第34話 カフェでくつろぎながら、悩むこだま

「久々に来ると楽しめるわね、水族館。昔に来た時より、色んなものが進化してるって感じ」


「僕もそう思うよ。森本さんを誘わなかったら来る機会もなかっただろうから、感謝してる」


「馬鹿ね、どうしてあんたが感謝すんのよ? あんたは誘った側なんだから、あたしに感謝しろ~って言う立場でしょ?」


「そう、かな……? でも、森本さんが付き合ってくれなかったら水族館に来ることもなかっただろうし、ありがとうって思うのも間違いではないと思うよ?」


 喫茶店で売られているクラゲ水槽をイメージしたドリンクを飲みながら、楽しそうに談笑する狛哉とこだま。

 楽しませるために計画を立てた側である彼がどうしてだか自分に感謝していることをおかしく思ったこだまがクスクスと笑う中、それを気恥ずかしく思った狛哉が話題を切り替える。


「この後だけどさ、屋外エリアに行ってみない? ペンギンとかアシカが展示されてるみたいだし、そっちも面白そうだよ!」


「いいわね。今日は晴れてるし、行かない手はないでしょ。それで? そこを見終わったらどうするの?」


「水族館の入り口のところにレストランがあったから、そこでランチにしようよ。ご飯を食べたらお土産コーナーを見て、お買い物でもしない?」


「ええ、いいわよ。時間的にもいい具合だしね」


 現在時刻は十二時を少し回ったところ。ここから屋外エリアを見て回ることを考えると、一時間くらいは水族館を見て回ることになるはずだ。

 そこからランチを食べて、土産物屋で買い物をして……となると、時間的には二時半くらいにはなるだろう。


 そこからどうするの? という質問を眼差しで問いかけてみれば、狛哉は小さく笑みを浮かべながらこう答える。


「それが終わったら今日はもう帰ろうか。暗くなる前には森本さんを家まで送りたいしさ」


「あら、もう解散しちゃうの? 折角、あたしと二人きりで過ごせるっていうのに、それを簡単に放棄しちゃっていいわけ?」


「確かにもう少し一緒にいたいって気持ちはあるけど、万が一ってこともあるからさ。明るい内にお出かけを終わらせた方が、森本さんも安心でしょ?」


 からかうようなこだまの言葉に苦笑しつつ、彼女の身を案じた意見を述べる狛哉。

 危険性が低いとわかってても、彼の言う通り万が一ということもある。

 こうしてお出かけに誘っておいてなんだが、こだまの安全を考えるとあまり長々と外出しない方がいいはずだ。


 そういう部分も踏まえて考えたであろう狛哉のデートプランを聞いたこだまは、テーブルに肘をつきながら楽しそうに微笑む。

 そして、ドリンクを飲む彼に向けて、明るい声でこう語り掛けた。


「本当に色々と考えてくれたのね。やるじゃない、ハチ」


「……だって、森本さんに楽しんでほしかったから。嫌なこととかいっぱいあって、気が滅入ってるって言ってたし……そんな中で一日時間をもらえたんだもの、少しでも気晴らしができるように頑張るなんて、当然のことでしょう?」


 自分を楽しませろとこだまに命令されたし、それを忠実に守るつもりだと言ってはいたが、狛哉の心の底にあるのは純粋に今日という日を楽しんでほしいという想いだ。

 友人として、大変な目に遭っているこだまの心を少しでも明るくしたいと願い、そのために尽力するのは当たり前だと述べた彼は、自分の発言に若干の気恥ずかしさを感じながら再びストローへと口を付ける。


「……カッコつけちゃって。似合ってないわよ、ハチ」


「自分でもそんな柄じゃないってのはわかってるよ。だから、あんまりからかわないでほしいな」


 くるくるとトンボでも捕まえるかのように突きつけた人差し指を回しながらそんな狛哉をからかったこだまは、自分から視線を逸らしながら呟いた彼の言葉に口を噤んだ。

 そこから彼の見ていない間にもごもごと口を動かした彼女は、大声を出して狛哉へと言う。


「ランチ! レストランで食事する時は、あたしが奢るわ! チケット買ってもらったし、頑張った駄犬にご褒美を上げるのもご主人様の役目だからね!」


「いいよ、別に。そこはお互いに自分の分を出すってことにしよう。森本さんが僕に食事代を出してもらうのを嫌だって思う気持ちもわかるから、貸し借りなしで楽しくご飯を食べようよ」


「うむむむぅ……!?」


 自分からの提案をやんわりと断った狛哉の発言にこだまが妙な唸りを上げる。

 普段の強情さを発揮してその意見を退ければいいだけの話なのだが、今の彼女はちょっとだけいつもと違っていた。


 単純に、純粋に……自分のために色々と頑張って計画を立ててくれた狛哉へと感謝を伝えるべく食事を奢ろうと考えていた彼女は、それを断られたことでどうすればいいのかわからなくなっているようだ。

 ここで強引に話を進めてもそれは狛哉の迷惑になるだけだし、そうなってしまってはお礼という意味を成さない。

 金銭を用いての感謝は逆に彼の気遣いを無駄にした上、プライドを傷つけるだけになると……そう考えたこだまは、それ以上狛哉に食い下がることなく、黙ってドリンクを飲み始めた。


(何をまごまごしてるのよ、あたしは? 別に、そんなことしなくたって感謝くらい簡単にできるでしょうに……!!)


 食事代を支払うだとか、そういった遠回しな方法にせずとも感謝の気持ちを表すことなんてできるはずだ。

 簡単にいってしまえば、たった一言心の中にある言葉を口にしてしまえばいい。


 とても簡単なことなのに、それだけで狛哉が喜んでくれることを知っているのに……どうしても、それができない。

 そんな自分の弱さに苛立つこだまは、空になったドリンクの容器をテーブルの上に叩きつけるようにして置くと、彼から視線を逸らすようにしてクラゲの水槽を眺め始めた。


(嫌になっちゃうな、本当に。素直になれなくて、かわいげもなくって……)


 この行動もきっと、狛哉の目には自分を急かしているように映っているのだろう。

 誰に対しても強情に接してしまう自分の振る舞いが、決して快く感じられるものではないということはこだまにもわかっている。

 その上で、こんな自分を変えられないことに苛立ちとも悲しみとも違う感情を抱えた彼女が唇を真一文字に結ぶ中、少し遅れてドリンクを飲み終わった狛哉が優しく声をかけてきた。


「ごめんね、遅くなっちゃって。そろそろ行こうか?」


「……ええ、そうしましょう」


 自分の分の容器も一緒にゴミ箱へと捨ててくれた狛哉の気遣いに気付きつつも、それに感謝を伝えることができない。

 本当に嫌になる……と、強がってばかりの自分のダメさ加減にうんざりとしながら、そんな胸中の想いを表に出して狛哉を戸惑わせるわけにはいかないと強く思い直したこだまは、そっと彼に並んで屋外エリアへと歩き出すのであった。

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