【No. 145】青春のアイドル
「だから、いけません、アイドルのオーディションなんて」
「ケチ。一回くらい受けさせてくれたっていいじゃん」
「ダメよ、何度も言ってるでしょ。握手会なんて友達も恋人も作れない可哀想な人達が大半なのよ。最悪、襲われて殺されちゃうのよ」
ママの目つきは今日も険しかった。これで五度目の説得失敗。高校生になる前に一度くらい、自分の可能性を試してみたいだけなのに。
「でも……!」
「ダメったらダメ。お義父さんからも何か言ってやってください」
食い下がろうとするあたしの勢いを削ぐように、ママはリビングのおじいちゃんに水を向ける。お堅い仕事に就いていたおじいちゃんなら反対するはず、とあたしも思ったけど、覚悟していた厳しい言葉は返ってこなかった。
「……おじいちゃん?」
お気に入りの安楽椅子から立ち上がり、おじいちゃんは食い入るようにテレビに釘付けになっていた。
「まっちゃん。まっちゃんじゃないか。そうか、生きておられたのか……」
画面には、上品な洋服に身を包み、くしゃっとした笑顔でインタビューに答えるおばあさんの姿。右端に「
「知り合い?」
「いいや。しかし、久々に思い出した。儂はこの人に会いに行かねばならん」
儂はまだボケてなどおらん、がおじいちゃんの口癖だけど、この時ばかりは何のことだか分からなかった。
「彼女への手紙を預かっておった」
おもむろに椅子から立ち上がり、あたしが支えようとするのを遮って和室へと引っ込むおじいちゃん。五分ほどして戻ってきたその手には、一通の古い封筒が握られていた。
埃を払った表面には、「Moulin Rouge 明日待子様へ」と達筆な文字。
「もうりん……?」
「ムーラン・ルージュ。忘れがたい名前だ」
テレビにはちょうど、天に突き出る
――
――――
――――――
太平洋戦争末期。街角では
これから軍隊に行かれる方、いらっしゃいましたらお手をお挙げ下さい――小柄な看板娘の呼びかけに客席の若者が我も我もと手を挙げる。待子と他の踊り子達は舞台を降りて一人一人の手を握り、「ご苦労様。
……とは、戦友から幾度となく聞かされた話。
「儂は歌劇なんぞ下らんと思っていた口だったが、戦友があまりに目を輝かせて語るもので、次第に
戦死した戦友からまっちゃんへの
「あれから七十年余りが経つ。戦火を生き延びた戦友達も一人また一人と逝ってしまったが……。そうか、あの人は生きておられたのだなぁ……」
――――――
――――
――
おじいちゃんとその人の「再会」の機会は、意外とすんなり訪れた。おじいちゃんの後輩が人づてに紹介してくれたネットメディアの記者さんが、その人への取材に同行させてくれたのだった。人生勉強と思って、あたしも北海道までちゃっかり付いていくことにした。
札幌市内の取材場所。和服姿であたし達を迎えてくれたその人は、年齢を感じさせない活き活きとした瞳が印象的だった。
「最近、お世話になった皆様と再びお会いする機会をたくさん頂いておりまして。貴方様もお久しぶりでしたかしら?」
「イヤ、自分は初対面であります」
背筋をピンと伸ばしたおじいちゃんの姿は、軍服姿の青年の頃に戻ったかのようだった。
「しかし、戦友がずっと貴女の話をしておりましてな。自分にとっても、貴女は青春でありました」
「わたくしも、ムーランが青春時代の全てでしたのよ。観客の皆様もわたくし達も、ともに明日をも知れぬ身なればこそ、一日一日が必死で真剣でしたわね……」
おじいちゃんの手渡した手紙を読んで、その人は涙ぐんでいた。何が書いてあったのかは、あたしには分からないけど――きっとそれは、同じ時代に青春を過ごしたファンとアイドルの、素敵な再会だったんだろうと思った。
――――――
そして今、あたしは憧れのアイドルグループの面接会場に立っている。おじいちゃんがママ達に口添えしてくれたのだ。あたしの中でも、あの日を境に、アイドルになりたい気持ちは前よりずっと高まっていた。
「次に、31番の方」
「ハイ、あたしは、昔のアイドルの話を祖父から聞いて――」
歌やダンスの実績もないあたしには狭き門のオーディション。それでも全力で挑んでみようと思った。ここに落ちても、何度でも。
あたしもいつか、誰かの明日を照らしたいから。
――――――
◆
1933年、ムーランルージュ新宿座にスカウトされ13歳で上京。同劇団創設者佐々木
2011年、ドキュメンタリー映画『ムーランルージュの青春』舞台挨拶に出演、約60年ぶりに往年のファンの前に姿を見せる。以来、書籍やテレビのインタビュー等に度々露出し「日本最初のアイドル」として紹介される。2017年の取材では「アイドルはね、いつまでも消えないものですよ」と笑顔で語っていた。2019年7月14日没。享年99歳。
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