5月25日 公開分

【No. 127】やっぱりかぁ、思った通りだ!

 その日、いつものように会社で画面モニタに向かっていた僕の首を挟むように、いつものように柔らかくて弾力のある二つの重みが肩にかかる。昼食から戻ってきた先輩だ。

「山本くーん。真面目にやっているようだね。それでどうなの匿名短編コンテストの応募状況は?」

 その重みにはだいぶなれてきたとは言え、柔らかな香りと脳髄に直撃する柔らかい重みは僕の集中力を撃砕する。お約束の返事を返す。

「センパイ! お願いっす。突然後ろからそんな凶器を押し付けないでくださいって」

「そんなことより、どおなのよ」

「そんなことって毎回毎回迷惑なんすよね」

 あるラノベ専業編集スタジオで新人編集者としてはや一年。やっと担当のプロジェクトをもらえたのに、指導担当の先輩に振り回されてばかりでちっとも進まない。一体何が気に入ったのかちょっかいを掛けてくる。彼女いない歴=年齢の僕には抜群の破壊力だ。しかし、僕は耐えるのだ。見た目はゴージャスでも昼弁当を頼んだら、暑かったと言ってカップアイスを買ってくるような人だからな。それに、職場での修羅場は人生の墓場になりかねん。友人たちの英雄譚苦労話はいつもバッドエンドだった。だから、僕はこの先輩に距離を置くのだ…… 置きたいのだ…… 置かせてもらえないのだ。

 これで、邪魔になるだけなら社長に直訴する処なんだけど、編集としての力や指導は確かなので大人しく振り回されるしかない僕がいる。

「応募はまあまあっす。始まったばっかりなので、これからと思うっすけど、立ち上がりとしては良いんじゃいっすか」

 迷惑だが無理やり追い払うと後で面倒くさいのでさせたいようにするしかない。

「どれどれ」

 センパイは僕の苦情には応えず、メロン二つ分の重みが今度は頭の上にかかる。僕の頭越しに画面モニタを覗き込んでいるのだ。

 あ、いい香りが漂ってくる。てか、無視、無視。

「この企画はもう何度か実施されていて、結構評判は良かったんだ。一昨年までは小まめに開催してて、わたしも何度か担当した事あるよ。やっと再開できてわたしも嬉しい」

 センパイはマウスを持つ僕の手を動かしてリストをスクロールする。なぜ手を動かす。マウスを自分で動かせばいいのに。手が柔らかくてひんやりするのが判るだろ!

「わお、結構常連さんがいるじゃない。前回沢山応募してくれた人もいる。おかげで随分盛り上がったよ。今回も参加してくれたんだ」

 その時、机の上の携帯が振動する。直ぐに隠した。

「みたよぉ、女の子の名前だったよね」

「個人情報っす。いい加減自分の席に戻って仕事してくださいっす」

「はいはい」

 先輩は意味あり気な微笑みを浮かべて僕の向かいの席に戻っていく。それはいつもの事なので無視したけど、これが後々我が身に降りかかる難局の予兆だとその時は想像すらしていなかった。

 携帯を確認する。梨香からだった。

 梨香は母方の従妹で今年十八歳、僕の五歳下になる。見た目はイケてるんだけど、地元にいた時は何かとうざく絡んできたので、僕の印象では仲が良いとは言えない。僕の大学進学でやっと縁が切れたと思っていたのが、進学で上京するらしい。叔母や母から面倒を見る様に言われているので気が重い。

 何を思ったのか文芸部に入った梨香からの自作小説の感想や批評を求めるメールで、大学時代は自分の課題の時間が削られたのが恨めしかった。無視すれば良かったか? そうしたらもっと面倒くさい事になっていた気がする。どうして、僕は面倒な女子に絡まれるだろう。

 そう言えば匿名コンの応募者の中に梨香の名前ペンネームがあった。まあ、匿名コンはあくまで読者審査なので僕には誰でも関係ないけどね。

 なになに、『週末上京するから、迎えに来い?』叔母からも伝言メッセが入ってる。『よろしく』だけ? あーめんどうくさい。オープンキャンパスの案内で振り回されたのが軽いトラウマだ。

 梨香は先輩の大学の後輩になるのか。あの時には先輩にもお世話になった…… と言うか二人に振り回された。先輩の相手だけで僕の少ない容量キャパが削られるのに、うざい従妹もセットだったからきつかった。



 今は待ち合わせの駅で待っている。だが、来ない。もう時間は過ぎている。思わず呟く。

「遅いっす。判ってても、時間通りにくる自分がいやになるっす」

 うん。ひとりなんだから、「っす」語尾を使う必要もないのに、これは先輩の所為。軽く躱さないと逃げられなくなりそうで、使い始めたら癖になった。

 やっと来た。半年ぶりの再会か、できればパスしたかった。あれ? なぜ二人連づれ。右は梨香で間違いないよな。僅か半年なのに見違えた、すっかり美人になっている。ちょっとトキめいたのがむかつく。隣にいるのは……

 なぜに、先輩?

「「ごめん、まった?」」

 先輩も梨香もすごい笑顔。怖い。

「……」

「先輩とはあれ以来連絡を取り合ってたんだ。授業の事とか、東京での暮らしの事とか、ハルちゃんの事とか。ちょっと相談もあったんで、先に待ち合わせたの」

「梨香ちゃんには色々と教えてもらったからね。情報のバーターだよ」

「裏切り者っす。二人とも……」

「うぷっ。なにそれ、っす語尾なんて使ってんの。似合わないよー」

「いいだろ、そんなこと」

 思わず「っす」をつけ忘れた。

「とにかく、まずあたしの部屋に落ち着こう。荷物の整理もあるし」

「そうそう、まずは梨花ちゃんの部屋で落ち着こう」

「いやっす。自分家に帰るっす。二人の世話はお断りっす。絶対帰るっす」

 僕はずんずんと踏みしめるような足取りで帰路についた。そのまま二人が付いてくる。まあ、梨香はいいだろう、従妹だし、どうせ住所はバレているようなものだ。油断した、先輩には住所は知られないように工作していたのに。

「へー、ここが山本くんのマンションか。初めて来た」

「先輩、ハルちゃんの自宅知らなかったんだ」

「何だよ、おまえら、梨香ん家に行くんじゃなかったのか?」

「うん、ここだよ。わたしのマンション。丁度空きがあったんだよね。しかもハルちゃんと同じ階。えへへ、今後よろしくね」

 妙に柔らかく笑う梨香にドキッとしたが、こいつの愛想にだまされないぞ。

 視線を上げれば、梨香の後ろで妖しく微笑む先輩。こっちも問題だった。

 蛇に睨まれる蛙の気持ちが判った春だった。

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