第5話前編 てち「お母さんは悪くないよ。私にはお母さんがいるから」
私は隠している。
みんなとは違う世界を見ていることを。
夏休み明けの教室には青くて透き通った水が満ちていた。
残暑というにはまだ厳しい陽光が、水の中を横切り、教室をゆらゆらと照らしている。教壇の片隅では銀色の小魚たちが群れを成して、ひらりと鋭く泳いでいた。
その中でクラスメイトたちが騒がしく話しをしている。夏休みにあそこへ行った。こんなバカをした。部活でたいへんだった。楽しかった。つまらなかった。笑った。泣いた。
……たくさんの声と感情が水を伝わり、うるさく私の頭に響いていく。
隣の女子たちの声がひそやかになる。名前を知らない誰かと誰かが付き合い出したとかいう話。釣り合わない。苦労するだろうね。すぐ別れるんじゃない?
……うずまく黒い泥が、水の中に溶け出していく。
どうしてそんなことが言えるの?
どうしてそんなふうに思えるの?
どうしてそれが楽しいの?
ぶくぶくぶく。
吐いた息が泡になって水の中に立ち上っていく。
私は窒息する。
この水の中で静かに息が詰まっていく。
水に満ちたここにはいられない。
でも、大人たちはここにいろと言う。
ぶくぶく。ぶく…。
……んぐっ。
もうだめ……。
立ち上がった。座ってた椅子ががたりと後ろに倒れる。みんなが私を見たけれど、それどころではなかった。教室の扉を横に引く。とたんに教室に満ちた水がざぶんとあふれ出した。それに押し流されるように私は廊下へ出る。他人の無意味な感情をたくさん浴びせられ、びしょぬれになったまま深呼吸をする。
すー。はー。
息をする。息が吸える。
私は大丈夫。きっと大丈夫。
だってお母さんはそう言ってたから。
私は隠している。
みんなとは違うこの気持ちのあり方を。
このまま帰ってしまおうかと思ったけれど、この時間はまだお母さんが家で仕事をしているはずだった。心配させたくはなかった。先生たちは「つらくなったら保健室に行け」って言ってたけれど、そこには行きたくない。みんなが「ひろのん」と親しげに言うそれが寝ていたりするからだ。私にとってはあれは父親と同じ目をしていた。それに気がついたのは、寝ているベッドの中からひろのんに手をつかまれたときだった。
居場所がなかった。どこにも。
歩き出した廊下はまばゆいきらめく光と、どろりとして底が見えない影が折り重なっていた。私はその間を注意深く歩いていく。どちらかに行ってしまえば楽になれるのに。
窓から空を見上げると、入道雲になり損ねた小さな雲がそこにあった。
そういえばこんな日だっけ。
私には乗れなかった電車。
雲のように白くて、あの教室に満ちた水の色をした電車。
もう2年も経つのに、あの日を思い出してしまう。
空を見続けていたら、遠い雲の合間にあの電車が走っているのが見えた。私には手が届かない雲の向こう側を走っている。
電車には乗ることを拒んだ私。
こんな私はきっと生きることを誰にも許されないのだろう。
不安に心が沈んでいく。
……ぶくぶくぶく。
息が詰まっていく。
でも。まだ、でも。私にはいるから。だから今はまだ生きていける。
美術準備室の白い引き戸を開ける。まだ授業中だから誰もいない。たまにサボったあっちょがいるけれど。
適当に座ろうとしたら、足元にスケッチブックが落ちているのを見つけた。パラパラとめくる。何も書かれていない。誰かの落とし物というわけではなさそうだった。
なんだかかわいそうに思って、その汚されていないスケッチブックを胸に抱きしめた。
「つらくなったら描けばいいんだよ」
そうお母さんは言ってたっけ。
棚をいくつか漁ってみると、2Bの鉛筆が出てきた。華奢なパイプ椅子に座ると、ごつごつとした木のテーブルの上にスケッチブックを広げてみた。
