第六章 素敵な降臨祭
「ほらクラウス。そろそろ行くわよ」
ユリカが興奮した様子でクラウスを急かす。そんな彼女に笑いながら落ち着くよう語るクラウス。
「ああ、ちょっと待ってくれ。すぐに行く」
そう言ってクラウスは必要なものを手に取って部屋を出た。そこには綺麗に着飾ったユリカがいた。
「どう? 今までで一番綺麗でしょう?」
「……ああ、最高だ。だが綺麗すぎると花嫁の邪魔になるんじゃないか?」
「大丈夫よ。ちゃんと引き立て役に回って見せるわ」
そう言って笑うユリカ。同じようにクラウスも笑うと、二人は一緒にホテルを出た。
外にはこの街で馴染みになった御者が二人を待っていた。
「どうぞ。お待ちしていました」
御者にいわれて馬車に乗り込む二人。御者が二人に問いかける。
「どちらまで?」
「大聖堂までお願いします」
「大聖堂まで? ではお二人も結婚式に?」
「ええ。自分たちも呼ばれましたので」
ユリカの答えに御者も嬉しそうに笑った。
「それは羨ましい。きっと素敵な結婚式となるでしょう。さあ、行きますか」
そう言って御者が馬車を走らせる。雪が降り積もり、街は純白の世界に変わっていた。そんな街を馬車は轍を残しながら、街を走り出した。
この日は降臨祭を迎えていた。街は降臨祭で盛り上がっており、老いも若きもこの日を一様に楽しんでいた。見て見ると信徒派と聖書派も一緒になって祭りを楽しんでいた。
「楽しそうだな」
「それはそうよ。皆この日を待っていたんだもの。楽しまなければ損するだけよ」
そう語るユリカもこの日を楽しんでいた。何せこれから結婚式に参列するのだから。
あの後、マイスが二人を結婚式に出席するよう申し出たのだ。さすがによそ者としては断ろうとしたのだが、マイスがどうしてもと言った。
「これはヨハンナのお願いでもあるのです。どうか」
その一言が決め手となり、二人は喜んで参加することにした。式の日は降臨祭の日と決まり、信徒派も聖書派も式に参加するよう宣言してくれた。
大聖堂を救った聖女の式を誰も反対することはなかった。むしろ式のために大聖堂の修復を急ぐよう張り切るくらいだった。
また、この修復作業で信徒派の資本家が修復の費用を出してくれた。それまで溜めていた蓄財を式のためならばと、喜んで寄付してくれたのだ。その行いが聖書派にとってもありがたかったのか、聖書派からはお礼の言葉が出たくらいだった。
全ての人間が納得しているわけではないだろうが、もう対立している様子もなかった。あとはこれからといったところだろう。
「ま、全て丸く収まってよかったわ。本国にもいい報告ができそうね」
そう語るユリカだが、クラウスの顔は暗かった。
「いや……どうだろうな。結局犯人たちは捕まえることは出来なかった。少し後味が悪い気もするがな」
クラウスが言うとおり、放火犯であるアンネルのスパイたちを捕まえることは出来なかった。コル神父やヨハンナの証言で警察も動いてくれたが、あくまで証言でしかないので、彼らを逮捕することができなかったのだ。元々仕事で来ていたアンネル国民もほとんどが帰国していたので、犯人を追跡することができなかったのだ。今頃犯人たちはアンネルに逃げおおせているのだろう。そのことがクラウスには気がかりだった。
全てが解決したわけではない。クラウスは不安に思っていたが、しかしユリカはそんな彼の不安を笑い飛ばした。
「そんなこと、小さい事よ。街は守られたし、彼らの企みも未然に防ぐことができたのだから。これ以上望んだら神様から怒られるわよ」
『大きすぎる財布を持ってはならない。ポケットに入らず、落としてしまうから』
確かに聖書にはそんな風に書かれている。ユリカの言うとおり、これで満足するべきかもしれない。
「それにね、終わったことを嘆くより、これから起こる楽しいことに目を向けましょう。せっかくの結婚式よ」
そう言って嬉しそうに笑うユリカ。自分のことのように楽しそうだった。
「なんだか、とても楽しそうだな?」
「それはそうよ。なんてったって、今日の結婚式で聖歌を歌うのよ? こんな素晴らしい事ってある?」
ユリカが嬉しそうにはしゃぐ。その姿にクラウスも笑う。
そう。マイスがお願いしたことがもう一つあった。なんとユリカに式で聖歌を歌ってほしいということだった。これもヨハンナからのお願いらしく、ぜひユリカに歌ってほしいと言っていたらしい。
