第18話「散髪」

 楽しかったはずなのに、楽しい思い出が全然ない文化祭だった。後片付けも終わり、私は帰り道と反対方向に足を運ぶ。別に康太と富永さんが気になったとか、そういうことではない。よく通っている美容室がそこにあるからだ。


 お店の扉を開けると、カランカランという音と共に美容室のお姉さんが出迎えてくれた。カットする時はいつもこの人にしてもらっている。名前は知らない。


「いらっしゃい。いつものカット?」

「うーん、思い切ってバッサリしてもらっていいですか?」


 それを受けてお姉さんは少し戸惑っていたけれど、私の心情を察したのか「わかった」と素直に了承し、私は空いている席に通された。いつもはもう2、3人くらいの客がいるのだけれど、今日が文化祭の日だからなのかあまり賑わっていない。


「で、どのくらいカットするの?」

「そうですね……とにかくバッサリ。耳が見えるくらい」


 今の髪は肩にかかるかかからないかくらいのボブショートだ。別に今の髪型に不満があるわけではない。ただなんとなく、切りたかった衝動に駆られた。


 クロスを着せられ、ネックシャッターを巻かれ、いよいよカットが始まる。そういえば今日文化祭だったんだね、という雑談をしながら、お姉さんは作業を進めていった。


「で、本当は何があったの?」


 やっぱり見抜かれていた。あはは、と笑いながら、私は答える。


「実はですね、昨日失恋してしまいまして……」

「ベタだねえ」


 優しい口調だった。富永さんのようなふんわりとした感じじゃないけれど、母のような温かさを感じられた。思わず泣きそうになる。


「失恋して髪切りに来た子、あたし初めて見たよ」

「私も、まさか自分がそうなるなんて思ってなかったです。こんなの、フィクションの中だけだろって。でも、今ならわかります」


 この心情がどういう理屈からきているのかはわからないけれど、失恋した本人なら多分100%共感できる。


 チョキ、チョキ、とハサミで髪を切る音が心地いい。下を見てみると、髪の毛の小さな塊のようなものがポツリポツリと落ちていた。鏡で確認しても、いつもよりも思い切って刃先が髪の毛に向かっているのがわかる。だけど後悔はしていない。


「あのさ、あたしなんかがアドバイスできるのかわかんないけど」


 お姉さんは手を止めず、話を続けた。


「結果はどうであれ、絶対後悔しちゃダメだよ。恋愛における後悔ってさ、どれだけ些細なものでも一生引きずるから。あたし今でも元カレと喧嘩したこと覚えてるもん。『なんであんなこと言っちゃったんだろう』って、ずっと思ってる。でもさ、今更後悔したってもう取り戻せなかったりするんだよ。だから君も、そんな後悔はしてほしくないな。以上、あたしからのアドバイスでした」


 はい、とお姉さんは手を止めた。どうやら散髪が終わったらしい。折り畳み式の鏡で後ろの方も確認する。オーダー通り、大分バッサリとやってもらった。髪を束ねなくても耳が見える。少々ボーイッシュにも思える慣れない髪型に、ちょっと恥ずかしさを感じた。


「こんな感じでいい?」

「はい。バッチリです」


 その後は眉を整えたり、シャンプーをしたりした。全工程を終えて、少しだけスッキリした気がする。3000円ね、とお姉さんの催促通りに私は料金を支払った。


「あ、そうそう」


 店を出ようとしたその時、お姉さんは呼び止めた。


「自分の気持ちに正直になりなよ」


 その言葉に、私は「はい」と返した。不思議と元気が湧いてくる。この人は本当にすごいな、と思った。スタイルから人生観まで、何から何まで憧れの女性だ。ありがとうございます、と言って私は店を出た。髪を切ったから風が吹いたらいつもよりも耳元が冷たく感じる。


 家に帰ってから、両親に仰天されたのは言うまでもない。

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