第5話 ハチ公、ご主人様からご褒美をもらう

「エビカツバーガーとビッグバーガーをご注文のお客様、お待たせいたしました~!」


「あ、はい。ありがとうございます」


 そして迎えた放課後、こだまに連れられて駅前のハンバーガーショップにやって来た狛哉は、彼女の分も含めて二つ分のトレイを持って階段を上っていた。

 多少バランスが悪いなと思いつつ細いそれを上がり切った彼は、先に席を取っていたこだまの下へと向かっていく。


「はい、どうぞ。って、奢ってもらった僕がこう言うのも変な話だけどさ」


 コトン、と音を立てながらこだまが注文したハンバーガーが乗っているトレイをカウンターへと起き、隣の席へ。

 向かい合うテーブル席ではなく、横並びのカウンター席が空いていて助かったと……まだ彼女と顔を合わせて食事するだけの度胸はない狛哉がそんなことを考えながら椅子に座った途端、くるりと丸椅子の上で九十度回転したこだまが彼の方へと体を向け、口を開いた


「よく聞きなさい、ハチ。これはあなたへのご褒美でもあるけど、それと同時に口止め料でもあるの。約束しなさい。今朝のことは絶対に誰にも言わない、言いふらさない……わかったわね?」


「最初からそのつもりだよ。口止め料なんて貰わなくったって、森本さんを傷つけたり恥をかかせるような真似をするつもりなんてないから。これはデリケートな問題だし、それを言いふらすことなんて僕だってしたくないもの」


「……わかってるならいいわ。ただ、ついうっかり口が滑ったりしたら……酷い目に遭うわよ?」


 恫喝するように狛哉を睨みつけるこだまであったが、正直にいうとあんまり怖くない。

 強気な態度で自分を振り回す彼女のことはまだ少し苦手だが、それが素直になれない彼女の強がりだということも僅かにだが理解できるようになった。


 これを彼女にそのまま言えば怒りながら否定されてしまうだろうが、こだまはただ不安なだけなのだろう。

 高校入学の日に直面した不幸な出来事がクラスメイトたちに知られれば、あまりよろしくない意味で彼らの注目を集めることになる。

 いくら強気な彼女でも、まだ自分と同じ十五歳の子供だ。乙女の繊細な心がそういった同級生たちの奇異の視線で傷つくことは狛哉にだって容易に想像できた。


 だから狛哉は、呆れたりうんざりした様子を見せることなく、彼女へと向き直る。

 自分を見上げる二つの瞳をしっかりと見つめ返し、真剣な表情を見せながら、彼はこだまへとはっきりとした口調でこう告げた。


「絶対に、誰にも言わないよ。秘密は必ず守るから」


「っ……!」


 大真面目にそう告げる狛哉の態度に面食らったこだまが目を見開き、小さく息を飲む。

 自分を真っ直ぐに見つめる彼の視線から逃れるように顔を背けた彼女は、カウンター席に向き直ると押し黙ったままハンバーガーの包み紙を開けながらぼそりと呟くようにして狛哉へと言った。


「……もうはしなくていいわよ。ぼさっとしてないで、あんたも食べなさい」


「はい。じゃあ、ご馳走になります」


 これで少しでも自分の誠意が伝わって、こだまが安心してくれればいいのだがと思いながら、彼女の好意に甘える狛哉。

 ここからは同級生として親交を深めつつ、楽しくお喋りをしていこうと考える彼へと、こだまがちらりと横目で様子を窺いながら声をかける。


「あんた、エビカツが好きなんだ。犬の癖に肉じゃなくて魚介類の方が好みだなんて、意外」


「念のために言っておくけど、僕のことを犬扱いしてるのは森本さんだけだからね? それに、森本さんだってそんなに小さいのにビッグバーガーを頼んでるじゃない」


「はぁ? 何よ? なんか文句あるわけ? 大食いの癖に体は小さいんだなとか、胸と尻にばっかり栄養が行くから背が伸びないんだろうなとか考えてたらぶっ飛ばすわよ?」


「そ、そこまで言ってないし、考えてもないって! ただ、注文を受けた店員さんは絶対に勘違いしてるだろうな~って思っただけだよ!」


 パティが二枚、チーズもレタスもトマトもたっぷり入っている食べ応え抜群の大きなハンバーガーを頬張るこだまの威圧感に負けた狛哉が、必死に誤魔化しの言葉を口にする。

 実際、狛哉は彼女が言ったようなことは一切考えていなかったのだが、彼に対する怒りの心を燃え上がらせるこだまはぶーたれながらやけ食い気味に自分の分のバーガーをがっつきつつ、叱責とも愚痴とも取れることを言い始める。


「朝の痴漢も、さっきクラスで話しかけてきた奴も、男ってどいつもこいつも人の顔より胸と尻を見てきて、気持ち悪いったらありゃしないわ。本当に腹が立つ!」

 

「あの、一応僕もその男なんですけど……」


「知ってるわよ。だからあんたもあたしに嫌われたくなかったらデリカシーのない真似をするなって言ってるの。要するに躾よ、躾。駄犬ハチ公に対するご主人様からのありがたい忠告ってやつ」


「あたしに嫌われたくなかったら……ってことは、少なくとも森本さんは今のところは僕のことを好いてくれてるってこと? ぐげぇっ!?」


 こだまが発した何気ない一言について気になった狛哉が若干の反撃の意味も込めてそんな質問を投げかけてみれば、一拍間が空いた後に彼女からの左ストレートが返事として脇腹に叩き込まれた。

 幸い、口に何も含んでいなかったお陰で醜態を晒すことは避けられたが、こだまの機嫌は一層悪くなってしまったようだ。


「あたしは今、デリカシーのない真似をするなって言ったばかりなんだけど、あなたの耳は飾りなのかしら? それとも、あたしの言いつけが理解できない残念な頭ってこと?」


「ご、ごめん。つい、うっかり……」


「今回は初めての失敗だからこの一発で許してあげる。でも、次に余計なことを言ったら、ギッタンギッタンのボッコボコにするから。いいわね、ハチ?」


「は、はい……」


 先程の口止めの時はあまり怖くなかったが、今のこだまは物凄く怖い。

 体型の話が彼女の地雷であるということを知った狛哉は、もう二度とこの件について触れないようにしようと肝に銘じると共に、割と本格的に自分がこだまに躾けられていることに気が付く。


 どうして出会って半日も経っていないのにこんなパワーバランスが形成されてしまったのかと、彼女との妙な関係性に狛哉が疑問を感じていると――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る