これにはユリカは大喜びで、すぐに了承していた。それからというもの、彼女は聖歌の練習を重ねてきた。
「見ていてね。私の歌声で二人を祝福して見せるわ」
すでに大聖堂で歌う様子を想像しているのか、彼女は楽しそうに笑った。
はしゃぎすぎだとも思ったが、それも仕方ないかとクラウスは笑うのだった。
大聖堂はすでに多くの人が集まっていた。みんな式の参列者らしく、誰もがこの日を喜んで迎えていた。
「クラウスさん。ユリカさん」
そんな中、マヌエルが二人を出迎えた。横にはコル神父もいた。
「ようこそ、来てくれました」
正装姿のマヌエルが穏やかな笑顔で二人に挨拶を寄越した。その横では白い祭服を着たコル神父がいた。
「こんにちは。今日は人がいっぱいですわね」
「ええ。二人の結婚式ということで、関係のない人間まで来る始末で。もう中に入り切れない人もいます」
「みんなヨハンナを聖女と呼んで祭っているようです。さすがにヨハンナも困っているみたいですがね」
コル神父が苦笑いを浮かべる。大聖堂を救った聖女を一目見ようと、みんな集まってくれたのだ。ありがたい反面、困ったことだとマヌエルも笑った。
「お二人は?」
「二人は中で準備しています。そうだ。ユリカ殿にはこれを」
そう言ってコル神父が何かを取り出した。それは美しい刺繍の入ったヴェールだった。
「これは?」
「ヨハンナからの贈り物です。これを着て聖歌を歌ってほしいと」
素敵なヴェールだった。それをユリカは嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございます。精一杯歌わせていただきますわ」
そう言って四人が一緒に笑った。
式が始まろうとしていた。クラウスは人々に混じって椅子に座って式が始まるのを待っていた。
祭壇の横では聖歌隊が並んでおり、その中にユリカの姿もあった。ヨハンナが贈ったヴェールを着ており、さらに綺麗な姿になっていた。
さすがに緊張しているのか、浮かれた様子はなく、真面目な顔で立っていた。
その時、クラウスと目が合った。彼女はそれに気付くと、ウィンクをして見せた。
見ていてちょうだい。そう言われたような気がして、クラウスも微笑みを返した。
その時、祭壇の方にコル神父が姿を現した。祭服姿の神父が祭壇の前に立つと、式の始まりを告げた。
「これより、結婚式を始めます。新郎と新婦はこちらに」
その言葉を合図に、大聖堂のドアが開いた。そこに礼服を着たマイスがいた。彼はそのまま祭壇の前まで歩く。
「ここでお待ちください」
「はい」
そこでマイスが新婦を待つ。そうしてしばらくした後、再びドアが開いた。
人々が振り向くと、誰もがその光景に溜息を吐いた。
そこには純白の花嫁が立っていた。おそらく、世界で一番美しい純白に身を包んだヨハンナが、そこに立っていた。
クラウスも息を飲んだ。ユリカには悪いが、その時のヨハンナはとても美しく、見惚れてしまうほどだった。
コル神父が来るよう視線で促す。それに応えるようにヨハンナが祭壇に向かって歩き出す。
一歩ずつ、待ち望んだこの日をじっくり感じるように、少しずつ歩いていく。
祭壇の前まで来たところで、マイスが彼女を見た。その姿を彼が幸せそうに見つめる。
お互いに頷いたところで、二人がコル神父の方を向いた。
「これより二人の結婚式を行います。神からの祝福をお二人に」
神父がそう言うと、それを合図に聖歌隊が歌い始めた。
その歌はこの街で作られたものだった。昔、信徒派と聖書派が一緒に歌えるようにと、当時の信者が新しく作った聖歌だという。
聖歌隊が歌う。その歌声は結婚する二人を祝福するための歌。心を込めた歌だった。
ユリカも歌う。彼女は精一杯歌っていた。この日のために練習してきた歌。二人のために彼女は全てを込めて歌っていた。
きっとこの歌を作った人も、同じような想いを込めて作ったに違いない。信徒派とか聖書派とか、そんなことは関係なく、誰もが幸せになってほしいと思ったに違いない。
厳かに歌われる聖歌にクラウスは耳を傾ける。確かに美しい歌声だった。
その中にユリカの歌声が混じっていた。何故かクラウスには彼女の声だけはわかった。この日のために練習してきた歌。彼女は二人のために謳い上げていた。
