5月9日 公開分

【No. 063】畦道神楽サップーケー


 あれは十歳になった秋の初め。私は神様に逢ったことがある。


 土地の神様へ豊作を祈願する神事。十五夜を迎えて豊穣を祝うお祭りに、私は奉納神楽の女舞を舞う巫女役に選ばれた。


 選出理由はダンスが上手かったから。とかではなく、ただ単に長い黒髪が神楽舞に映えるから。創作ダンスクラブに入っていた私は何故かそれがすごく悔しくて、町内会の老人たちを見返してやりたくて神楽舞をいっぱい練習したものだ。


 誰よりも華やかに神楽を舞い、そしてどうせならこの黒髪が黄金色に稲穂が実る田圃にもっともっと映えるまでに。指先までしゃんと音が鳴るよう真っ直ぐ芯を通し、爪先で土の粒子を踏み分けられるくらい繊細に意識を張り巡らせ、神楽舞の練習に明け暮れた。


 夏が終わる。そろそろ日差しの強さも名残惜しく、稲穂は重そうに首を垂れる頃。黄金色の田圃は無色の風に撫でられて波打ち、きっと神様も満足気に満月を眺めているだろう明るい藍色の夜に。


 巫女装束に一輪の稲穂を携えて。私は神楽を奉納する。白い足袋で土の上に立ち、畦道に足を摺らせて実った稲穂を振るう。紅い袴が田圃の泥に穢れようと、むしろそれは神遊び。喜んで泥に塗れよう。


 神楽とは神人一体の宴の場。町内会の若い旦那さんが和太鼓を打ち鳴らし、スマホから音源を飛ばしてワイヤレススピーカーで神楽歌を流し、五穀豊穣を祈願する里神楽。近代日本のオリジナル要素も加わって古式ゆかしい神様と一緒に遊ぶようなものだ。


 ふと、気付く。町内会の重鎮たちが組み立て式テントでパイプ椅子に座ってビールを酌み交わしている席に。私は神様と出逢った。


 一人だけ、社会の教科書に出てくるような古めかしい格好をした見知らぬおじさんがいた。お酒を嗜む席の輪から外れて、誰からも見られることのないテントの奥にぽつんと、お髭を蓄えて赤ら顔のおじさん。ふわふわと音楽に合わせて肩を揺らしている。


 神楽を舞う私とぱちんと目を合わせたかと思おうと、慣れていないのかぎこちない仕草で親指を立ててイイネサインをくれた。


 神楽舞に振り回されてくたびれたのか、垂れ下がり気味だった一輪の稲穂がしゃんと立つ。満月が吹き下ろす冷たい風が夜露に濡れる黒髪を撫でてくれる。踏みつける田圃の泥の瑞々しく跳ねる。


 独りぼっちっぽいけど、楽しそうで何より。見たことないおじさん、この土地の神様ですね? 里神楽、楽しんでますか?




 二十年後。私は再び神楽舞を舞うこととなってしまった。よりによって、故郷から遠く離れたこんな僻地で。


「私がですかあ?」


 無茶だ。無謀だ。暴挙だ。それでもお偉いさんたちは意見を曲げないだろう。老人とはそういう生き物だ。


「八乙女くん。これは大変意義のある祭になるのだよ。人類初の神事であり、名誉なことだ」


 老人たちはきれいで誇り高い言葉を並べ立てた。


「神楽を舞ったのは十歳の時ですよ。私は神楽専門の巫女なんかじゃありませんっ」


 黒髪がふわりと揺れ立つ。十歳の頃と変わらず夜露に濡れたようなしなやかな黒髪は波間にたゆたう海藻のように膨らんでは流れる。


「いいや、これは君にしかできない重要な任務だ」


「いやいや、無茶ですって。低重力下で神楽を舞えだなんて!」


 人類が月面に降り立ってはや十五年。ついに日本人は月面に田圃をこしらえて月面稲作を始めようとしていた。そのコマーシャルとして、五穀豊穣を祈願する月面神社を建立しようと企画が持ち上がった。弊社の建築部門に白羽の矢が立てられたのはまあいい。たしかに名誉なことだ。だが、低重力重機専門のパイロットである私が神楽を舞うだなんて、そんなのは聞いていない!


「やってくれるね、八乙女くん。月面神社の人類初神事、遂行してみせてくれ」


 ふざけんな。だなんて言えなかった。かしこまりました。私は飼い慣らされた社畜なわけで。




 スペーススーツを着込み、何故か巫女装束になぞらえて純白と真紅のツートンカラーに染められて。私は月面田圃に降り立った。もう、どうにでもして。


 月。静かの海。そう呼ばれているが、実際は海なんかじゃない。もちろん月面に直接水田を作るわけではない。巨大な多層ドームハウスを建設して、土を根こそぎ入れ替えて、試験的な田圃と神社を建てる。月面に人工的なミニマム生態系を構築するのだ。


 私はスペース地下足袋の足跡を月面にぽとりと落とす。摺り足で足跡を溝として刻み、しゃんと跳ねる。


 小さいサイズしか用意できなかった和太鼓を打ち鳴らし、タブレットPCからワイヤレススピーカーで神楽歌を流す。それだけで神事っぽい雰囲気は十分に醸し出せる。だけど、神楽舞いはそうもいかない。


 地球の16%しかない月の重力は私の身体を放り投げる。凛と強く脚を踏み込めば、私の上半身はぽんと跳ね上がる。束ねた黒髪は一本の注連縄のようにうねり、月面に降り注ぐ太陽の光を反射させる。わざわざ黒髪が田圃に映えるようにと特注されたヘルメットから伸びる透明なヘルメットシェード。黒髪は単体の生き物みたいに跳ね動く。


 紅白の宇宙服で、低大気状態の多層ドームハウスに敷かれた田圃の畦道を、軽やかなステップで宙を舞うように神楽を奉納する。なんだ、これ。


 人類初の月面神楽。故郷たる地球から遠く四十万キロ離れた極端な僻地で、私は低重力神楽を奉納した。


 ふと、人類初の神事に参列する宇宙服の集団に、見知らぬおじさんがいるのに私は気が付いた。神楽を舞いながら、その古めかしい格好をした不思議なおじさんを見つめる。何故、このおじさんは宇宙服を装備せずに月面にいられるのだろう。


 お髭を蓄えて赤ら顔のおじさんは、私の視線に気付いたようで、慣れていないぎこちない仕草で親指を立てるイイネサインをくれた。


 思い出しました。おじさん、神様ですね。また、お逢いできて光栄です。


 私は八乙女初穂、人類初の月面巫女です。こんな殺風景な土地にお引越し、お疲れ様です。今後ともよろしくお願いいたします。

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