第45話 狛哉、気が付く

 翌日の学校は、狛哉が入学してから一番の落ち着かない雰囲気に包まれていた。

 生徒たちを悩ませていた盗撮犯の一人が多くの目撃者の前で捕まったということを考えれば、それも当然のことだろう。


 話がどう伝わったのかはわからないが、盗撮犯を捕まえたのは狛哉ではなく野口ということになっているそうだ。

 確かに人で賑わい始めた頃からの流れを見れば、現場の指揮を執っていた彼の方がリーダーっぽく見えたのだから、それもおかしな話ではない。

 野口自身はその誤情報を訂正しているのだが、あまり目立つことが好きではない狛哉からすれば、そちらの方が自分に注目がいかずに助かっているため、敢えて彼に手柄を譲り、自分はあくまで協力者だったというスタンスを取っていた。


 同級生たちからヒーロー扱いされたり、盗撮の被害に怯えていた女子生徒たちから感謝されたりすることなど、彼にとってはどうでもいいのだ。

 自分は人として当然のことをしたまでで、誰かに褒められたくて怪しい男を取り押さえたわけではない。

 こだまが安心して学校生活を送れるようになったことだけで十分だと、そう考えている狛哉は無欲にも賞賛を浴びる立場を捨て、一生徒として振る舞っていた。


 野口からはそういった態度を半分呆れた様子でツッコまれたりもしたが、彼は狛哉の意志を尊重してくれているようだ。

 というより、彼と共に盗撮犯を取り押さえた男子たちが調子に乗っていることもあって、自分が立てた手柄ではないということを周囲の生徒たちに否定しきれずにいるのだろう。


 というわけで、事件解決の立役者である狛哉は自身の功績を隠し、ひっそりとした学園生活を送っている。

 だがしかし、そんな彼の生活にも変化らしい変化はあった。


 一応は不審者の確保に協力した男子ということで、同じクラスの生徒たちから一目を置かれるようになったこと。そして、野口をはじめとした男子たちとの仲が縮まったことがそれだ。

 入学初日には微妙に距離を置かれていた狛哉であったが、この事件を機にクラスメイトの男子たちから友人だと思ってもらえるようになったらしい。

 そこまで積極的に関わるような真似はしてこないが、それがちょうどいい関係性だと理解している狛哉は、野口たちという良き友人を得られたことを喜んでいた。


 そしてもう一つが、こだまとの関係だ。

 飼い犬とご主人様……もとい、パワーバランスが決定していた友人という関係であった二人であったが、狛哉に対しての彼女の態度は一週間前と比べて明らかに軟化している。


 ツンツンとしながらも狛哉に自分の傍にいるように命令したり、彼の行動に対して楽しそうに笑いながらツッコんだりと、こだまが狛哉に対して好感情を抱いていることは周囲の人間たちの目から見ても明らかであるようだ。

 事情を深く知る野口たち以外からすれば、どうして学校でも指折りの美少女であるこだまがあそこまで狛哉に気を許しているのかがわからない状況ではあるが……それでも、クラスメイトたちは二人の邪魔はしないようにしようという共通認識の下、彼らのことを優しく見守っている。


 ただ、これから先、クラス外の男子たちと関わることが増えたら狛哉もうかうかしていられないだろうな……という認識も抱いているようで、二人のことを恋人同士というよりかは、ご主人様と召使いのような主従関係だと思っているようだ。


 飼い犬としての身分からすればクラスメイトたちの考えは的外れというわけではないし、自分たちが恋愛関係になるとも思えない狛哉は、それでいいと考えていた。

 今はこうして仲良くしているが、時間が経てばきっと彼女は自分から離れ、もっと格好良くて素敵な男子と付き合うようになるだろうと……そのことを惜しいとは思わない彼は、劇的に変化した日々をのほほんとした気持ちで過ごしている。


 そんな中、休み時間にこだまと会話していた狛哉は、彼女からこんなことを言われていた。


「ああ、そうだ。今日の放課後の話なんだけど……」


「ハンバーガーを奢ってくれるってやつ? 予定が入って行けなくなったりした?」


「馬鹿、そんなわけないでしょ。あそこまで頑張ってくれたんだもの、下手な用事を入れるくらいだったら、あんたへのご褒美を優先するに決まってるじゃない」


 鈍い狛哉にはわからない、本当に僅かなデレを見せたこだまがはんっ、と鼻を鳴らす。

 そうした後、そこまで見当違いな意見を言ったわけでもない彼に対して、こう話を続けた。


「ただ、予定が入ったっていうのは正解。ちょっとした用で呼び出されててね、少しだけ待っててもらいたいの。十分かそこらあれば終わるだろうから、談話室で待ってなさい。……できるわよね?」


