【No. 117】2019/9/22


壁掛け時計が規則正しく針を刻む。

何年経とうが、関係ないらしい。


天井に物憂げなランタン、物言わぬ灰色の壁はひび割れており、空気はどんよりと重い。

出入り口は男の背中で隠れてしまっている。


ようやく自由になれたと思ったのに。


だが、目の前に座っている男、ブルースは私を帰したりはしないだろう。

ようやく見つけた仲間を逃がすはずもない。


「バラッド、以前の話の続きをしよう」


バラッド。それがワタシの記号だ。

他の実験体と区別するために、与えられた。

ブルース。それは彼の記号だ。

他の実験体と区別するために、与えられた。


ワタシたちは魔界に潜むテロリストを排除するために、生み出された。

長い年月をかけて、ワタシたちは生み出された。

兵器として生まれ、その役割と全うするはずだった。


秘密裏に行われた世紀の大実験は、結果だけで言えば成功した。

多くの犠牲者を出し、莫大な費用がつぎ込まれた。


すべては、魔界という不確定要素を排除し、掌握するためだった。


作戦決行数日前、ワタシたちは魔界に偵察に来ていた。

少しでも戦いやすく、地の利を得ようとしていた。


想定外とは、このことを言うのだろう。

そもそも、テロリストなど存在しなかった。


魔界にいるのは人間界で迫害され、行き場を失った人々だった。

壁はじで幼子を抱えていた母親の傍らには、小銭が入ったざるが置かれていた。


片足を失った少年はワタシにお菓子を売りつけてきた。

断ることもできず、その場で購入した。

そのほっとしたような笑顔は、今も忘れられない。


ブルースも似たような感じであったらしい。

どこからか逃げてきたような人々ばかりで、敵意は見られなかった。

魔界を統治していた議会が彼らを保護していたのである。


「見慣れない顔だね、どこから来たの?」


初めて来たワタシたちを見て、声をかけてきた男がいた。

膝の部分が擦り切れたジーンズに安っぽいサンダル、シャツはすそが汚れている。

輝くような金髪はサソリの尻尾のように、綺麗にまとめられていた。


「今日はステキな日だ。花は咲き、鳥たちは歌っていてさ……。

こんな日に君みたい人は」


男が話をしていたところに、子どもたちが駆け寄ってきた。

容赦のない突進を食らっても、彼は楽しそうにしていた。


ワタシたちは彼らの平和を壊そうとしていたのか。

隣にいたブルースは口を開けていた。


彼らは普通の人間だった。犯罪者でも何でもない。

政府は彼らをテロリストと偽り、殺戮するつもりでいたのだ。

彼らは何もしていない。ワタシたちの敵ですらなかった。


すぐに彼らの前から去らなければならない。

全てを壊す前に、消えなくてはならない。


兵器は相手に向けて使用するものである。

敵がいないのであれば、意味はない。


ワタシはそう訴えたが、何もならなかった。

魔界は人類を脅かす悪であり、倒さなければならない。


命令は命令だ。心の中で謝罪しながら、武器を手に取った。

彼らを殺すことなんて、とてもじゃないけどできない。

話をすれば何か分かったかもしれないのに。


選択肢はなかった。後悔する羽目になるのは、ワタシたちの方だった。


魔界に乗り込んだその日、全てが終わった。

圧倒的な力でもって、議会にワタシたちはねじ伏せられた。

それを彼らは魔法と呼んだ。


存在しない技術をどうシミュレートしろと?

ワタシは膝から崩れ落ちて、未知の力に絶望した。


仲間たちは解体され、金属片となり生活の糧となった。

ワタシも鉄くずになれたら、どれだけよかっただろう。


不幸にも撤退することができてしまって、今もなお稼働し続けている。


ブルースとはもう二度と会わないでつもりでいた。

彼は今、戦力を集めている。


再び悲劇が繰り返されようとしている。


ここにいる人たちに銃を向けるような真似をしたくなかった。

議会は残党狩りに乗り出していると聞いた。

彼らに見つかったら、ただでは済まされない。


「自分を生んでくれた親には感謝すべきであるとはよく言ったものだ。

しかし、それこそ戯言だろう」


彼はそう言い切った。


「乱暴に言ってしまえば、子づくりとは所詮は性欲に基づくものだ。

それこそ、俺の意思など関係ない。

事実、実際に生んでくれと頼んだわけでもないのだから」


彼は語る。あらゆるものを代償にして、ワタシたちは生み出された。

ワタシたちを作るために、多くの人間が自分の人生を棒に振った。

計画がそれほどまでに魅力的なものなのかは正直疑問だ。


「俺自身が頼んだ覚えもなければ、願った覚えもない。

それでも俺は生きるしかなかった。

どうにかこうにか、文句垂れつつここまで来たわけだ」


すっと笑みが消える。

ヘビのような鋭い視線に思わず怯んでしまった。


「で?  そういうお前はどうなんだ?

機関から与えられた能力を持っているくせに、何もしないんだな?」


何もしないと決めたのはワタシの意思だ。

それがどれだけ有能な物であったとしても、相手がいなければ意味がない。

てこでも動かないワタシを見て、彼は大げさにため息をついた。


「何か成し遂げた方がよほど、生産的だと思うんだがな」


話にならないと思ったのか、彼はすっと立ち上がった。


「ま、その気がないなら強要はしないさ。

じゃあな、失敗作」


失敗作。

その響きがいつまでも頭の中にこびりついて離れなかった。


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