さて、何を描こうかな……。
自然とにゃっこたちの顔が浮かんだ。いろいろな絵柄で描いてみる。うーん、これじゃないや。デフォルメするより少しリアルに寄せてみた。ああ、この線は気持ちいいかな。
「お母さんはどう思う?」
こっそりそうつぶやく。机に向かってたお母さんの後ろ姿を思い出したから。歌を口ずさみながら、楽しそうにペンを走らせていたあの姿。私はそんなお母さんが大好きだった。
私もいつかそんなふうになれるのかな……。なれたらいいな……。
鉛筆をさらさらと走らせる。手に伝わる感触がくすぐったいぐらい気持ちがいい。その先から生み出された絵たちが静かにゆっくり踊りだしていく。
にゃっこが最初。
猫みたいにやることがころころ変わるからにゃっこ。1年の春に私が名前を付けてあげたら喜んでた。
ページをめくって、また鉛筆を走らせる。
じわじわと泣き出したやっちんをにゃっこが助けた。
みんなが唖然とするなか、手を握って連れ出した。
ページをめくって、また鉛筆を走らせる。
ひとりですねてるあっちょに、にゃっこが話しかける。
あっちょは懐かない野良猫みたいだった。猫同士仲良くなって喧嘩して一緒に寝てる。
ページをめくって、また鉛筆を走らせる。
悲しそうにしている王子に、にゃっこが手を差し出す。
上辺の興味しかない人たちの輪から連れ出されて、少し笑顔になった王子がにゃっこのそばにいつもいる。
ページをめくって、また鉛筆を走らせる。
最後に私。「てちてち歩くね」ってお母さんに言われたから、ずっと「てち」。
にゃっこたちはお母さんと同じ匂いがする。だから安心していられる。
ページをめくる。真っ白なページ。鉛筆が止まる。
隠さなきゃいいのにな……。
この白いページのように。
でも……。
隠さなければどうなるか、お母さんたちは教えてくれた。
だから、わかってる。
それでも。
つらくないのかな。
心配してるよ。みんな……。
ガラガラガラ。
その扉を引く音でビクッとする。急いで振り向くとにゃっこがいた。メガネを手で直すと、少し安心したように言う。
「やっぱりここか。お前の教室、騒然としていたぞ」
「……どうせ変人とか、おかしい人扱いだし」
「まあ、いいんじゃないか。いまのてちは、それらしくて好きだけどな」
「それらしいって……」
どういう意味なんだろ。
にゃっこがテーブルの上のスケッチブックに手を伸ばす。パラパラとめくっていく。
「これ描いたの、てち?」
「うん」
「すごいな」
「落書きだよ」
「え……。落書きでこれか……。もっといろいろ描けるのか?」
「人でも風景でも。でも、鉛筆はあんまり得意じゃなくて」
「これで?」
感心したようににゃっこは何度もスケッチブックのページをめくる。
ええ……。
ちょっと照れくさい。
「おはよーさん」
「いまは昼だぞ、やっちん」
「京都流のあいさつやん」
「ここは東京だし」
「あっちょ、かんにんやで。京都人は耳が遠いんや」
「そのかわいい耳を掃除してやろうか」
「まあまあ」
「王子はいつもそれじゃん」
「そやな」
「ええ、ひどいな」
3人でじゃれて笑ってる。この人たちは安心できる。
「なにしてん?」というやっちんに、にゃっこがスケッチブックを渡す。
「てちが描いたんだよ。すごくないか?」
やっちんが「どれどれ」と言いながら一枚めくると、すぐに何か気が付いたように丹念に見ていく。
「……ラフなんて鉛筆の線だけでうまく見えるんやけどな。でも、これはすごいと私も思うんよ。構図が独特なんやと思う。てちはこんな目で世界を見てるんやな……」
「画商の娘のお許しが出たな」
「なんやそれ。なあ、てち。誰かに絵を習ったりしてはったん? これ、ひとりで考えたん? どんなふうに描いたん?」