歌が終わると、コル神父が二人に語り掛けた。
「ここにお二人に誓いの言葉を。新郎」
「はい」
「新郎は健やかなる時も、病める時も、妻を愛し、守り、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
力強く答えるマイス。それに頷いてから、今度はヨハンナに問いかける。
「新婦。貴方は健やかなる時も、病める時も、新郎を愛し、守り、慈しむことを誓いますか?」
その時、ヨハンナが目を閉じる。
彼女はこの瞬間を噛み締めていた。ずっとやりたかった結婚式。愛する人と神の前で結ばれたかった。
その夢が今、叶おうとしていた。
ヨハンナが目を開ける。コル神父に向かって、幸せそうに言った。
「誓います」
その言葉を聞き届けた神父も満足そうに頷いた。
「よろしい。これで二人は夫婦となられなました。お二人に神の祝福のあらんことを」
これで二人の夫婦の誓いは叶えられた。神は二人を祝福し、二人を神と認めた。
ヨハンナがマイスを見た。その時、彼女の目から涙が流れた。願いが叶った喜びが涙となり、彼女の頬を流れた。
その涙を拭きながら、マイスが言った。
「改めて、よろしく」
「……はい。あなた」
そうして、二人は神の御前で誓いのキスを交わした。特別なキスだった。
その時、誰かが立ち上がった。彼は二人を祝福するように拍手した。
それに応えるように他の誰かが立ち上がった。それを合図に誰もが立ち上がり、拍手を送った。
クラウスも立ち上がった。二人に届くように拍手した。
ヨハンナたちが人々に顔を向けた。とても幸せそうに笑う二人に、人々が言った。おめでとうと。
なんて素敵な降臨祭だ。誰かがそう言った。きっと誰もが同じことを思ったに違いない。
その時、神の御神体が見えた。神も二人を見て、笑ったような気がした。
それからはとにかくお祭り騒ぎだった。結婚式が終わってマイスたちと語り合う者や、それ以外は街に繰り出して酒を飲みに出る者など、それぞれの時間を過ごしに行った。
クラウスたちも街に出た。二人は街の広場に来て、そこで食事をした。
「素敵な結婚式だったわね」
ユリカが呟いた。興奮が冷めていないのか、飲んでもいないのにトロンとした顔だった。
「そうだな。今までで一番楽しい降臨祭かもしれないな」
クラウスも楽しそうだった。街の雰囲気がそうさせているのか、彼にしては珍しく上機嫌だった。
「ヨハンナさん、綺麗だったわね」
「ああ、とても素敵だった。それに幸せそうだった」
幸せそうに笑うヨハンナの笑顔。きっとこの先、一生忘れられないだろう。それくらいに美しい姿だった。
「ねえ。私の歌声はどうだった? 綺麗だったでしょう?」
「ん? 君の歌か?」
「そうよ。がんばったんだから」
式で聖歌隊として参加したユリカ。その時のことを思い出し、クラウスが答えた。
「ああ、確かに綺麗だった。私も幸せになったよ」
その言葉が嬉しかったのか、ユリカがニンマリと笑った。
その時、音楽が鳴り響いた。見れば広場の中央でカップルが集まり、ダンスが始まった。社交界でやるようなものではなく、下町の素朴なダンスパーティーだった。
「みんな楽しそうだな」
「本当ね」
二人がダンスパーティーを眺めていた。ユリカが目を細めて見ていると、彼女が何かを思い出したように手を叩いた。
「ねえ? あの約束、覚えてる?」
「約束?」
何のことかと首を傾げていると、ユリカが身を乗り出してきた。
「ほら、言ったじゃない。聖歌を聞かせる代わりに、私のお願いを聞いてもらうって」
「……ああ、そういえば、そんなこともあったな」
それはこの街に来た日。降臨祭で聖歌を歌う代わりに、自分のお願いを聞いてもらうという、ユリカからの提案だった。
確かに聖歌を聞かせてもらったのだ。彼女のお願いを聞いてやるのが約束だ。
「わかった。あんな綺麗な歌を聞かせてもらったしな。それで? どんなお願いだ」
何か料理を注文か、プレゼントでも買ってもらうとか、そんなお願いだろうと予想していたクラウス。しかしユリカはそれに答える代わりに、彼の手を取った。
「お、おい?」
彼女に引っ張られて立ち上がるクラウス。驚いているとユリカは広場を指差した。
「今日は一緒に踊ってちょうだい。それが今日のお願いよ」
