ありふれた風景の一部でしかないはずの、すれ違うだけだった近所の誰かも、いなくなってしまうとぽっかり景色に穴が空いたように寂しくなるものですよね。恐らく二度と再会することはない、よしんば再会できたとしても向こうは「俺」のことを知らない。その非対称性が切なさをますますかき立てます。三角ばばあの去ったあとも「俺」の平凡な日常は続いてゆく、ラストの締めくくり方が大好きです。素敵な作品でした!
大きな接点があるわけでも、何かが起きるわけでもない、日常の一コマを切り取ったようなすれ違いの中で、私たちは生きているんだよなぁと、しみじみ感じる良作でした。切り取り方がステキ。
しみじみと、じんわりと好きなお話です。
通り過ぎる背景の一部だと思っていたけど、そこにいたのは確かに人で、その人にも人生があるんだ、ということが感じられました。
主人公の日常にここまで組み込まれていると知って、三角ババァはどこかで笑っているんじゃなかろうか
ぜひそうであってほしい
編集済
あぁとても好きなお話でした。関わりのない人物の、日常の中の確かな存在感。とても身近に感じられました!
そしてどうしてか気になって、三角ばばあをなぞってみた彼。
三角ばばあのことは、きっとずっと頭の片隅に残っていくのでしょうね。
ありがとうございました!
直接的な関わりはなくとも、日常風景の一部だったわけなんですよね。
日常風景の一部にしか過ぎなかったけど、その人にも人生があったわけなんですよね。
言語化しにくい感覚が見事に切り取られていて、嘆息しました。
もしかしたら、自分も誰かにとっての「三角ばばぁ」みたいな存在かもしれませんね。
好きだな。私たちの人生は本質的には三角ババアと変わらないし、逆に三角ババアと思えない人と出会えた人”は”幸せなのだろうね
こういう喪失感って、多かれ少なかれ誰もが感じたことあるんじゃないかなあという気がしました。電車で毎日見かけてたちょっと変な人が、ある日から乗ってこなくなるとなんか物足りないんだよな、みたいな…。
三角ババァと「出会わなくなった」ことが「再会」とも言える感じですね……これは良い初夏の空疎感の演出……