5月15日 公開分

【No. 083】手を伸ばせば届きそうなあの星から

 手を伸ばせば届きそうなあの星から、ある日、その人は降ってきた。片道限りの一人乗りロケットに乗って、あの日とは違う傷だらけの軍服姿で。


「ただ、貴女あなたに会いたかった」


 護衛軍の兵士達に捕縛され、王宮の中庭に引き出された彼は、私の姿を見つけるや言った。決死の覚悟の中に、どこか優しさをもたたえた眼差しで。

 その場に集った大勢の中で、彼の星の言語を理解できるのは私を含めて僅か数人だったはず。

 それでも、私の侍従じじゅう達から控えの兵士達まで、彼の目を見れば誰もが理解したはずだった。私への恋心ひとつで、彼が再び暗い宇宙を渡ってきたことを。

 青空の彼方には、その日もうっすらとあの星が見え、城下の人々は不安の中でも日常の暮らしを送ろうとしていた。

 ……私達のただひとつの兄弟星が、の準備を整えつつあることを、いまやこの星の誰もが知っている。



 ★  ★  ★  ★



 私達の星と彼らの星は二重にじゅう惑星わくせいの関係にある。同じ太陽の周りを同じ周期で公転しながら、互いが互いの周りをも公転しあっている。

 文明のはじめ、多くの民族の言語では、彼らの星を「ミースャチ」を意味する言葉で呼んでいた。多くの古代文明が、向こうの世界にも人間が――あるいは神がいることを思い描き、彼らに見せるための金字塔ピラミーダ地上絵ヘオフリフをこぞって作った。

 天文学がすすみ、彼らの星もまた惑星プラネータであることがわかると、いつしか「兄星スタールシィ」の呼び名が自然になった。中世の学者達の計算によれば、彼らの星のほうが少し大きかったからだ。

 あちらにも生命体が……人間が存在することがわかったのは、二百年の昔、望遠鏡が発明されてからのことだった。兄星に住む彼らは、一足先に私達を見つけ、彼らの地上に多くの絵や文字からなるメッセージを記してくれていた。神が、あるいはそれに類する偉大な知性がそうあつらえたかのように、彼らは私達とまったく同じ姿、同じ大きさをしていた。

 四万遠里ヴェルスタの距離を隔てた私達と彼らが、図案と数学に助けられながら互いに意志を伝えあい、互いの言語さえも学べるようになるまでに、それほど長い時間はかからなかった。


 私の母が覇権国家の姫としてこの世に生を受けた頃、彼らの星から、有人往還おうかんロケットの開発に着手したという報せがあった。空の彼方からの使者を出迎える日に備え、母は幼い頃から彼らの言語を学んで育った。母の世代ではそれは実現しなかったが、後に生まれた私も同じようにして育てられた。

 そして、今から五年ばかり前。遂に彼らのロケットが完成し、史上初めて彼らの星の引力圏を振り切った人間が、この星の大地を踏んだ。

 空軍アヴィヤーチヤという、私達の星にはない軍種の軍人だという彼は、群衆の讃える前で私の前にひざまずき、私の差し出した手にうやうやしく接吻をくれた。

 それが、彼らの星と私達の星の、最初で最後の友好的な接触となった。



 ★  ★  ★  ★



 初の訪問から五年を経て再びこの星に降り立った彼は、軟禁状態の城内で、私と侍従達との数人きりになった時にそっと真意を打ち明けた。


「一年以内に戦いが始まる。この星の人々は全て殺されるか奴隷にされる。だが、貴女だけは自分が最後まで守りたい」


 彼らが侵攻の準備を進めていることは、私達の星からもわかっていた。彼らがわざと見せつけていたのだ。広大な砂漠に基地を作り、彼らは巨大な軍用輸送ロケットの建造をはじめていた。

 空を越えて私達の大地を踏みにじるべく、彼らの兵士や武器が続々とその基地に集まりつつあることは、この星のすべての望遠鏡から手に取るように観測できた。

 彼らに対抗しうる武力も、この星の外に逃げ出す手段も持たない私達には、その運命に抗うすべはなかった。姿形は同じでも、彼らの文明は私達より何世紀も進んでいたし、血にまみれた彼らの歴史は、彼らという種族が私達より遥かに好戦的であることを物語っていた。


 彼は王宮に亡命者としてかくまわれ、ほどなくして、母達は彼を私の婿とすることを決めた。かの星の人間との間に子供がいれば、皆殺しは免れるかもしれない――そんな一縷いちるの望みにすがるような決断だった。私の自由意志などどこにもなかったが、彼の腕に抱かれることを私も悪しからず思った。

 神が、あるいはそれに類する偉大な知性がそう誂えたかのように、彼の体はこの星の男性と何もかも同じだった。



 それから一年近くが経ち、私は今、生まれたばかりの娘を抱いて、王宮の窓から青空を見上げている。すべての街には朝から戒厳令かいげんれいが敷かれ、城下では空に向けて並んだ大砲の周りを兵士達がせわしなく駆け回っている。

 彼らの軍用ロケットは半日前にあの星を飛び立ったという。今夜には肉眼でも見える距離まで迫るだろう。明日の朝には、私達の人智を遥かに超えた武器を携えた軍勢が、何万人とこの星に降り立ち、戦争たたかいとも呼べない一方的な蹂躙じゅうりんが始まる。


「お前達は、俺が最後まで、守る」


 傍らに立つ彼が私達の言語で言う。まだぎこちなさの残る、しかし強さと優しさを含んだ発音で。


「……私は、あなたにも生きてほしい」


 叶わぬ望みと知りながら、それでも私は想いを口にする。切なく口元をほころばせた彼が、赤ん坊の寝顔を覗きこみ、呟くようにその名を呼ぶ。

 亡国の姫となるであろうこの子に、私達は願いを込めて明日ザーヴトラと名をつけた。

 この子だけは助けてもらえるだろうか。この小さき星に生命いのちがあり文明があったことを、この子の血筋だけが後世に伝えてくれるだろうか。


 手を伸ばせば届きそうなあの星から、今、侵略の手が私達の星に伸びようとしている。

 その運命を意にも介さぬように、青空だけがどこまでも綺麗に澄みわたっている。


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