エキシビジョン作品 6月8日公開分

【Ex- 073】 華散らしの月照雨【性描写あり】

 細いはさみがぱつんと花のくびを落とした。

 ようやっと膨らみはじめ、明朝には咲くかとおもわれた芍薬の莟だった。

「なぜ、摘むのです、華師」

 私が非難めいた声をあげれば、華師は面倒そうに振りかえった。灯籠のあかりがさっと彼のこけた頬をかすめる。

摘花てきかだよ。最良の莟だけを残して、他は摘む。そうすれば、一等いい華だけが咲き誇る」

「可哀想だとは想わないのですか。その莟だって懸命に咲こうとしていたのに」

「花なんかどうせ、咲いても散るだけじゃねエか。莟のうちに落ちるのとなにが違うってンだ」

 花を扱う際の細やかさからは想像もつかない、訛りのある乱雑な口調で華師はいった。私も拗ねながらいいかえす。

「……違います。望みどおりに咲きみだれてから散るのと、願いを遂げられずに散らされるのとでは、違います」

「そういうものかねィ、俺にはトンと理解できないが……」

 彼は口の端をゆがめて、あア、といった。

「お嬢がいうなら、そうなンだろうな。華師といってもヒトはヒト、花の考えてるコトなんか解りゃしねェが……アンタは《華》だからな」

 紅で濡れた唇をかみ締めて、私は想わず軒につるされた鏡に視線をむけた――そこには縁側に腰掛けた姑娘むすめが映っていた。笄年けいねんを迎えてもまだ幼けなさの抜けきらない円みを帯びた瞳に紅のそぐわぬ唇。襦裙きもののはだけた胸もとからは、細い蔓が延びていた。肩を締めつけ、腕に絡んだ蔓の先端からは、うす紫を帯びた白藤の花房が垂れている。

 華咲はなさき

 伝承によれば、私のような姑娘が百年に一度産まれ、散らしたものに不老を与えるという。

 華咲には産まれたその時から華師がつく。この身に根づいた華が枯れることのないよう、育てあげるのが華師の役割だ。五歳までは女の華師がついていたが、不幸があり、彼が後任となった。

 華咲は花の蜜と草の露だけを飲んで育つ。花が絶えぬよう庭を維持し、毎朝蜜を、晩には夜露を採取するのが彼の仕事だった。だからこの狭い庭には三百種もの花が植植えられている。後はまじない。鏡を軒に提げるのも、華を護るためだという。

「……私は綺麗に咲き誇るのでしょうね」

「当然だ。俺が育てたンだからな。これまで咲いたどんな華よりも奇麗に咲き誇るにきまってる」

 誇らしげに華師は笑った。

 彼は而立じりつをとうに過ぎたというのに、笑うと何処か孩子こどもじみた幼さが漂う。

 その笑顔がどれほどに私の胸を抉るか、貴男は知らないのだろう。

 藤はひとつ、ふたつと蝶が羽搏くようにそのはなびらを拡げはじめていた。まもなく咲き誇るだろう。だから明朝には私は帝のもとに嫁がなければならない。華咲は帝に謹呈されるためにいる。帝は華咲を娶り、散らすことで不老になる――昔、一度だけ華咲を散らさなかった皇帝がいたというが、ほんとうのところはわからない。

 嫁ぐ。娶る。なんて耳障りのいい言葉だろうか。

 華咲は散れば、死を迎える。たった一度咲いて、散るためだけの華だからだ。たったひと晩だけの契りを嫁ぐというなんて、大人はずるい。

 散るならば。散らされるのならば。

「ねえ、華師。"それ"は摘まないのですか」

 最も豪華な芍薬の莟を指させば、彼は毒気を抜かれたように表情を崩す。

「これを咲かせるために他を摘んだってのに、摘むわけが」

「摘んでよ」

 華師はそれがなにを示唆しているのか、理解したらしい。瞳を見張っては、また細め、何度かそれを繰りかえしてから真剣なまなざしになった。

「俺なんかにゃ摘めねェよ」

「……摘みなさい」

「それに、まだ咲いてない。咲き誇らずに摘まれる華は哀れだってェいったのはアンタだろう」

 私は縁側から腰をあげ、扎敷ざしきの障子をひと息に滑らせた。扎敷のなかには異境から取り寄せた青畳が敷かれている。他はがらんどうだ。私の物は全部、処分された――最後は、華師たる彼だけだ。

 はだけていた襦裙きものを床に落とす。胸から腕、腰にまとわりついた藤がいっせいに弾け、咲き誇る。前触れもなく吹きつけた風が藤を掻きみだす。紫がそよぎ、乱舞する。噎せかえるような花のが扎敷に満ちた。

「いま、咲きましたよ」

 散ると知ってもなお、咲き誇る華の望みは、ひとつだけだ。

 愛するひとに摘まれたい。

 いつからだろうか。私は愛した。華を扱う節くれだった指を。育ちの悪さがうかがえる喋りかたと、喋るときに口の端をゆがめるくせを。奇麗に育っていく私を、哀れむまなざしを。服には煙草のにおいがしみついているのに、わたしがいるときはぜったいに火をつけない心遣いを。

「……俺は」

 喉をごくりとひきつるように動かして。

「偶に、華が恐ろしい。育てた俺が、ぞっとするほど奇麗に咲きやがる」

 月があるのに、ほつほつと雨が降りだす。ああ、月照雨そばえだ。

 彼は濡れた珠砂利に鋏を放りなげ、縁側にあがると膝をついた。膝頭をついたままで障子のしきいを跨いで、にじり寄る。

「……いいのか」

 私は愛するひとにむかって腕を伸ばし、微笑みかけた。

「貴男がいい。……摘んで」



        ――  ―― ✿ ――  ――

 


 華は、朝を俟たずに散った。

 後には扎敷ざしきを埋めつくすほどの藤の花とはなびらの褥に横たわり眠るように息絶えた愛しい女の骸が残される。

 彼女は最後にいった。


 いつか、季節が循って、咲きかえることができたら。

 そのときは、また。


「悪ィな、てねェよ」

 帝に納めるはずの華咲を摘んだことが知られれば、命はない。彼女の転生を俟つことはできなかった。彼女はそんなこと、考えもしなかっただろうが。

 でもいい。後悔はなかった。

 はじめてあったとき、お嬢は五歳だった。俺は二十歳になって庭師だった大爺の跡をついだばかりで、ああ、花魄かはくってェのはこれかと想ったンだった。花魄の誘いについてったらなんねえと大爺はいった。

 奇麗なモンは怖いぞと。

 知ったことか。こんなに綺麗に咲かせたンだ。帝になんか、やるものか。

 枝を掃うための鉈を取りだし、ためらいなく自身の腹に突き刺す。

「――ああ、そうか。これがそういうことか」

 望んだ華を抱いて死ぬのと、華を諦め、老いさらばえてから死ぬのとでは、確かに違うな。いきつくさきは、同じでも。

「だいじょうぶだ。すぐに逢いにいく」

 青ざめた女の頬に赤い指の痕をつける。指は頬からすべり、喉もとをくだる。

 ……ほおら、摘んだ。これは、俺の華だ。

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