エピローグ

「……そうか。シェイエルンでの任務は成功したか。それは良かった」


 そう言って満足そうに頷いたのはグラーセン宰相・スタールだった。


この日、ユリカたちから報告を受け取るため、参謀本部に足を運んだスタール。ユリカとクラウスからシェイエルンでの活動を説明されて、その結果に満足しているようだ。


「あちらからも同じような報告を受けている。悪くない結果だ。ご苦労だった」


 そう言うとスタールはクラウスに視線を向けた。


「クラウスくん。君もよく働いてくれたようだ。改めて、お礼を言わせてもらう」


「あ、いえ。これは仕事であってお礼を言われるようなことではありません」


「ああ、違う違う。今のお礼はハルトブルク家の当主としてのお礼だ」


 何のことかとクラウスが怪訝に思っていると、スタールはユリカを顔を見合わせて、お互いに笑みを零した。


「孫娘を守ってくれたのだ。祖父としてお礼を言うのは、当然だろう?」 


 ……ああ、なるほど。今のは宰相としてではなく、『ユリカのおじい様』からの言葉だというわけだ。これでは受け取らないわけにはいかない。


「いえ、私もお嬢様には何度も助けられてます。私からもお礼を」


 クラウスがそれだけ言うと、ユリカたちはまた笑った。


「ふむ。ところでお礼をしたいところなのだが……クラウスくん。君は王国議会に来たことはあるだろうか?」


「議会ですか?」


 王国議会はグラーセンの各地区から選出された議員が政治を行う場である。普通なら足を踏み入れるような場所ではない。もちろん、それはクラウスも例外ではない。


「いえ、さすがに入ったことはありません」


「そうか。それだったら今度、議会に来ないか?」


 まるでピクニックに誘うような気軽さだった。スタールの言葉にさすがのクラウスもしばし停止してしまった。その様子をユリカがクスクス笑った。


「議会に、ですか?」


「うん。今度議会が招集されるんだが、ぜひ見学に来てほしい」


 議会に行くというのも貴重な経験だ。クラウスも興味を惹かれるのは当然だった。しかし議会が招集される日に見学に行くというのも、さすがに気が引けた。


「いや、確かに興味はありますが……さすがに場違いではありませんか?」


 固辞しようとするクラウス。するとユリカがそんな彼を引き留めた。


「行きましょう、クラウス。おじい様の晴れの舞台よ」


「晴れ舞台?」


 どういうことだろう? クラウスが考えていると、スタールが一言付け加えた。


「議会が開かれる時、宰相が演説をすることが習わしでね。私がすることになっているんだ」


 そこでスタールがニヤリと笑った。


「……帝国の第一歩となる演説をね」


 その言葉にクラウスに電流が走る。つまり宰相はそこで、クロイツ帝国統一を発表する気なのだ。


「……それはつまり、帝国統一を正式に公表する、と?」


「どうだ。見て見たいと、思わないか?」


 それは歴史書に記される一ページ。歴史に残される言葉が生まれる瞬間。その場に立ち会わないかと誘われているのだ。


 そんなの、答えは決まり切っている。


「ぜひ、行かせてください」


 クラウスが身を乗り出していた。興奮で冷静さすら失いかけていた。そんな彼の姿が面白くて、ユリカはにんまりと笑うのだった。彼女も同じ気持ちであり、心が震えていた。


 その二人を見てスタールが笑う。


「チケットは二人分でいいかな?」




 王国議会。グラーセン王国の政治の中枢であり、ここで王国の政治が決定される。この日は議会が開かれる特別な日であり、議員の全てがここに召集された。


 その著名なる人々を目の当たりにしながら、クラウスは変な感覚に陥っていた。いわゆる静かな興奮という奴だった。


「ここが王国議会か……初めて見るが、歩くのが畏れ多いな」


 歴史と権威が形となったような議会をクラウスはじっくりと眺めていた。そんな彼に対して、ユリカは慣れ親しんだように歩き回った。


「ほらほら、立ち止まったら周りの邪魔になるわ。早く行きましょう」


「お、おい。待ってくれ」


 慌ててユリカの後を追うクラウス。彼女もこの日のために最高の礼服を着て議会に登場していた。やはりハルトブルク家の人間だけあって、気品に溢れていた。


 そんな彼女を見て、クラウスは意外なものを見つけた。彼女の首元に光るものがあった。


「ユリカ、それって……」


「ああ、これ? あなたがシェイエルンで買ってくれたネックレスよ」


 シェイエルンを思い出す。シェイエルンの雑貨屋で、クラウスは青い十字架のネックレスをユリカに贈っていた。彼女はそのネックレスを身に着けて歩いていた。


 不思議に思う。彼女によく似合ってはいるのだが、このような正式な場で着用するようなものではないはずだ。それでなくとも彼女なら他に立派な装飾品を持っているはずだ。それなのにそのネックレスを身に着けている。クラウスは疑問に思った。


