短編小説集~異世界ファンタジーの章~

夢現

剣狼と瞳の女王

旅路編

 

「貴方様のお力を、わたくしに貸していただけませんか?」


 そう言って微笑む女の瞳は、こちらを見ていなかった。

「報酬は、如何様にも。わたくしをわたくしの望む場所へ、連れていってくださるだけでよいのです。」

 どうか。と女はまた笑う。その顔しか、出来ないように。

「・・・わかった。」

 何故あからさまに訳有りの女の願いに応えてしまったのか、私にもわからない。だが面倒ごとになるようならば、排除してしまえばいい。

 女の行きたいと言う場所は、ここからかなり遠い場所だ。記憶によれば、とある国があった場所だ。

「何故、そこへ。」

「話すようなことでもありません。」

「そうか。」

「・・・聞かないのですね。」

「聞かれたくないことなのだろう。」

 どうでもいい。この女がどこへ行きたいのかも、何をしたいのかも。なにもかも、どうでもいい。

 女がついて来ていることを一瞬だけ振り向いて確認してから雑踏をすり抜け始めると、女の声が追いかけてくる。

「わたくしは、貴方様をなんと呼べばいいのでしょう。」

「シュヴェアーツ、と呼ばれている。」

シュヴェアーツ。良い名です。」

「そちらは。」

「そうですね、わたくしはシーラ、と呼ばれます。」

「そう呼べばいいか。」

「はい。」

 しゃらしゃらと、シーラの纏う衣の飾りが鳴る。もう1つ、こちらを付ける足音も。

 町を抜け、近場の森に差し掛かったところでシーラを制する。

「もしかして、わたくしの服装は目立つのですか?」

「場違いではある。」

「身ぐるみ剥いでやるから覚悟しろ!」

 小虫が何か鳴いていた。体内に納めていた剣を取り出し、振る。空気が一気に金臭くなった。

 まだ小虫は残っている。1歩踏み込み、剣を閃かせる。四肢が千切れ、首が飛び、森の緑が赤に侵食される。

「シュヴェアーツ。まだ、そちらに。」

「知っている。」

 剣を振るって生じた風を刃に変え、隠れた木ごと両断した。血溜まりの外に立つシーラを振り返る。

「見えないわりに、よく。それが貴女の魔術か、瞳の魔術師シーラ。」

「いいえ。わたくしの魔術はもっと別のもの。」

 衣の飾りが緩く鳴る。剣はまだ、納めない。

「やはり貴方も魔術師だったのですね、剣の魔術師シュヴェアーツ。」

 薄絹越しの深く澄んだ紫の瞳は、こちらを向きながらこちらを映さない。どこか遠くを見つめる瞳。

 シーラの喉元に剣を突き付けても、恐れる様子はない。当然だ。

盲目・・の貴女が瞳の魔術を使うとは。」

「皮肉な話でしょう?」

 嘲りにも似た笑顔を浮かべて、シーラは血溜まりの中に足を踏み入れた。

「少しだけお話しますと、わたくしがここにいるのも、わたくしがかの地へ向かいたいのも、全ての理由はこの瞳。」

 深紅の泥濘を散歩するような足取りで歩き、渡りきったその場所でシーラは振り返った。

「参りましょう、シュヴェアーツ。わたくしが盲目であろうと、魔術師であろうと。貴方には『どうでもいい』ことでしょう?」

「ああ。」

 剣を体内に納めながら血溜まりを踏み越え、シーラの隣に並ぶ。

「護衛を引き受けた以上、貴女の命は守る。」

「それで結構です。」

 しゃらしゃらと、シーラの纏う衣の飾りが鳴る。聞く者は、森と獣と屍と、それから1人の剣の魔術師。

「次の町で着替えた方がいいでしょうか・・・。」

「好きな服でいればいい。」

「頼もしいですね。」

 結局、シーラの歩みの遅さに苛立ち途中から抱えて移動した。

 街道の途中にある町に入ろうとすると、何故か止められる。

「邪魔だ。」

 小虫どもを睨むが、少し青ざめながらも退こうとしない。

「向こうで話を聞かせてもらおうか。」

 ああ邪魔だ、面倒だ。小虫は潰してしまうに限る。

 指を揃え、己の手を刃として。周囲に群がる小虫どもを切り裂こうとしたとき、やんわりと手を押し止められた。

「いけません。」

「何故止める。」

「無益な殺生は、すべきでありません。・・・ここは、わたくしに任せてください。」

 シーラは私の手を抑えたまま、小虫どもに微笑みかけたようだった。目を隠すように被いた淡紫の薄絹をずらし、その瞳で小虫を見る。

「彼はわたくしの雇った護衛。怪しい者ではありません。どうか、通してくださいな。」

 小虫どもがシーラの言葉に従い退く。シーラが、瞳の魔術を使ったのだろう。

「シュヴェアーツ。さあ。」

「・・・ああ。」

 シーラを抱えたまま小虫どもの前を通り過ぎて、宿を探す。部屋に鍵のかかる宿を見付け、取った部屋でシーラを下ろした。

「運んでくれてありがとうございます、シュヴェアーツ。重くはなかったですか?」

「軽すぎる。」

「何と応じればいいのか微妙な回答ですね。」

 苦笑気味なシーラを見下ろし、1つ問う。

「何故、止めた。」

「・・・先程のことですか。そういえば、きちんと答えていませんでしたね。」

 惑わすように、ゆらゆらと頭を揺らす。衣の飾りがしゃらしゃらと鳴って、部屋の中で反響する。

 不意にシーラは私の手を取って、己の細首に当てた。皮膚の下に、命の息吹を感じる。

「わたくし、貴方が怖いのです。」

 予想もつかぬ答えだった。雇ったのは自分である癖に、私が怖いと言う。