思わず思考が止まるクラウス。ダンスするカップルに混じって一緒に踊れというのだ。今まで社交界にも出なかった彼には初めてのことだった。
「あ、いや。それはどうだろう。私はダンスの経験はないし、上手く踊れないと思うが……」
しどろもどろになるクラウス。するとユリカがいつもの笑みでクラウスに詰め寄った。
「約束、でしょ?」
その笑みを前にクラウスも諦めた。これはどうあってもお願いを聞いてやらないといけない。こうなった彼女は絶対クラウスを逃がさないのだ。
クラウスは諦めの溜息を吐いた。それから仕方ないと呆れ笑いを浮かべた。
「わかったよ。上手く踊れなくても怒るなよ?」
「大丈夫。私がエスコートしてあげるわ」
本当ならクラウスが言うべき言葉だった。クラウスも苦笑いを浮かべるが、しかし悪くない気分だった。
ユリカが彼の手を引いて、ダンス会場に向かう。クラウスもそれに引っ張られる。
会場で向かい合う二人。周りにはお互いの手を取り、見つめ合いながら踊るカップルの姿。そんな彼らに混じって一緒に踊るのだ。クラウスでなくても恥ずかしいだろう。
とはいえ、ユリカはとても楽しそうにしていた。こんな顔をされては、踊らないわけにはいかなかった。
お互いに手を取る。ユリカが口を開いた。
「さん、はい」
ぎこちないがらも、精一杯のステップを踏むクラウス。それに応えるように踊るユリカ。初めてだというのに、不思議と息の合ったダンスだった。
それから二人は時間が来るまで、一緒に踊り続けるのだった。
街から出る日が来た。クラウスたちはグラーセンに戻ることになっていた。
「名残惜しいけど、今日で最後ね」
「ああ、色々とお世話になったな」
クラウスは前日にコル神父たちに帰る旨を伝えた。コル神父も別れを惜しんだが、最後にはお礼を言いながら彼らの旅路を祝福してくれた。
マヌエルにも挨拶を交わした。彼もまた二人に感謝を伝えると、また街に来てほしいと言ってくれた。
二人がこの街に残したものはとても大きなものだった。それがわかっただけでも今回の仕事は上手くいったと実感できた。
「閣下にもいい報告ができそうだな」
「ええ。たっぷり土産話をしてあげましょうね」
そう言って歩き出す二人。するとその二人の前にマイスとヨハンナがいた。
「クラウス様。ユリカ様」
「あ、ヨハンナさん。それに先生も」
「こんにちは。もしかして見送りに?」
「はい。お二人が今日出立すると聞いていたので。とてもお世話になったのにお礼もできず、申し訳ありません」
「とんでもない。先生のおかげですっかり怪我も治りました。こちらこそお礼を」
今やクラウスの頭の包帯も取れ、怪我もすっかり治っていた。クラウスこそお礼を言いたかった。
「ユリカ様。改めてお礼を。お二人のおかげで助かりました」
「それはこちらの言葉ですわ。ヨハンナ様のおかげで、私たちの仕事も上手く行きました。それに素敵なヴェールまで頂きました。大切にしますわ」
「……はい。大切にしてください」
ヨハンナが微笑む。それからユリカが二人に言った。
「いつかお二人に子供が生まれましたら教えてください。ユリカおばさんが遊びに行きますわ」
そんな冗談を口にするユリカ。それが面白かったのかマイスもユリカも笑った。
いつか二人には子供が生まれるだろう、信徒派と聖書派の間に生まれる子供。その子がどちらを選ぶかはわからない。
でも、きっとその子が生まれる頃には、そんなことは問題なくなるだろう。この街は新しくなるのだから。
「さ、それでは行きますわ。お二人とも。お幸せに」
さわやかに別れを告げるユリカ。悲しみでも名残惜しさでもなく、清々しさを残す別れの言葉。
それが心地よかったのか、ヨハンナたちも笑顔で二人を見送ってくれた。
最後にヨハンナがこちらに向けて祈りを捧げた。
「貴方たちの旅路に、神の御加護を」
「ありがとうございます」
そうして、クラウスたちは歩き出した。自分たちの国に帰るために。
きっとこの先、素敵な旅となるだろう。何せ聖女からの言葉をいただいたのだから。
降臨祭の興奮冷めやらぬ街の中、雪を踏みしめながら、二人は歩き出した。その後ろ姿を、ヨハンナたちが最後まで見つめていた。
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