第6話 ハチ公、ご主人様と連絡先を交換する

「……ん」


「はい……?」


 ずいっと、自分たちのハンバーガーが乗るトレイとトレイの中間に自分のスマートフォンを置いたこだまが、小さな唸りと共に狛哉を睨む。

 その行動の意味がわからずぽかんとした表情を浮かべている狛哉を更に強く睨みつけた彼女は、淡々とした口調で彼にこんな命令を出してきた。


「さっさとコード読み取って、あたしの連絡先を登録しなさい。んで、メッセージを送る。このくらいのこと、言われずとも理解しなさいよ」


「えっ? い、いいの……?」


「別に減るものじゃあないんだから構わないわよ。それに、飼い犬をすぐに呼び出せた方が何かと便利そうだしね」


 そう言ってからストローを咥えたこだまがドリンクで喉を潤す。

 あっさりとしたその態度と、彼女の方から連絡先の交換を提案してきたことに驚いた狛哉であったが、ここでもたもたしてはまたこだまに叱責されかねないと考え、彼女の命令に従うことにした。


 紙ナプキンで手を拭いて綺麗にしつつ、こだまから預かったスマートフォンを手に取る狛哉。

 同時に自分のスマホを取り出した彼は、通話アプリを起動すると画面に表示されているコードを読み取り、こだまの連絡先を登録する。

 そうしてから今度は自分の連絡先を登録させるためにメッセージを送信したところで、狛哉はこだまへと預かっていたスマートフォンを返却した。


「メッセージ、送っておいたよ。確認お願いね」


「やればできるじゃない。ご主人様の私物に触る前に手も綺麗にしてたし、その辺のことは弁えてるみたいね」


 狛哉の手から自身のスマートフォンを受け取ったこだまが僅かに機嫌を回復させた声で言う。

 ポチポチと画面をタップし、狛哉の連絡先を登録するための作業を行っているであろう彼女のことを暫し見つめていた狛哉は、意を決すると右手を小さく上げながら口を開く。


「あの、森本さんって明日も今日と同じ時間のバスに乗るの? 時間、ずらしたりする?」


「……何でそんなことを聞くのかしら?」


「いや、やっぱり今朝みたいなことがあったから、心配で……」


「はぁ~……あんたね、あたしが教室で言ったこともう忘れたの? あの程度のトラブルならあたし一人で十分に対応できる。今日だって特別に見逃してやっただけで、普段だったら――」


「わかってる、わかってます。これは森本さんを舐めてるとか見くびってるってわけじゃあなくって、気弱な僕が純粋に心配してるだけなんだ。僕が何かをすることで森本さんが少しでも安全に登校できるのならそうしたいって、お節介な僕が勝手にそう思ってるだけだから」


 呆れと怒りを混在させた表情を浮かべて言い返そうとするこだまに対して、狛哉はへり下った態度でそう述べる。

 自分の言葉を尊重した上で純然たる心配の感情をぶつけてきたお人好しな彼の反応に、流石のこだまも驚いているようだ。


「正直、最初は気まずいと思ったし、顔を合わせないようにするために僕の方から登校時間をずらそうかとも思ったけどさ、ここまで仲良くなった相手がまたあんな目に遭うかもって考えたら、放ってはおけないよ。余計なお世話かもしれないけど、何かあった時に森本さんを助けられるようにさせてほしい」


「……そんな気遣い必要ない。余計な真似すんな、ってあたしが言ったら、あんたはどうするの?」


 試すように、反応を窺うように、そんな質問を投げかけるこだま。

 彼女からの問いかけに暫し悩んだ後、狛哉が口にしたのは、たった二文字の返答とそこから続く自身の行動の解説だった。


、って答える。それで、また同じ時間にバスに乗るよ」


「……は?」


 先程、自分にスマートフォンを差し出された際に彼が浮かべていたようなぽかんとした表情を浮かべたこだまがわけがわからないとばかりの声を漏らす。

 そんな彼女に対して、狛哉は丁寧にこれまでの命令を踏まえた上での自分の判断を説明していく。


「森本さんが言ったんじゃないか、ご主人様の命令にははいかYESかワンで答えろって。だから、ワン。ただしこれは承諾したって意味じゃなくて、その命令には従えないって意味のワンね。僕は明日も同じ時間にバスに乗って、もしも森本さんがトラブルに巻き込まれてたら余計だって言われても助ける。時間をずらされてたら森本さんが痴漢に遭う可能性は低くなるわけだし、それならそれで問題はないわけだ」


「はぁ……? あんた、あんたねえ。ホント、あんたって奴は……」


 従順なんだか恐れ知らずなのだかわからない妙な回答で自分の意志を貫くことを告げる狛哉に対して、こだまは呆れてものも言えないようだ。

 彼女からありとあらゆる罵倒を浴びせられ、もう一発か二発の鉄拳制裁をくらうことも覚悟していた狛哉であったが……カクン、と肩の力を抜いたこだまは、急に全てが馬鹿らしくなったとばかりに気を抜くと、クスクスと声を上げて笑い始めた。


「ふ、ふふふ……っ! 本っ当に駄犬中の駄犬ね、あんた。でも、ご主人様想いなところは評価してあげる。馬鹿で間抜けなダメ犬だけど、そこがあんたの良いところなのかもね」


 自分のダメな部分を隠そうとしない。気弱だと自称しているくせに図々しくて、余計なことばっかりする。

 だけど、そういう愚直なところがどうにも自分の心に刺さってしまうのだと、そう狛哉に告げたこだまは彼に人差し指を突きつけながら、微笑みを浮かべて言った。


「そこまで言うんだったら、あたしの犬としてご主人様をしっかり守ってみせなさい! それができたらあんたを認めてあげるわ! あたしの期待を裏切るんじゃないわよ、ハチ!」


 ほんの少しだけ、柔らかな素顔を見せると共に自分に心を開いてくれたこだまの笑顔を見た狛哉は、ご主人様と犬という奇妙な自分たちの友人関係をやっぱり疑問に思っている。

 だが、しかし……これはこれで面白いのかもしれないと思いながら、彼女の期待に応えることで少しずつ心の距離を詰めていこうと決意した彼が、小さく笑みを浮かべながらおどけた様子でこだまにこう答えるのであった。


「……ワン!」

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