 シーラは私の人差し指を伸ばさせて、自身の喉の脈打つところ、呼吸をするところとなぞらせる。

「わたくしの魔術は、とても強いものです。魔力も沢山あります。でも、わたくしはこんなにもひ弱なのです。」

 細い首。今私が力一杯握れば、簡単に潰すことが出来るだろう。

「貴方が無造作に命を奪う様を視ると、もしもわたくしにそれが向いたら、と恐ろしくなってしまうのです。」

 ひとというものは、案外敏感らしい。きっとシーラは、私が自分のことを邪魔に思えば何の躊躇いもなく殺すであろうことを感じ取ったのだろう。

 シーラを殺す姿を想像してみる。血溜まりに眠る彼女を幻視すれば、虚しさとは違ったものを感じた。

 細い首を包み込み、親指の腹でシーラになぞらせられたところを撫でる。シーラの肩が少し跳ね、己の首を包む私の手に自分のそれを触れさせた。

「シュヴェアーツ?」

 親指の腹を、脈打つところの真上で止めた。自分よりはるかに小さな身体は、怖れに強張っている。

 ほんの少し指に力を込めてみて、私は己の内側に目を向けた。

 やはり心の内に満ちるのは、知らぬ感情。

 首から手を離し、薄く付いた赤い跡に唇を寄せる。

「私は貴女を殺さない。」

「何故?」

「貴女を殺すところを想像すると、貴女の命に触れてみると、私にもよく分からない感情を感じた。・・・それが何かを知るまでは、少なくとも殺さない。」

「そうですか。・・・信じますよ、シュヴェアーツ。」

 その微笑みは、何度も見たはずのそれとは違って見える。それもこの、訳の分からない感情のせいなのか。

 不快ではなく、僅かな快感を感じるのが不思議だった。

 翌日宿を出て、シーラの目的地へ向かう。シーラの歩みが遅いことは分かっている。だから始めから抱えて歩いた。

「・・・シュヴェアーツ。」

「問題ない。」

「魔術師もいるようですが。」

「問題ない。」

 私の用いる剣の魔術は、魔術であろうが何だろうが切り裂く。シーラの扱うような形無き魔術は別だが、その場合は魔術師を排除すればいい。

「結界は。」

「一応張ることは出来ます。」

「その中で、大人しくしていてくれればいい。」

「分かりました。気をつけてくださいね。」

 人差し指の先を噛んで傷を付け、伝う血液を剣と成す。数十本を同時に整形し、飛ばした。

 血の剣を避けた者を取り出した剣で切り払っていると、横合いから炎が飛んできた。魔術に由るものだろうが、関係はない。剣で切り散らして、血の剣を飛ばす。

 手応えはあった。恐らくもう動けはしない。だが、魔術師は今際の際でも何かしてくることがある。

 念のためもう数本血の剣を飛ばしておいて、他の小虫の駆除に取り掛かった。

「待たせた。」

「いいえ、そんなには。・・・・・生きている者は、いないようですね。」

「害なす者は全て排除した。」

 そう言って、ふと思い出す。

「敵意無き者は、生かすべきだった?」

「シュヴェアーツ、貴方案外根に持つ人だったのですね?」

 思い出したから、言ってみただけなのだが。

「わたくし確かに、無益な殺生は避けるべきと言いましたけれど、己の命を賭けてまで貫き通すことでもないと思うのです。だってわたくし、死にたくないのですから。」

 不意にシーラが揶揄うように微笑む。被くその布を少し捲って、間に何も挟まずその畏ろしい瞳を私に向けた。

「貴方には『どうでもいい』ことでしたか? シュヴェアーツ。」

「・・・・・。」

 私は私自身のことすらよく分からない。しかし、少しばかり物申したかった。

 シーラの軽すぎる身体を抱え上げ、近くから瞳を覗き込む。

「貴女は、どうでもよくないようだ。」

 シーラは驚いたような顔をして、少し身を引いた。そうして何故か、私の顔に向かって手を伸ばしてきた。

 ふらふらとさ迷いながら伸びてくる手を私の頬に導いてやると、シーラは確かめるように私の顔を撫で始めた。

 瞼を撫で、鼻筋をなぞり、また頬に手を当てる。シーラは親指の腹で私の頬骨に触れながら、楽しげに笑っている。

「シュヴェアーツ、貴方結構男前ですね。」

 これまでの経験から、自身の顔や姿が一般的に美しいと言えるものであることは知っていたが、シーラに言われると妙に新鮮であった。

「触らせてくれてありがとうございます、シュヴェアーツ。」

「触れたいのならば、いくらでも。」

「ありがとうございます。───さあ、参りましょうか。道のりは長いのですから。」

「ああ。」

「・・・歩かせてはくれないのですか?」

「シーラ、貴女の歩みは遅い。それを自覚すべきだ。」

「・・・シュヴェアーツ、ひどいです。」

 これ以上の問答は無用と判断し、返事をせずに歩き始めた。

 そこからの旅路は、代わり映えのないものだった。シーラを抱えて街道を行き、群がる小虫は排除する。

 町に着けば休息を取り、旅に必要な物資を買い込みまた街道を行く。道中に狩った魔物を売り払えば路銀に困ることはなかったし、シーラは分別がある。護衛されなれていると言えばよいのか、ただ見えないから大人しいだけなのか。

 それこそ正に、どうでもいいことだった。

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