【No. 112】光の旅人

「――最後に、お父さん、お母さん。この美しい地球の大地に私を産み落とし、今日まで育ててくれてありがとう。これが今生こんじょうの別れとなるかもしれませんが、月乃つきのは立派に使命を果たしてまいります。夜空の星を見上げるときは、どうか、私のことを思い出してください」


 セレモニー会場に響く私の答辞を、万雷ばんらいの拍手が包み込む。深く礼をして顔を上げると、最前列で涙ぐむ両親の顔が目に入った。

 ここに至るまで、教官からも仲間達からも、ことあるごとに覚悟を問い質されてきた。君のような美しい娘が本当にいいのか、二度と普通の人生に戻ることはできないんだぞ、と。

 それでも、私の決心が揺らぐことはなかった。宇宙局の真新しいユニフォームに身を包み、クルー達の中に女の身でただ一人混ざって、私はこれから遥かな星空の世界へと旅立つ。

 ここより二万六千光年の彼方、天の川銀河の深奥に位置するラクテア宇宙基地まで、跳躍航法ホール・ドライブを繰り返して船内時間で一年弱の旅路。任務を果たして帰ってくる頃には、RVWウラシマ効果で地球では百年近くが経過しているだろう。

 ひとたび母なる太陽系を飛び出した瞬間から、私たち超光速航宙士スヴェートノートは俗世と切り離された時間を生きることとなる。

 故郷に残した肉親、友人との再会はほぼ望めない孤独への旅。運良く再び生きて会えても、その頃には相手はヨボヨボのお年寄り。

 同業者のほかに友人も作れず、どこへ行っても思い出を語れる相手はおらず。一人の人間としての幸せを捨て、人類の未来に貢献する過酷な任務――

 それでも私は行くと決めたのだ。ただ、と会うために。



 ★  ★  ★  ★



「大人になったら、また会ってくれる?」


 彼の引っ越しの間際、夕闇の迫る町の公園で、ジャングルジムの最上段に腰掛ける彼を見上げて私は言った。幼い私にしてみれば、それは精一杯の勇気を振り絞った一世一代の告白だった。

 だけど、いつもと同じ優しい目で私を見下ろした彼が、首を縦に振ることはついになかった。


「おれ、航宙士になりたいんだ。だから、東京でめいっぱい勉強して、将来は外国の大学に行く」

「……それって」

「夢なんだ。日本人で最初の超光速航宙士スヴェートノートになるのが」


 星空の綺麗なこの町で、彼と宇宙や星座の話ばかりして育った私には、その言葉の意味がわかってしまった。

 人類の浪漫を求め、銀河の星々のはざまを駆ける夢追い人。この田舎の町どころか、この地球から、この時間から、彼は私を置き去りに旅立とうとしていた。


星司せいじくんがそれになったら……もう、わたしとは会えないってこと?」

「……ごめん」


 謝られて終わりになんてしたくなかった。だから私は、服が汚れるのも構わず、彼の隣までよじのぼって、彼の片手を取って言った。


「ひとつだけ、お願い」


 丸く見開かれた彼の瞳が、涙でうるんだ私の瞳を映していた。


「もし、星司くんが夢を叶えて、生きてまた会えたら……わたしを星司くんのお嫁さんにして」


 一息に言い切った私の言葉に、ぱちりとひとつ瞬きをして。

 私の差し出した小指に、彼はしっかりと自分の小指を絡めてくれた。


「わかった。迎えに行くよ。月乃がおばあちゃんになってても」


 ……それから一年が経ち、五年が経ち、十年が経っても、私が彼の優しい瞳を忘れることはなかった。あのお別れの日、夕焼けの中で彼と交わした約束以上に、私の胸をときめかせるものは見つからなかった。

 だから私は選んだのだ。彼の後を追って、永劫に等しい時間を生きる光の旅人となることを。



 ★  ★  ★  ★


 

 冥王星軌道を越え、私たちの船はいよいよ第一回の跳躍航法ホール・ドライブに入る。ここから先は竜宮りゅうぐうの旅路、二度と元の時代には帰れない未来への跳躍だ。


「さあ、母なる太陽系としばしのサヨナラだ。全員、お祈りは済ませたか?」

「宇宙にも神様っているんですかね」

「地球の連中から見りゃ、時を超えて生きる俺達こそが神様だろうよ」


 共通語エスペラントで交わされる軽口にくすっと頬を緩ませたとき、仲間の一人がぽんっと私の肩に手を乗せて言った。


「会えるといいな。お前の恋人に」

「……ええ」


 数年前に地球を発った彼が今、銀河のどこでどんな任務に就いているのか、末端の私には知るよしもない。就きたい航路を選ぶ自由も、立ち寄る基地を決める権利も、得られるのはずっと先。彼の顔写真ひとつ閲覧する権限さえ、三つも階級を上げないと手に入らない。

 それでもよかった。たとえ銀河の果てと果てに分かれても、彼が飛んだぶんだけ私も飛び続ければ、同じ時間を生き続けられるから。


「若くキレイな姿のまま再会して、びっくりさせてやるんだから」


 仲間のクルーがヒュウっと口笛を吹く。船外を流れる星々の光は次第に収束して、やがて船は全ての光景を置き去りにする。

 生まれた町を、地球を、時間を遠く離れ、光の旅人となって私は飛んでゆく。憧れの彼と、いつか再び会うために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る