第20話 ハチ公、ご主人様を家まで送り届ける

 それからそう時間を置かずして、狛哉はこだまと一緒に彼女の家から最も近い停留所でバスを降りていた。

 先んじてステップを降りて周囲に人影がないことを確認した彼は、背後に立つこだまへと手を差し伸べて口を開く。


「安心して、周りに怪しい人はいないみたい」


「そう……で? この手は何なのかしら?」


「え? あっ、ごめん……」


 馬車から降りるお姫様をエスコートするような狛哉の行動にこだまがツッコミを入れる。

 自分でも意識しない内に妙な行動を取っていたことを恥じた狛哉が手を引っ込める中、彼女はクスクスと笑うと軽快にバスから降りてこう言った。


「あたしのことを気遣うのはいいけどね、そこまでする必要はないわよ。ま、あんたがご主人様を一生懸命守ろうとしてる証だと思って、これ以上はとやかく言うつもりはないけどね」


 こだまの言葉を聞きながら、恥ずかしそうに俯く狛哉。

 このバス停に自分たち以外の人間がいないことだけが救いだと思いながら、彼は気持ちと話題を切り替えるべくこだまへと質問を投げかける。


「そ、それで、ここから森本さんの家まではどのくらいかかるの? 人通りとかは多い方?」


「……大体十分くらいよ。住宅街を突っ切る形になるから、人通りが少ない場所を通ることもないわ」


 ちょいちょい、と手招きをしてついて来いと無言で命令するこだま。

 彼女の招きに従って歩き始めた狛哉は、周囲の状況をつぶさに観察し、怪しい人影がいないか確認していく。


 時間的にはまだ日も登っているし、こだまの言う通り住宅街を歩く形になるのだから何かあった時に助けてくれる人はいるだろうが……それでも警戒しておくに越したことはない。

 物陰から不審者が飛び出してくるかもしれないし、車で彼女を連れ去ろうとする輩が現れるかも……というふうに周囲を見回す狛哉に対して、小さくため息を吐いたこだまが言う。


「大丈夫よ、ハチ。今のところ、変な感じはしないわ。あんたの言った通り、まだストーカーはあたしの最寄りのバス停とか家の場所を掴んでないみたい」


 だからそんなふうにきょろきょろと周りを見回しながら歩くのはやめろと、こだまが暗に狛哉へと告げる。

 再び彼女の命令に従った狛哉はちょっとだけ安心すると共に、こだまの家に続く道を歩きながら何を話せばいいのかわからずに困惑していた。


(む、無言のまま並んで歩くっていうのも妙な話だし、楽しい話で少しでも森本さんの気持ちを明るくしてあげるべきだよな……)


 主目的が家までのボディーガードだとしても、自分たちは同じ学校に通うクラスメイト。

 ならば少しくらいは砕けた会話をして、この帰り道で過ごす時間を楽しく彩った方がいいに決まっている。


 ストーカーの影に怯えるこだまの気分を明るくするためにも楽しい話題を提供しなくてはと考える狛哉であったが、残念なことに彼にはそれを可能にするトークスキルを持ち合わせていないようだ。


 面白い体験談も彼女と共有できるような話題もない。

 そもそもこだまのことをよく知らないのだから、どんな話を好むのかも彼はわかっていないのだ。


 巧みな話術を持つ人間ならばこの状況でも場を盛り上げることができるのだろうな……と、そうした技術を有していない自分を呪いながらそんなことを考えた狛哉がそれでも必死に話題を探していると……。


「……悪かったわね。さっき、気持ち悪いとか言っちゃって」


「え……?」


 やや伏し目がちになりながら口を開いたこだまの言葉を耳にして、ぽかんとした表情を浮かべる狛哉。

 強気で傲慢な彼女の口から飛び出した謝罪の言葉に彼が本日最大の困惑を抱く中、その感情を読み取ったこだまが顔を歪ませながらこう続ける。


「何? あたしが謝るのがそんなに不思議? 我がままで意地悪で勝気な女が素直に謝罪するなんて驚きだって顔に書いてあるわよ?」


「い、いや、そんなことは……」


「動揺するんじゃないわよ! まったく、ご主人様があんたを想ってこう言ってやってんのに、本当にデリカシーがない駄犬なんだから……!!」


 狛哉の反応を目にしたこだまがぷんすかと頭から湯気を出すかのように怒りを表す。

 折角、自分が非を認めて謝ってやったのにその反応は何なのだと……そう不満を訴える彼女の意見もご尤もだと判断した狛哉は、苦笑を浮かべながら逆に謝罪の言葉を口にした。


「ごめん。ちょっと驚いちゃって……でも、森本さんが謝る必要なんてないよ。確かにあの時の僕、気持ち悪かったと思うしさ」


 ハンバーガーショップでのやり取りを振り返った狛哉が自分の物言いを自虐的に評価する。

 いくら様子が変なこだまから事情を聞き出すためとはいえ、出会って間もない自分が彼女の言動を警察官か探偵であるかのように観察しつつその違和感を指摘するというのは、些か気味の悪いことに思えた。


「森本さんが本当に悩んでたからよかったけどさ、そうじゃなかったら僕、ただの気色悪い変態だったもの。それに、森本さんに凄く失礼なことを言ってたことになっちゃってたね」


「……そうかもね。でも、あんたはあんたなりにあたしのことを心配してくれてた。昨日の朝のこともそうだけど……カッとなって酷いこと言っちゃって、ごめんなさい。悪かったと思ってるわ」


 こちらが謝罪したはずなのに逆に謝られているという状況に多少戸惑いつつ、改めて謝罪の言葉を狛哉へと告げるこだま。

 繰り返し自分に謝罪する彼女の姿から結構本気で自分に対する罪悪感を覚えていることを感じ取った狛哉は、幾度となく浴びせ掛けられた暴言を笑って流すかのように言う。


「大丈夫だよ、僕は気にしてないから。森本さんも不安で気持ちが乱れてたんだろうし、仕方がないって」


「……そう」


 あんまりにも軽く自分の暴言を許されたこだまは、そこからどう話を続ければいいのかがわからなくなってしまったようだ。

 狛哉の方もここで会話が途切れたら気まずいなとは思いつつも次なる話題を見つけられていないようで、そこから二人は暫し無言の時間を過ごすことになってしまう。


 十秒、二十秒、三十秒……と続く沈黙に耐えきれなくなった狛哉は、意を決して隣を歩くこだまへと声をかけた。

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