【No. 073】華胥の夢は散らさじ【性描写あり】
はつ雪の便りがあったばかりの、
「なんとも
いまでは腰が折れた
「……どれほど逢いたかったか、ああ、ようやっと」
彼は愛しい女に語りかけるような声をだす。
女。そう、娘だ。時が経つごとに昔日の景はぼやけていくというのに、かの娘の姿だけはいと
雪晴れの青に緩やかにそよいで、桜がまたひとつ、莟を綻ばせた。
◇
時はさかのぼる。
かの帝は、称を
丁年より武芸に秀で、風を読むがごとく戦局を見定めるために敗けを知らず、政においても耳聡く民の声を聴き人望も厚かった。だが、彼は不惑になっても后を娶らず女遊びに耽っていた。それも年々見境がなくなるもので、重臣たちは頭を抱えていた。欲しいと想えば臣従の正妻だろうと構わず、
ついに大陸統一を果たした祝宴には、津々浦々から万を超える美女が集められた。飲めや歌えや抱けや舞えやと宴が盛りあがるなか、舞を披露していた美妓がいっせいによけ、にわかに舞台が空となった。
何が起こるのかと帝が盃をとめたところで、ひとりの娘が舞台にあがってきた。
春の
膚に張りつくような薄絹を纏い、錦の帯を締めた柳の腰。しなやかな脚は春の雪を踏む
椿から芍薬、菫に木蓮、梅まで、ありとあらゆる華をその腕に抱いてきた帝が、ひと眼で心を奪われた。
「お気に召されましたかな」
重臣が帝に耳うちをしてきた。
「あれは百年に一度産まれる《
帝は喜び、舞が終わるとすぐさま華咲の娘を房室に招いた。
「陛下に散らしていただくため、咲き誇った華にてございます。どうぞ御随意に」
華咲の娘が微笑んで帯を解けば、華奢な肩から
帝は息をのんだ。
娘の腕からは枝垂れの桜が咲き誇っていた。舞のために枝を携えているのかと想っていたが、二の腕からさきが枝になっている。いびつでありながら、ぞっとするほどに
不躾な沈黙を羞じ、取り繕うように帝がいった。
「素晴らしい舞であった。時に其方、歌は謡えるか」
「歌でございますか。陛下がお望みならば」
娘は戸惑いながらも歌い始めた。それは
翌晩も帝は華咲の娘を房室に呼び、歌ってくれと頼んだ。
「其方のように麗しい娘と閨をともにして、肌に触れぬとは無礼なことをした。事の終わった後でよい」
華咲の娘は睫毛をふせた。
「それはできかねます。華咲は散れば、命を終えますゆえ」
皇帝はがく然とした。彼女は真実、皇帝に身を捧げるためだけにこれまで生き続けてきたのだと。哀れみを覗かせた皇帝に娘は頭を振った。
「華たるは、咲きてはかならず散るものです。私は華たるこの身に誇りをもっております」
「然れども、
時に歌い、時に舞い、そのような華が傍らにあれば、どれほどに安らぐだろうかと想った。
彼女はこころなしか、瞳を潤ませて、清かに笑った。
「優しき御方。されど風に乱されずとも、季節がゆけば花は散るもの。桜ならばなお迅し。七晩もてばよいところでしょう――いっとう綺麗な季節に摘んでくださいまし」
眦を決し、壊れ物を扱うように娘の肩をつかみ、抱き寄せようと試みた。だが褥にはらりと落ちた
「なにか望みはあらぬか。なんでもかなえてやろう」
華咲の娘は暫し考え、ほつといった。
「それでは都の話を」
「なんだと」
「ずっと
帝は他愛ないと想いつつ頷き、都の風景や民の暮らしぶりなどを語って聴かせた。娘はたいそう歓び、交替に歌をかえす。微睡んではまたつれづれに喋り――彼の人生のなかであれほど幸福な七晩はなかったと想う。
だが時は無常だ。桜は日毎に散って、最後に一輪。葩の縁を凋ませながら紅の萼にしがみついているだけとなった。娘は息も細く、皇帝に縋る。
「最期に抱いてください」
されど帝は華を散らすどころか、ついに
ただ、震える指で確かめるように唇に触れただけ。綻んだ唇は暁に咲きたつ葩のように濡れていた。熱かった。
それが、ふたりの艶事となった。
散り終えた華の骸を抱き締めて、彼はいつまでも泣き続けた。
◇
帝は都を一望できる地に華咲の娘を埋め、それきり女を絶った。大陸を統べ、仁政を敷いたのち、彼は政から身を退いた。
「吾を眠りに誘ってくれるのはやはり、其方か」
還り咲きした桜の幹にもたれて、老いた帝は眠るように瞼を重ねた。それきり醒めることはなく。然れども、彼の死に顔は、愛する女に
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