第21話 ハチ公、ご主人様に撫でてもらう
「あのっ! も、森本さんが好きなものって、何?」
「……好きなもの?」
「そ、そう! 考えてみればさっき言われた通り、僕は森本さんのことを何も知らないわけで、折角同じクラスになれたんだから仲良くなりたいと思ってさ! あ、でも、もしも森本さんが話したくないっていうのなら別に強要はしないから安心して!」
ちらりとこちらを見やりながら一言だけ発したこだまの反応に大慌てした狛哉はオーバーなリアクションを見せながら一気にそう言う。
その様子がおかしかったのか呆れたのかはわからないが、こだまは小さく笑いながら息を吐くと、彼へとこう返した。
「特別好きって言えるものはないわよ。運動は苦手だし、最近の流行りとかにも興味ない。ゲームとかお喋りも得意じゃないし、アニメとか漫画も別に……って感じ。強いて挙げるなら、動物かしら? 家で何かを飼ってるわけじゃないけどね」
「動物が好き……ってことは、動物園とか水族館も好きなの?」
「……うん、まあね。でも、もう何年も行ってないわ」
こだまが趣味を教えてくれたことに喜びを感じながら、狛哉は彼女と会話を続けていく。
ほんの少しだけとはいえ、彼女がこうして自分に心を開いてくれたことを嬉しく思いながら、彼は今度は自分のことをこだまへと話す。
「僕も動物は嫌いじゃないけど、犬だけは苦手なんだよね。小学生の頃、近所の家で飼ってた大型犬に追いかけ回されたことがあってさ、それが物凄く怖くって、トラウマになってるんだ」
「あはは、何それ? どんなことをしたらそうなるのよ?」
「わからないよ、僕にも。いきなりこっちに突っ込んできたから、逃げるのに必死だったしさ」
「ふふっ! もしかしたら、向こうもあんたのことを仲間だと思ったのかもよ? 遊んでもらおうと思って、駆け寄ってきただけだったりして」
「そうなのかな? だとしたら、あの犬には悪いことしちゃったかも……」
楽しそうに笑うこだまの姿に胸をときめかせる狛哉は、自分もまた彼女と同じように笑みを浮かべて会話を楽しんでいた。
弾む話は馬鹿笑いするような盛り上がりを見せることはなかったが、二人の歩く速度と同じような緩やかさで程良い心地良さを感じさせてくれている。
そうやって話していく内に緊張も解れ、意識せずともこだまと会話ができるようになっていた狛哉であったが、その最中で彼女がぴたりと足を止めた。
「……ここよ、あたしの家。着いたから、もう大丈夫」
「あ、そ、そっか……」
表札に『森本』と書かれた大きな一軒家を指差したこだまの言葉に上手く反応できずに首を縦に振る狛哉。
もうそんなに時間が経っていたのかと思いつつ、何事もなく彼女を家に送り届けられたことに安堵していた彼へとこだまが手招きをする。
こっちへ来い、という命令に従って一歩彼女の方へと踏み出した狛哉は、続いて頭を下げろと言わんばかりの彼女の視線を受けて膝を曲げていく。
困惑しながらしゃがんでいき、彼女の目線よりも下の位置にまで顔を落としていった狛哉は、ちょうどこだまの胸に視線を合わせるようになった辺りで彼女に顔を掴まれる。
ぴたっとその体勢で制止した彼の頭へと手を滑らせたこだまは、小さく息を吸うと優しい声で狛哉のことを撫で始めた。
「偉いわね、ハチ。ご主人様をちゃんと家まで送ってみせたこと、褒めてあげるわ」
「わふぅ……!?」
よしよしと、狛哉の黒い髪を掻き分けながら頭を撫でるこだま。
その手の動きと優しい声色にドキッと心臓を跳ね上げた狛哉が犬の鳴き声のような呻きを漏らす中、彼女は柔らかな笑みを浮かべながらこう続ける。
「いい子、いい子……今日だけは、あんたのことをまともな犬だって認めてあげる。これはそのご褒美よ」
ただ頭を撫でられているだけなのだが、どうにもそれが心地良い。