 自分に対して人差し指を突きつけつつ、犬にをさせるように命令を出すこだまの様子に苦笑を浮かべる狛哉。

 用事が入ったのなら別に日を改めても構わないのにと思いながら、それでも自分のことを優先しようと考えてくれる彼女に感謝しつつ、了解の返事をしてみせる。


「うん、わかったよ。別に急ぐ必要なんてないから、のんびり用事を片付けてきてね」


「ええ。……ごめんなさいね、待たせちゃって」


 ぼそっとそんなふうに謝罪するこだまに向け、気にしてないよとばかりに首を振る狛哉。

 こうして彼女と普通の会話ができることを彼が喜ぶ中、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、二人の会話は終わりを迎えるのであった。




 そして放課後、言われた通りに談話室でこだまを待とうとしていた狛哉は、その前に飲み物を購入すべく購買部へと向かう。

 紙パックの牛乳を手にレジへと向かった彼を待っていたのは、一週間ほど前に顔を合わせたあの中年女性であった。


「あら、ハチくんじゃない! 今日はご主人様は一緒じゃないの?」


「あはは。ええ、まあ。をされてる最中ですね」


「うふふっ! 仲が良さそうで安心したわ! はい、お釣り!」


 会計をしながらフレンドリーに話しかけてきた女性に対応しつつ、そのまま彼女と話を続ける狛哉。

 他に客もいないし、これくらいは構わないだろうと思いながら、女性の話に反応していく。


「それにしても大変だったわね~! 私はよく知らなかったんだけど、この学校の付近にストーカーとか盗撮魔とかが出没してたんでしょう?」


「そうみたいですね。でも、変質者の一人は捕まりましたし、警察もパトロールを強化してくれてるみたいなんで、もう安心ですよ」


 事件の当事者であり、解決までの進展に大きく貢献した人物であるはずの狛哉は、敢えてそのことを伝えずに適当な相槌を打っていった。

 受け取ったお釣りを財布にしまいながら、彼は女性の話に耳を傾ける。


「もっと大きな事件に発展する前に解決してくれそうでよかったわ! ハチくんのご主人様も、ハチくんがいてくれたお陰で心強かったでしょうしね~!」


「僕なんかが役に立ったとは思えませんよ。ただまあ、そう言ってもらえて嬉しいです」


「謙遜しちゃって~! ハチくんが考えている以上に、誰かが傍にいてくれるのって安心するものよ? 入学早々、こんな事件に巻き込まれたんだから、心細くなって当然でしょう。そういう時に頼れる男の子がいてよかったって、あの子も思ってるわよ!」


「大袈裟ですよ。別に、僕が何かをしたわけじゃあ――」


 苦笑を浮かべながら、女性の話に反応した狛哉は……そこで、妙な感覚に襲われて言葉を途切れさせた。

 この感覚には覚えがある。昨日、バス停でこだまと話している時にも感じた、違和感とでもいうべきものだ。


 あの時は直後に盗撮犯と遭遇してしまったことでそれどころではなくなってしまったが、今再びこうして同じ感覚を覚えた狛哉は、その正体を探るべく思考をフル回転させていく。


 いったいこれは何なのか? どうしてこんなふうに嫌な予感が胸をよぎるのか?

 今と昨日、別々の女性と会話をしている時に突如として襲い掛かってきたこの感覚は、何を発端として生み出されたものなのだろうか?


 そう……初めてこの違和感を覚えた時、自分は確かこだまと――


「……え?」


 ――それは、天啓とでもいうべき閃きだった。

 自分を襲った感覚の正体に辿り着いた狛哉は、それを皮切りに次々とを導き出していく。


『男ってどいつもこいつも人の顔より胸と尻を見てきて、気持ち悪いったらありゃしないわ。本当に腹が立つ!』

『ウチの学校付近の情報を纏めてる裏掲示板だ。それで、最近このサイト凄い盛り上がりを見せてるのが……』

『もっと大きな事件に発展する前に解決してくれそうでよかったわ! ハチくんのご主人様も、ハチくんがいてくれたお陰で心強かったでしょうしね~!』


 この一週間で耳にした沢山の言葉が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え……その度に、狛哉の顔色は蒼白に染まっていった。

 そう、そうだ。考えてみればそうだった。今になって振り返ってみれば、あれは明らかに矛盾しているではないか。


 その矛盾が意味していることを理解した狛哉は、小さくはっと息を飲むと共に顔を上げた。

 もしも、自分のこの考えが寸分違わず当たっているとしたら、もしも話が自分の予想通りに進んでいるとしたら――こだまの身に、危険が迫っている。


「……ハチくん? ねえ、どうかしたの? 顔色が物凄く悪くなって――」


 女性の声は、もう狛哉の耳に入っていなかった。

 弾かれるようにして駆け出した彼は、ばくばくと早鐘を打つ心臓の鼓動を聞きながら必死に廊下を走り続ける。


 背後から聞こえる購買部の女性の声も、自分とぶつかった生徒たちの悪態も、もうどうでもよかった。

 ただ一つ、こだまを守らなくてはという想いだけを胸に懸命に駆ける狛哉は、一心不乱にへと向かって走り続ける。


 どうか間に合ってくれと、何事も起きないでいてくれと、そう願う彼の形相は必死以外の何物でもなく、その表情が事の重大さを物語っていた。


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