「ユリカ。他にもっといいネックレスがあるだろう? どうしてそれを?」


「あら? どうして? もしかして似合わない?」


「え、いや。良く似合っているけど……」


「そう。ならよかった」


 ユリカはそう言うと、上機嫌でまた歩き出す。鼻歌さえ聞こえてきそうな雰囲気だった。


 よくわからない。そんな印象を受けたクラウスは首を傾げるのだった。



 

 議場の席が埋まる。議員が談笑を交わしながら開会を待っていた。その様子を聴衆席からクラウスたちが眺めていた。


「あ、見て」


 隣でユリカが声を上げた。その視線の先を追うと、スタールが姿が見えた。


 いや、そこにいるのは王国宰相・スタールだった。そのスタールの姿をクラウスは息を飲んで見つめた。


 ただ迫力のある姿だった。国政を担い、王国幾万の民を守る宰相としての姿。その彼が姿を現すと、それまで談笑していた議員が立ち上がり、拍手で彼を迎えた。


 その拍手に応えながら、スタールが演説台に向かった。


 スタールが演説台に立つと、議員は着席した。全員が揃ったことを確認して、スタールが宣言した。


「これより、グラーセン王国議会の開催を宣言する。まず、招集に応じてくれた議員諸君には感謝を申し上げる」


 スタールの言葉に議員から拍手が起こる。拍手が収まるのを待ってから、スタールがまた演説を再開した。


「今回私が申し上げたいのは、わがグラーセン王国が何を目指し、どこへ向かうべきかということです」


 議会が静まり返る。人々は宰相の次の言葉を待った。宰相ははっきりと言葉を紡いだ。


「グラーセンが向かうべき場所。それはかつてあった我が故郷であるとお伝えします」


 その言葉にざわめきが起こる。かつてあった我が故郷。その言葉の意味を測りかね、議員の間で混乱が起きていた。そんな彼らにスタールがさらに続ける。


「要するに、我がグラーセンはかつてのクロイツ帝国への復帰を目指すべきだと私は考えております」


 その瞬間、ざわめきが沸騰した。議員の間には自分の耳を疑う者もいるようだ。


「閣下! それはつまり政府はクロイツ帝国の復活を計画していると、そういうことですか!?」


 議員の一人が質問を飛ばす。その問いかけにスタールはコクンと頷く。


「その通りです。それは我がグラーセンだけではありません。かつてクロイツ帝国の構成国も集まり、同じ帝国として統一する。それを我がグラーセンの力によって成し遂げる。それこそが我が王国に課せられた使命であると、私は考えます」


 初めて公表される王国の意志に、人々はそれぞれの反応を示した。ある者は動揺し、ある者は顔をしかめ、そしてそれ以外の者はスタールの言葉を受け止め、反芻するように沈黙した。


「無論、統一は簡単には成し得ないでしょう。多くの困難があり、多くの障壁が立ちふさがるでしょう。ですが、決してそれは不可能ではないと、私は確信します。帝国の統一は、鉄と血によって成し遂げられるでしょう」


 鉄と血。その不穏な言葉に議員が動揺する。統一のために血の犠牲が必要なのか? 宰相はそれを人々に求めると言うのか? 議員がそう考える中、スタールはそうではないと答えた。


「かつてグラーセンをはじめとする帝国の構成国は、鋼鉄のごとき結束と、兄弟のごとき血のつながりを持っていました。そして、それは今も我々の中に残っているはずです。私はそこに統一を成し遂げる力があると信じます」


 鋼鉄の結束と血のつながり。その言葉が人々の間に流れた時、彼らの中に言い知れぬ興奮が沸き起こった。


 それは愛国心と呼ばれるものだった。スタールの言葉は、彼らが持つ愛国心に火をつけた。


「かつて同じ母の下で一つだった兄弟たちは、もう一度同じ故郷に戻り、母の下に集まるのです。クロイツ帝国という母の所へ!」


 帝国は故郷であり母。そして自分たちはその帝国の兄弟。劇的な効果を考え尽くした演説。人々の心を揺さぶり、誰もが胸躍る演説。議員の中には感動で目が潤んでいる者もいた。


 スタールが手を広げた。ここにいるすべての人間に対して訴えかけた。


「今ここにいる議員諸君は、誇りに思っていただきたい。この日は新たな建国神話の始まりであり、我々はここから神話を作ることになる。かつて存在した帝国を再び復活させる建国神話。諸君らにはその神話のために協力していただきたい」


 そうして、スタールは最後に一言告げた。



「帝国、万歳」と


 