どう説明したらいいのだろう。私が絵を描けることを言うには……。ぜんぜんすごくないし、お母さんのほうがすごいし、ただお母さんの真似をしているだけだし、世の中にはもっとすごい人がいるし、あとあと……。
結局出せた言葉はこれだけだった。
「いや……」
あの日見ていたお母さんの背中がちらつく。お母さんのことを言ってもいいのかな……。言ったら傷つくのは私なんだろう。でも……。
私の周りにまた水が満ちていく。
「こらこら。てちを追い詰めないでよ」
王子の一言で水がさっと引いていった。あとには、白くてかわいい花びらがひらひらと散った。だって、その言葉が嬉しかったから。
「そやな。ごめんな、てち。許したって」
やっちんが私に謝ると、王子が私に声をかける。
「てち、平気?」
「うん、大丈夫だから……」
私たちを見守ってたにゃっこが、ちょっと安心したように歩き出した。
「お茶でも入れるよ。ほうじ茶でいいか?」
王子はうんとうなずくと、パイプ椅子の背をつかんで座った。私もその隣に座ってみた。
やっちんとあっちょは隣同士に座って、私が描いたスケッチブックを見てる。この絵は似ているとか、やっぱりそう見えてるんだとか言ってる。
しばらくそれを眺めていた。それがそんなに面白いことなのか、私にはわからなかったから。
そうしていたら王子が私に声をかけてくれた。
「お弁当、持ってきた?」
「……教室に置いたまま」
「じゃ、私の半分あげるよ」
「いいよ、だって……」
「私はにゃっこのをちょっともらうから」
「うん……。ごめん」
「そこはありがとうだよ」
「……ありがとう」
「よし」
王子が自然に私の頭をなでてくれる。お母さんと同じ触り方なんだとぼんやりと思う。
「ほい」
にゃっこがお盆の上のマグカップをテーブルに置いていく。みんな違う形のマグカップが同じように湯気を立てている。
「さてと」
にゃっこがそういうと、当たり前のように王子の膝の上に座る。
それを机の向こうから見ていたあっちょが、うわ……という顔をした。
「にゃっこ……。少しは隠せよ」
「何を? 王子椅子はなかなかいいぞ。あっちょも座るか?」
王子がにゃっこのほっぺたをつまんだ。
「こひょように、ひゃまに椅子から逆襲ひゃれるが、ひょれはひょれでなかなか」
「なあ、お前たち、それで付き合ってないってだいぶ無理が……」
「は? なにを言ってる。付き合ってないぞ。なあ、王子」
「うん、友達だし。くっついてると安心するからそうしてるだけだよ」
「それって……。いいや、もう。やめとくよ」
やっちんは「これはもうラブやん。やっぱりにゃっこはそっちなん? 王子は夜も王子なん? なあなあ?」と、嬉しそうに問いかける。にゃっこは「そっちってどっちだ? 駅のほうか?」と適当に言い返して笑っている。
仲良いな、みんな。
ここなら安心できる。息ができる。お母さんたちと同じだから。
私は隠している。
友達同士が付き合ってるって知っていることを。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る頃、にゃっこが「また放課後にな」と手を上げて教室へと戻っていった。王子がそれについていく。やっちんが「まだちょっとおるさかい」とあっちょの袖をひっぱりながら言う。私はどうしようかなと考えていたけれど、午後の授業を受ける気がちっともおきなかった。いったん教室に戻ってかばんを取ったら、放課後まで美術準備室に閉じ籠ろう。それがいちばん大人たちを心配させないはずだ。「教室に戻る」とだけやっちんたちに言って、廊下に出た。