本当に珍しいことに自分に優しく接してくれるこだまの手の感触が、褒め言葉が、狛哉の心にほのかな温かさを感じさせてくれる。
これは確かにご褒美だと……こだまに優しく接してもらえる一時を静かに堪能する狛哉。
変な意味ではなく、犬が主に褒められる時はこんな幸せを感じているのかと、ほんの少しだけその気持ちに理解を示した彼が瞳を閉じたその瞬間、自分の頭に触れていたこだまの手が離れた。
「……はい、おしまい! いい気分になれたでしょ、ハチ?」
「あ、うん……どうも、ありがとうございました……」
ふるふると頭を振りつつ、しゃがんだ体勢のままこだまを見上げる狛哉がぼ~っとした声で感謝を告げる。
その反応に少しだけ顔を赤らめた彼女は、先程までの優しい声色が一切感じられない普段通りの強気な口調で彼へと叫ぶようにして言った。
「言っておくけど、毎回こんなことをしてあげると思うんじゃないわよ。今日は特別に撫でてあげただけだってことを肝に銘じておきなさい」
「わ、わかってる、わかってるって……」
「ふ~ん? それにしては残念そうな顔してるわよ? そんなにご主人様に撫でてもらえるのが嬉しかったの、ハチ?」
「わふぅ……」
否定はできない、という返答を妙な鳴き声として口にすれば、こだまはどこか満足気な笑みを浮かべて頷いてみせた。
その後、狛哉の額を指で弾いた彼女は、その一発に驚いて立ち上がった彼へとこう言い聞かせる。
「そんなにご褒美が欲しいのなら、あたしの期待に応え続けなさい。忠実で有能な犬としてあたしに仕え続けたら、またこうして撫でてあげる。あんたの働き次第で扱いが変わるんだから、犬のやり甲斐があるってもんでしょう?」
「いや、別に僕はご褒美なんて要らな――」
「素直に撫でられて幸せそうな顔しておいてそんなこと言っても説得力ないわよ? とにかく、あんたはあたしの命令に従えばいいの。そうすればあんたもご褒美がもらえてハッピー、あたしも助かる、お互いWIN-WINってわけ。OK?」
「わ、わかったけど、でも僕は――」
いつも通りに強引で一方的な命令を下したこだまは、それに対する狛哉の意見を聞くことなく玄関へと向かっていった。
その途中、ぴたりと足を止めた彼女は振り返ると、押し黙った彼に向けて言う。
「気を付けて帰りなさい。後、明日も頼むわよ、ハチ」
「え? あ、ちょっと!?」
それだけを言い残し、今度こそ家の中に入ってしまったこだまへと狛哉が素っ頓狂な声を上げる。
なんだかもう自分への接し方がころころ変わるせいでどう彼女に接すればいいのかがわからなくなっている狛哉であったが、こだまが自分のことを信頼してくれていることだけは何となく理解できていた。
「明日も頼む、か……」
まだこだまを襲う恐怖が去ったわけではない。今日のところは何事もなかったというだけで、事態には何の進展もないのだから。
それでも、彼女が別れ際に普段通りの強気な態度を取り戻すことができてよかったと、そのことを喜びながら振り返った狛哉は今度は今来た道を戻っていく。
別にご褒美なんてなくとも、友達としてこだまの力になりたい。男として、女の子を守ることは当然なのだから、それに対する褒美など求めていないというのが彼の本心である。
だが、同時に……彼女に撫でられた際に感じた温もりと心地良さを思い返した時、気持ち悪いと自覚しながらもこう思ってしまったことも確かだ。
「犬になるのも、悪くないな……」
ご褒美目当てではないが、ああして褒められたことは嬉しかった。
とにかく、事態が鎮静化するまでは彼女の番犬としてしっかり下校の際にボディーガードをしようと決意しながら、狛哉はバス停へと続く道を小走りで駆けていくのであった。
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