【No. 007】アーベルとエラと森の魔女【残酷描写あり】

 森の魔女は百人の女をさらった。


 エラが森の魔女にさらわれたのは、十七になった頃だった。

 エラは近隣の村のどこにでもいるような女だった。ふわふわとした小麦色の髪に、緑色の瞳、日に灼けた頬にはそばかすが浮いていた。働き者だから手だって傷だらけで荒れていた。水汲みでよく歩くから、あしだってがっしりと逞しい。

 それでも、アーベルにとっては、誰よりも可愛らしい愛しい妻だった。同じ村で同い年で仲良く育ったアーベルとエラは、十六の年に当然そうなるように結婚した。

 森の魔女にさらわれたのは、その少し後のことだ。


 アーベルはエラを取り戻すため、剣を手に入れ、森の魔女の元へ向かった。

 彼の他にも女を取り戻そうと何人もの男が森の魔女を殺しに行ったが、誰も戻らない。それを知っても、アーベルはエラを諦めることができなかった。

 エラがさらわれたまま、自分だけがいつものように村の暮らしを続けることは、アーベルにはできなかった。


 どれほどけわしい道のりかと身構えて向かったアーベルは、思いがけずあっさりと森の魔女の元へ辿り着いた。けれど、本当の困難はその後だった。

 森の魔女はこれまでにさらってきた百人の女の姿を全て自分のものにしていた。まるで美しい極光オーロラのような輝きが、塊となってアーベルの前にあった。その輝きの中に、百人の女の顔が、腕が、脚が、からだが、ゆらゆらとうごめいている。

 アーベルの目の前に、女の顔が入れ替わり立ち替わり現れては微笑ほほえみを投げ掛ける。アーベルを抱き締めようとその両腕を差し伸べる。アーベルを誘惑しようと惜しげも無くその胸とはらを差し出してくる。

 アーベルをからめ取ろうと伸びてくる白く細い指先を、アーベルは躊躇ためらうことなく切り落とした。ごとり、と誰のものとも知れぬ両腕が地面に落ちる。

 極光オーロラの輝きの中から、今度は褐色の肌をしたなまめかしい脚が突き出してくる。アーベルはそれも切り落とした。

 女の顔も、胸もはらも、アーベルは全て切り落とした。もう何人分を切り落としただろうか。アーベルの求めるエラは、その中にはいなかった。

 アーベルの周りには、何人もの女のからだが、その一部が、折り重なり積み上がっていった。


 ああ、そしてようやく、アーベルはエラの指先を見た。

 働き者の傷だらけの手。アーベルに向かって伸ばされたその腕を掴んで引っ張れば、その向こうから小麦色の髪の毛と緑色の瞳が見えた。日に灼けた頬にはそばかすが浮いている。

 その胸、はら、脚、全てがアーベルの求めるエラだった。間違いなくエラだ。

 折り重なるたくさんの女のからだの中で、アーベルは極光オーロラの輝きの中から引っ張り出したエラを抱き締めた。

「エラ、エラ、会いたかった、エラ」

 きつく抱き締められたエラは、その唇に笑みを浮かべる。

「アーベル、ええ、アーベルなのね、ここまで来てくれて嬉しいわ、わたし、とっても嬉しい」

 ふと、アーベルは腕をゆるめて目の前のエラを見た。確かにエラのからだ。エラの声。けれど、何かがおかしい。

 エラはアーベルを見上げて、それはそれは美しく微笑ほほえんだ。

「アーベル、わたしまたあなたと暮らせるのね、嬉しいわ」

 確かにその顔はエラだった。その声もエラだった。けれど、それをしゃべらせているのは、エラではないのだ。その表情もエラのものではない。

 そのことに気付いて、アーベルはエラを突き飛ばして剣を振り上げた。

 突き飛ばされたエラは、地面の上から剣を構えるアーベルを見上げた。その笑みはやはり、どこまでも美しかった。

「せっかくまた会えたのに、どうしてなの、アーベル」

 アーベルは口を開いたが、何も言わずにまた唇を引き結んだ。剣を握る手に力が入る。

 エラの顔が微笑ほほえみを浮かべたまま、エラの手がエラのはらでる。

「わたしの中に貴方あなたの赤ちゃんがいるのよ、二人の子供なの、アーベル、ねえ、一緒に暮らしましょう、二人で子供を育てるのよ」

 振り上げたままのアーベルの剣先が、力の行き先をくしてふるえる。

 エラの両腕がアーベルに向かって差し伸べられる。アーベルをい求めるかのように。アーベルのすべてを許すかのように。

「アーベル、わたしは優しい貴方あなたが好きよ、ねえ、アーベル、また貴方あなたと暮らしたいの、だって小さい頃からずっと一緒だったわ、これからもずっと一緒よ」

 エラの顔で、エラの腕で、エラの胸で、はらで、あしで、エラのからだで、エラの記憶で、森の魔女がアーベルを誘う。

 剣を振り下ろせば終わるのだと、アーベルは悟っていた。けれど、アーベルの剣先はまだエラの頭上でふるえていた。

「お前はエラじゃない、お前はエラじゃない」

 うめくようなアーベルの声に、エラの顔はわらう。

「わたしはエラよ、そうでしょう、アーベル、貴方あなたのエラよ、貴方あなたの花嫁、貴方あなたの妻、貴方あなたの大事なエラ、そうでしょう、アーベル、一緒に暮らしましょう、だってわたしがエラだもの、ねえ、貴方あなたのエラよ」

「違う、エラじゃない、お前はエラじゃない」

 アーベルはそして、その剣を振り下ろしただろうか、それとも手放しただろうか。


 森の魔女は百人の女をさらった。さらわれた女がどうなったのか、女を助けに向かった男がどうなったのか、知る者はいない。

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