教室に入っても誰も私を見ない。振り向いても目を合わせない。それはそれでいいんだろう。私は適当に机の中身をかばんに突っ込むと、そのまま教室を出た。「なんだよそれ」「えこひいき違う?」と、こそこそと言われたけれど、私はそれを聞かなかったことにした。いまはあの居場所に戻るだけ。いられるところに戻るだけ。
美術準備室に戻り、その扉に手をかけたときだった。私の体が止まる。やっちんとあっちょの声が扉の向こうから小さく聞こえたから。
「私たちの関係ってなんやろな」
「傷の舐め合い」
「なんやそれ。あっちょはエロい子やな」
「どっちが。昨日もあんだけ舐めといて」
「そうやっけ」
「もう」
「傷の舐め合いでも私はええんやで」
「よくはないよ。よくは……」
「ええやん、こうしている間は忘れられるやろ……」
「……ねえ、ひろのんからは離れたの?」
「少しずつやな。急にすると疑われるさかい。でも、体は触らせてへんよ」
「ほんとかよ」
「ほら。確かめてみたらええやん。……んっ」
「にゃっこと王子にあてられた?」
「まあ、そういうことにしとくわ……」
わあ……。
仲良くしている。
お母さんたちみたい。
「あの……。相談が……」
背後に聞こえた低いその声に、私は「ぎゃ」と小さく悲鳴を上げた。
振り向くとわきちがいた。春頃にしつこく私に部活へ入れと言ってた男子だった。私は不愉快に言う。
「いまは取り込み中」
「そうなの?」
「そう」
「相談があってさ。10月にやる学園祭のポスターを作って欲しくて」
「なにそれ……」
「美術部員なんでしょ。黒滝先生からお願いしてこいって言われて」
「知らないよ」
「これさ。去年の原画なんだって。これ広げながら話したいんだけど」
「いまはだめ」
「教室には戻りたくないんだろ」
わきちが扉を開けようと手を伸ばす。
その奥にはあっちょたちがいる。
せっかく仲良くしてるのに。あっちょとやっちん、ようやく心から笑えるようになったのに。
毛が逆立つ。
叫ぶ。
「ダメっっっっっ!」
はあはあと肩で息をつく。自分が出した大声で耳がキーンとする。
わきちがびっくりしている。それから少しかわいそうなものを見る目をされた。私はその目が嫌だった。大人たちの目だったから。
わきちが何か言おうとしたときだった。ガラガラと扉が開いた。
「どないしたん?」
「何してんだ……。あ、お前。てちにまたなんかしようとしたのか?」
ふたりを見つめるふたり。
少しだけ制服がはだけているあっちょとやっちん。
見られたらあの日のようになってしまうところだった。
「違う違う。違うって。美術部員に絵を描いてもらってこいって黒滝先生から……。ほら」
わきちがちょっとだけ手に持っていたものを広げる。
「ああ、学園祭のか。そういやうちら美術部員だっけ」
「そやで。しっかり絵を描かんとあかんで」
「おい、何も描かないやっちんがそれ言うのか」
「私は見るほうなら得意なんやけどな」
「逃げたし。私も描けないぞ」
ふたりにわきちが笑って言う。
「それって本当に美術部員なの?」
苦笑いするあっちょとやっちんとは違い、私は焦った。
これを黒滝先生が聞いたら、どうするのだろう。
美術部を解散させられるかもしれない。顧問のひろのんは、めんどくさそうに出てけと言うかもしれない。
……この場所を守りたい。私が息のできる場所。みんながいる場所。
「……私がやるから」
「てち、いいのか?」
「うん、いい。わきち、カンプをいくつか出すから先生たちに選んでもらえる?」
「カンプ?」
「あ、仮の絵のこと。そこから選んだの仕上げるから。ポスターはA1ぐらい? 印刷はカラーレーザー? 納品形式はaiでいいよね」
「あ、いや、ちょっと……」
「なら、黒滝先生に聞けばいいかな?」
「あ、うん……」
