【No. 098】天国の咲楽へ
「やっほ、ヒロコっち。待った?」
「ううん、待ってないよ」
今日は
いつものように、あたしの高校の正門前で待ち合わせて、あたしは彼女と一緒にバスに揺られる。
「てか、聞いてよ。アイツに今日のこと話したらさ、マジ顔で『俺も行こうか』とか言うの。冗談キツイって」
隣街の高校のブレザーをユルく着こなし、スマホを片手にグチる彼女。
昔は違和感がすごかったのに、今じゃすっかり令和のJKが板に付いてきた。それもあと一年足らずで卒業だけど。
「例の動画の相方でしょ? あたしも一度くらい会ってみたいけど」
「あんなの相方でも何でもないし。敵だし、敵」
「敵って。てか、ローサちゃん、マジで日本語うまくなったよね。日本語ってかJK語?」
「先生がいいからじゃん?」
そう言って彼女は、咲楽の顔で、にかっと白い歯を見せて笑った。
★ ★ ★
あたしが咲楽を
一度お見舞いに来てほしい――と、咲楽のお母さんから電話をもらうまで、あたしは何も知らなかった。咲楽が重い病気を抱えていたことも、引っ越しは入院のためだったことも。
電車を乗り継いで病院に駆けつけたあたしに、咲楽の両親は口々に言った。ヒロコちゃんの顔を見れば記憶が戻るかもしれない、と、かすかな希望に
少し前から生死の境をさまよっていた咲楽は、数日前の昏睡を経て、全ての記憶を失ってしまったらしい。
「あたしっ、ヒロコだよ、覚えてない?」
病室で二人きり向き合い、努めて元気に話しかけると、彼女はやけに真っ直ぐな目であたしを見てきた。
「私は持たない、サクラの記憶を。君は知っているか、ユウという名を持つ娘を」
「っ……!」
言葉の不自然さにでも、発言の内容にでもなく。
その目の輝きが違うことに、あたしは戦慄を覚えた。
「咲楽じゃない。あなた、一体誰なの!?」
「……なぜ思うのか、私をサクラではないと」
「わかんないっ、でも違うよ。あなたは咲楽じゃない!」
「ヒロコちゃんっ」
咲楽の両親が慌てて病室に入ってくる。――この人達もきっと気付いてるんだ。
だけど、それを言ってしまったら……。ダメだ、あたしの言葉でこの人達を悲しませられない。
それきり誰とも目を合わせず、あたしは無言で病室を飛び出した。
次に彼女と会ったのは、一ヶ月ほどが経ち、あの日のことを悪い夢と思って忘れようとしていた頃。
街でチャラい男達に絡まれたあたしの前に、突如割って入ったセーラー服姿の影。
激昂して襲ってくる男の手から、目にも止まらない早業でナイフを巻き上げ、
「Hoc monitum est――これは警告だ。私の友人に
「ひ……ひっ! 助けてくれぇ!」
たちまち逃げ出す男達を尻目に、ナイフをからんと地面に投げ捨てて、彼女は震えるあたしに向かって言った。
「君と再び会いたいと思っていた。漢字を詳しく学び気付いた。この宛名は、ヒロコ、君のことだと」
彼女の差し出してきた桜色の日記帳をめくると、「
「咲楽は死んだ。
丸っこい字で綴られていたのは、小学生の頃、一緒に観に行ったお笑いライブの思い出。
もし病気じゃなかったら、お笑い芸人になりたかった。裕ちゃんのことも笑わせてあげたかった――
笑われちゃうかな、違う意味で。
そんな言葉で、日記は締めくくられていた。
「咲楽……っ」
日記に落ちた涙の粒を、あたしは慌てて指で拭う。
咲楽の残した文字を見て、なぜか不思議と受け入れられた。咲楽の魂がもうこの世にいないことを。
あたしにとって、このときが咲楽との本当の再会で、同時にお別れだった。
「私の故郷では、死者は墓を作り丁重に弔う」
「……日本だってそうだよ」
「しかし、彼女の両親は彼女の死を認識していない。ゆえに彼女に墓は作られず、その魂は安らかにあれない」
辞書から引き写したような日本語。それでも、真摯な想いは伝わってきた。
「君が咲楽の魂を想ってくれれば、私も有難い」
涙を拭って、あたしは彼女の目を見返す。
「……あなたは、誰?」
「
「ヘンな名前」
「私の生まれた時代、女に個人としての名はない。
しかし、と、彼女は優しい目で続けた。
「今、初めてこの名を良いものと思えた。ローサは薔薇。サクラと同じ、花の名前だ」
それから、彼女は語ってくれた。仇敵を追って転生を繰り返してきたこと。自分が宿ったことで、この体はもはや病弱ではなくなったこと。咲楽の両親を悲しませないため、当面は咲楽として生きるつもりであること……。
こんな状況なのに、最後は思わず笑いが漏れてしまった。
だって、この口調。全然、令和の女子になりすますつもりなんか無さそうなんだもん。
「ローサちゃん、でいいの? あなたの日本語、ヘンだって。あたしが教えたげる」
★ ★ ★
そして今。あたしは彼女と並んで、無人の教会でお祈りを捧げている。あたし達だけでも咲楽を想い続けてあげるために。
レクイエム・エテルナム……と、彼女が古い言葉で唱えるお祈りの文句も、もうすっかり耳に馴染んでしまった。
「ローサちゃんはさ、帰りたいと思うことないの? 自分の世界っていうか、ふるさと的なとこに」
「時間は遡れないし。今のイタリア行ってもしょうがないじゃん?」
最近の彼女は、
復讐を遂げたのか、諦めたのか、詳しい事情は知らないけど。初めて会った頃より、ずっと血の通った笑顔で笑うようになった。
「多分さ、あたしが代わりに生きてあげた方が、咲楽も喜ぶと思うんだよね」
「うん」
あたしには分かっている。最近、動画サイトでお笑いの真似事を始めたのも、咲楽の願いを受け継ぐためだと。
天国の咲楽へ。
ちょっと変わった友達と一緒に、あたしはあなたの冥福を祈っています。
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