わかったらあたしの期待に応えられるよう、最大級の努力をしなさい! わかったわね!?」


「わ、わん……!!」


 無茶苦茶だ、とは思いつつも少し前のストーカー騒動でそれに近しい役目を担っていたことを考えれば、こだまの命令にも納得できる。

 少なくとも、彼女から頼ってもらえているということに対して嬉しさのようなものを感じた狛哉は、おなじみの返事をしてから改めてこだまに問いかけた。


「その、鎌谷くんのことだけど……これからは極力近付けさせない方がいい、よね……?」


「そうしてもらいたいところだわ。あんたがご主人様が困る様子を見て喜ぶ趣味を持つ駄犬なら話は別だけど」


「あ、いや、そんなことはないんだけど……」


「……けど? なによ?」


「どういう立場からものを言えばいいのかがわからないな、って思ってさ。何を言っても、鎌谷くんたちから犬は黙ってろ、って言われるような気がするんだよね」


「………」


 苦笑しながらそう述べた狛哉に対して、こだまが少しむっとした表情を向ける。

 だがしかし、先程目にした彼らの態度から察するに、そういった反応をされるだろうなという狛哉の考えもあながち間違ってはいないと判断したのか、彼女はその言葉に文句を言うことはなく、ぼそっと呟きを漏らすに留めた。


「そこはって奮起しなさいよ、バカハチ……!」


「えっ? 何か言った?」


「別に! あんたがドーベルマンみたいな怖い犬になれば舐められることもなくなるんじゃないの!? 今のところ、あんたただのハチ公だから下に見られてるのよ! もっと威厳を付けなさい、威厳を!」


「えぇ……? 無理な話だと思うんだけどなぁ……」


「そこで諦めるから何も変わらないんでしょう!? あたしが他の男に取られるのが嫌だったら、ウジウジしてないで努力しなさい!」


 バシッ、と背中を叩かれた狛哉は小さく咳き込みながら、こだまが発したその一言にちょっとだけ思いを巡らせていた。

 威厳のある犬になるだとか、周囲に舐められないような人間になるだとか、そういうことに関しては無理だという自信があるが……少なくとも、鎌谷とこだまが付き合うことだけは嫌だという部分に関しては同意せざるを得ない。


 彼の付きまといに迷惑するこだまを助けたいというよりも、その時々で何もできずに指を咥えて見ているだけの自分にはなりたくないと考えた狛哉は、ぐっと拳を握り締めると心の中で決意する。


(やるだけやってみよう。僕だってやればできるはずなんだから! 多分、きっと、おそらく、だけど……)


 ……少しはやる気を見せた狛哉であったが、やはり元の性格というのはそう簡単に変わるものではないようだ。

 とにもかくにも、危機感を抱いた彼は犬としてこだまを守るべく再度奮起し、行動を改めようと誓うのであった。

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