「わかった。あとやっとく」
「ごめん、なんだか役に立たなくて」
「普通はわからないから」
普通じゃないし、私。
そんなことぐらい、自分でわかってるよ……。
水が自分の中に満ちていく。自分を締め上げるように満ちていく。
私は隠している。
みんなが普通とは言わない、たくさんのことを。
事情を聞いたにゃっこたちが、次の日の昼休みにネタ出しに協力してくれた。
やっぱりアオハルっぽい感じかなと言われたから、男女の高校生が空に向かって飛び上がっているところを描いた。
少しシュールなのがいいと言われたから、薄汚れた着ぐるみの頭だけかぶった男女が教室からこちらをのぞいているところを描いた。
人の目を引きたいと言われたから、左頭上から見下ろす構図にして私たちを見上げている高校生たちを描いた。
何かを言われたら、その場でさらさらと描く。描き続ける。
ついでにめんどくさそうに背中を丸めたひろのんとか、文句言いすぎて口が伸びてる黒滝先生を描いたら、みんなにウケた。
にゃっこが本当に感心したように言う。
「てち、すごいな」
「血かも」
「そうなのか?」
「お母さんのひとりはマンガ描いてるし」
「おお、そうなのか。どうりで」
やっちんが少しびっくりしたように聞いてきた。
「ねえ、お母さんのひとりって、お母さん何人おるんよ?」
「あ。私にはお母さん3人いる」
「それってだいぶ複雑な家庭環境やない?」
「わからない。複雑じゃない家庭環境ってどんなの?」
「え、うん……。そやな……」
やっちんが言葉に詰まる。
王子がそれが自分の役割と言うように話を遮る。
「まあまあ。お母さんがたくさんいても、てちの絵がうまいのは変わらないよ」
白くて小さな花がふわりと舞い散る。
少しうれしい。
みんなにやっちんみたく言われるから、ずっと黙っていた。
ふと待っていた花々が空中で止まる。
絵を描くのがうまいのが血なら、私もいつか女の子を好きになるのかな。
まだ、それがわからない。
やっちんが「どっかで作戦会議しなきゃあかん」と言い出した。私が描いてた絵をバンバンと叩きながら「だってつまらへんやろ、こんなん」と正直に言うやっちんに、みんながあれこれ言い出す。もったいないとかにゃっこは言うけれど、私もやっちんと同じ気持ちだった。もっとなんかこう……。面白くしたいし。
放課後に集まると、商店街をわちゃわちゃと歩く。どの店にしようかとみんなで言い合ってたときだった。
「よう、てち」
少しよれっとしたアニメ絵のTシャツに、黒縁メガネをかけた、いかにもおばちゃんという人がそこにいた。
「メグミちゃんだ!」
私は駆け寄って抱きしめた。温かい匂いとやさしい感触がする。その胸に顔を埋めたまま、私はゆっくり声を出す。
「メグミちゃん、もうお仕事終わったの?」
「うん、入稿してデータ送った。いま早坂とほかの編集に読んでもらってるけど、まあ大丈夫だろ」
「そっか、良かった。昨日も寝てないけど、出歩いて平気?」
「なんかうまいもん作りたくてさ。ちょっと買い物」
メグミちゃんが手にしていた少し古い買い物かごを持ち上げて見せてくれる。
「みんな友達か?」
「うん。私のたいせつな友達」
メグミちゃんが私の頭をそっとなでる。優しく愛おしそうにそっと。
「よかったな」
メグミちゃんの声に合わせるように私は甘えて笑った。
「……てちもあんな顔できるんだな」
ぼそりと聞いたにゃっこの声に、私はメグミちゃんを抱きしめたまま照れた。だって……。
王子がちょっと焦ったような声を上げた。
「あ、あれ。もしかして『ゆきゆり』の? 春川メグミ先生?」
「あれれ。こんなとこでバレるとは」
「映画化の対談見ました! 映画もコミックもみんな見てます。ファンです!」
