【No. 175】キャロルなんかに絆されて【BL要素あり】

 異性愛者と、同性愛者。

 上手くいく人もいるのかもしれないけど、俺はダメだった。それだけ。

 それだけのことだった。


「かずま、締めよろしくな」

「オッケー。明日も適当でいいよ。開けとくから」

「サンキュー」

「ありがと、かずまくん!」


 マスターと、その彼氏が腕を組んで出て行くのを見送る。羨ましいと思う気持ちも、もうどこかに忘れてきてしまったみたいだった。


 ゲイバーで働く俺は、それなりにモテた。一夜限りの遊び相手を探すやつも多いから、経験人数だけはどんどん増えていく。

 もはや数えることもやめてしまったけれど、初めの一人だけはどうやったって忘れられなかった。


 女の恋が上書き保存なら、いや、そうでなかったとしても、俺は女になりたかった。鏡の中の俺はどこからどう見ても男だし、女の格好をする気もないけれど、それでも女であればよかったと、何度思ったことか。


 それももう、遠い過去の記憶だけれど。


 今はもう、完全に開き直っていた。ゲイ仲間と『ジジイになっても独り身だったらみんなで一緒に暮らそう』なんて、そんな話をしてみたりして。


 両親はとっくの昔に俺の内面を暴き、否定し、ぐっちゃぐちゃに切り刻んで棄てた。ゴミ捨て場から残骸を拾い集めて、丸めて、それが俺の胸の奥で小さくなって震えている。


「見つけた」


 いつもなら客が入ってきたらすぐに気付くのに、今日ばっかりは油断していて、だから掛けられた声に顔を上げた俺は、どうしようもなく動揺した。


「ひっ……」

「開口一番悲鳴かよ」

「な、なんで」

「お前を探してた」


 目の前にいたのは他でもない、忘れられない初めての人。俺を好きだと言った口で、女を愛した男だった。

 やっぱり男じゃダメなんじゃないかと、喚き散らしたい衝動を必死にこらえて、さよならを告げた男だった。


 どうして今更、なんでここが、たくさんの疑問が溢れては弾けて、何一つ言葉にならなかった。


「女と付き合っても、お前がチラつくんだよ。もうお前としか無理なんだ。だから、探してた、ずっと」

「……っ!」


 そんな台詞を吐けるハルトはクズだ。でも、その言葉に揺れる俺はもっとクズだ。

 今更、もう今更だ。

 俺はハルトを睨みつけ、何も言わずにメニューを差し出した。

 ハルトはカウンターに腰掛け、キャロルを飲んで帰っていった。


 その日から、ハルトは毎日やってきてはキャロルを一杯頼んだ。俺がいない日には、ジントニックを飲んでいるとマスターが俺に言う。

 マスターの目は俺に説明を求めていたけれど、ハルトが俺の忘れられない男だってことは多分バレていた。

 そっとネグローニを俺に差し出してきて、素直になれと言ったから。


 ネグローニはもう、俺には甘すぎる。だけれど、それ以上に、思い出の中の初恋は甘かった。甘くて、甘くて、だからこそ立ち直れなかった。

 思い出の中のハルトはいつだって俺を、細めた瞳で愛おしげに見つめていて、今目の前に座っているハルトが、それ以上に獣じみた瞳で俺を見つめるのに気付かないフリをして。


 だって、もう、拒否なんてできない。

 本当は再会した瞬間に、抱きしめてキスしたかった。

 馬鹿だとなじって、愛してると言いたかった。


 俺の築いた堤防はもうほとんど決壊していて、だから鍵を閉めて店を出た時、ハルトに掴まれた手を振りほどけなかった。

 されるがままに抱きしめられて、子供みたいに泣いていた。


「ごめん、ごめんな」

「ばか、しね、くず、あほ」

「うん、ごめん」

「ぼけ、かす、……おせぇし」

「うん、ごめんな、愛してるよ」

「うるせぇ、信じられるか」

「毎日言うから」

「毎秒言え」

「愛してる、愛してる、愛してる」

「いいよ、毎日で! ばかハルト!」


 触れた唇は、あの頃よりも熱かった。

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