 しばしの沈黙が流れた。議員の全てがスタールに注目していた。彼の演説を反芻し、噛み締めていた。


 そんな中、どこからか声が響いた。


「帝国、万歳」


 誰が言ったかわからない。誰もが周りを見たが、誰が言ったのかわからなかった。だが、それだけでよかった。


「帝国万歳!」


 また誰かが叫んだ。そして、それから万歳の声が途切れることはなかった。


 誰もが口々に叫んだ。帝国万歳を。まだ見ぬ帝国の栄光を祝し、その威信に敬意を示して、彼らは万歳と口々に叫んだ。


 最後は万歳の合唱だった。もう誰も座ってはいなかった。誰もがこの建国神話の始まりに立ち合い、その序章に名を連ねたのだ。

 



 休憩室でクラウスはぼうっとしていた。熱に浮かされたような顔で、しかし心地よさそうな顔のままだった。


 先ほどのスタールの演説を目の当たりにし、その迫力に飲まれていた。誰もが帝国万歳を叫んだあの光景を、彼は一生忘れることはないだろ

う。彼もまた、建国神話の始まりに立ち会ったのだ。


「どう? 素晴らしい演説だったでしょう?」


 そんな彼にユリカが声をかける。クラウスの姿を面白そうに笑っていた。


「あ、ああ、そうだな。何というか、圧倒されたよ。さすがは宰相閣下だ。あの演説はさすがだ」


「ふふ、格好良かったでしょう?」


 ユリカは軽口を言うが、クラウスに返答する余裕はなかった。今起きたことを自分の中で消化することに精一杯だった。それがわかっているのか、ユリカはますます笑った。


「でも、これで本当に始まるんだな」


「ええ、そうね。ここから始まるのよ」


 改めて二人は、これからのことに想いを馳せた。今までも統一のために働いてきた。今後は統一事業はさらに加速する。


「大丈夫? これからますます忙しくなるわよ?」


 ユリカが笑いかける。その彼女にクラウスも笑い返した。


「何を今さら」


 そんな言葉の応酬、二人は静かに笑った。


「すまない。少し席を外す」


「はいはい。迷子にならないようにね」


「……さすがに議会の歴史に迷子として名を残したくはないな」


 それだけ言い残してクラウスは部屋から出て行った。


 後に残されたユリカは、すっと息を吸い込んだ。


 やっとここまで来た。そして、これからなんだと、自分に言い聞かせるように目を閉じた。きっとこれからもっと大変なことが起きるだろう。汗だって、時には血も流すかもしれない。


 しかし、それでも大丈夫だと彼女は確信していた。何故なら今は一人ではない。隣にはあの不愛想な青年が立っているからだ。


 きっとこれからも、彼が隣にいる。だから大丈夫だと、胸を張って言えるのだ。


「おお。ここにいたか」


 そんな彼女のところにスタールがやって来た。


「あら? 議会はよろしいのかしら?」


「ああ、今休憩に入った。さすがに十年分は疲れたな」


「見事な演説だったわ。彼も惚れ惚れしていたわ」


「ほう。ところでその彼はどこに?」


「外の空気を吸いに行くって出て行ったわ」


「そうか。早く感想を聞いてみたいな」


 そんなことを語り合う二人。するとスタールがユリカの胸元に光るネックレスを見つけた。


「おや? 初めて見るネックレスだな」


「ええ。シェイエルンで彼が買ってくれたの。似合うでしょう?」


「ああ、とてもよく似合っている。ただ、他にもいいものがあったのではないか?」


 スタールがそう言うと、彼女は首を横に振った。


「今日はこれを着けていたかったの。今日という特別な日は、特別なおめかしをしたかったから」


 スタールが不思議そうな顔をする。それがどうして特別なのだろうか? ユリカがその疑問に答えるように言葉を続けた。


「このネックレス。初めて彼が自分から買ってくれたの。だから、大切なものなのよ」


 そう言ってユリカはネックレスを大事そうに握りしめた。


 今までは旅先でユリカからねだって買ってもらうことが多かった。だがシェイエルンではクラウスからお揃いを買おうと提案してくれたのだ。初めてクラウスが自分から提案してきたのだ。


 だから特別なのだと、ユリカは大事に握りしめていた。


 そんな彼女の様子をスタールは面白そうに笑って見つめた。


「なるほど、それは大切だな」


「ええ。大切なのよ」


 そう言って笑い合う二人。そんな二人のところにクラウスが戻ってきた。


「あ、閣下! お疲れ様です」


 クラウスが興奮気味にスタールに駆け寄ってくる。今まで二人がどんな会話をしていたか、クラウスは知らない。もし彼に話したらどんな顔をするだろう? そう思うと、ユリカは面白そうに笑うのだった。



 この日この時この場所で、世界で一番新しい建国神話が始まった。世界が失い、久しく忘れていた少年のような物語。


 かつて世界が失ったロマン溢れる時代が、始まろうとしていた。 


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