「おお、ファンがいる。これはファンサをしないとダメだな」
「え?」
「みんな焼肉食べれる?」
きょとんとしているみんながいた。ちょっと遅れて、にゃっこが実に深刻そうに声を上げた。
「女子高生の胃袋をなめないでいただきたい!」
それを聞いたメグミちゃんが愉快そうに笑った。
「あははは。そうだね。いっぱい食べれる年頃だもんね。じゃ行こうか。てちもいいよね」
「うん……。ご……、あ。ありがとう」
王子に言われたときを思い出して、私はありがとうってなんとか言えることができた。
私は隠している。
王子とのそんなつながりを。
ちょっとお高い焼肉屋さんの個室に、みんなが集まっていた。火が付いた焼き台をぼんやりと見つめていたら、メグミちゃんが威勢よく言った。
「今日はおごるからなんでも食べな」
「「ありがとうございます!」」
元気よくにゃっことあっちょが返事した。
私は心配になってメグミちゃんの袖を引っ張った。
「いいの?」
「いざとなったらチカに払わせるよ」
ふたりで少し笑う。そうしていたら、にゃっことあっちょがメニューをふたりで見て言い争い始めた。
「バカな。初手からロースだと。何を企んでいるあっちょ」
「いやだってさ。赤身肉のじんわりとしたうま味のほうがいいだろ」
「そこはカルビだろ。上カルビ5人前ぐらい行ったれよ」
「脂っぽいの好きじゃなくてさ」
「これだから金持ちは。神戸牛を毎朝食ってんじゃないのかよ」
「それやったけど3日で飽きたし」
「くそ……」
なんか負けた感じになっているにゃっこに、やっちんがぼそりと言う。
「まあ、ロース頼むんはまだまだや」
「やっぱりカルビだろ」
「ちゃうな。そこはちゃうんや」
「なん……だと……。京都人は焼肉をよく食べると聞いたが……」
「あっちょ。ロース頼むんはおこちゃまやで」
「うっさいな。じゃあ、やっちんは何を食べんだよ」
「ミノ」
「は? 最初にホルモンいくの? ぶにょっとしてるあれ?」
「噛みきれないところが、ええやん」
「それ、ドMじゃん」
「今頃気づいたんか」
「ええ……」
今度はあっちょが負けた感じになっている。思い当たるところがあったのかもしれない。
いつもなら割って入るのに、王子はニコニコとうれしそうにメニューを見ていた。
メグミちゃんが愉快そうに笑う。
「あはは。てちの友達は面白いな」
「うん、私もそう思う。みんな仲いいんだよ」
「そうだな。それは良いことだ」
にゃっこがたまらなくなって店員さんに早口で注文を出している。あ、やっぱりカルビなんだ。
メグミちゃんが私にメニューを見せる。
「てちは、タン塩でいいか? 好きだろ」
「うん」
「小さいとき、私と争って食べてたな」
「そうだっけ?」
「覚えてないのか。知らない間に3皿食べててびっくりしたんだから」
「メグミちゃんが世界が終わったような顔をしてたのは覚えてる」
「もう、あれは貴重な姉さんのおごりだったんだぞ」
「あはは」
本気で悔しそうなメグミちゃんを見てたら、笑いすぎて涙出ちゃう。
メグミちゃんは私のことを良く知っている。ずっとちっちゃいときから。それは私も同じだった。
「王子、てちが笑おうてるわ」
「張り詰めていたのが溶けてる感じがするね」
「これがてちの素なんやな。ええもん見れたわ」
「うん、そうなの? にゃっことふたりで会ったときは、こんな感じだったよ?」
「ふたり?」
「いや……」
まあ、そうかもしれない。だってふたりは……。お母さんと同じ人たちは私にとって安心できる人だから。
私は隠している。
お母さんと同じ、という意味を。
--------
後編へ続く!
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