再会

 日が南天高らかに昇ったころ、英文とにらめっこしていた僕は、玄関口に足音がしたのを聞き取った。僕は跳ねるように椅子を立ち、速足で来客を出迎えた。


「ディー!」

「リオ!」


 玄関口に、誰もが羨む美少年が立っていた。上半身裸のリオである。僕もリオも、声をうわずらせて互いの名を呼び合った。リオがを持っていなければ、すぐにでも彼の細い体を固く抱きしめただろう。

 リオは手土産として、一メートルほどのサメを丸々一匹かついできていた。見た目からして、メジロザメ系のサメだろう。いかにもリオらしい、豪快な手土産だ。

 リオは空港で別れのあいさつを交わしたあの日から、ちっとも変わらぬ姿をしていた。話したいことも、聞きたいことも、色々あった。色々あったはずなのに、僕の舌はうまく回ってくれなくて、何も言葉をつむげぬまま口ごもってしまった。


「そういえば、ハナはいないのかな」


 ハナというのは姉貴の名で、リオにとってはこれから妻となる者の名である。リオの二言目の発言に、僕は少しだけ気落ちした。昔のリオは僕を差し置いて姉を気にかけるような男ではなかった。

 

 ――もうリオの心はすっかり姉貴のものなのか。


「姉貴なら、父さんと一緒に買い物に行っているよ。多分夕方になるまで帰ってこないと思う」

「へぇ……ディーこんな難しそうな本を読んでるのか……さっぱりわからないや」


 いつの間にか、リオはテーブルに伏せてあった僕の課題図書を読んでいた。反応を見るに、彼には少し難しいようだ。

 リオは決して無知無学な男ではない。漁師の子にしては珍しく勉強熱心で、英語を話すのも得意だった。ゆえあって進学せず漁師の仕事を継いだが、本当なら僕と一緒に首都の学校に行ける学力をもっている。


「いやーそれがさ、どうにも読書が進まなくて。読書っていうか、英語の翻訳が進まないんだ」

「そっかぁ……それじゃあ気晴らしに散歩しに行こうか。砂浜行こ?」


 リオはつぶらな瞳を輝かせながら提案してきた。このときの顔は、一児の父でも姉の夫でもない、旧友の顔そのものだった。

 僕は当然、二つ返事で快諾した。そうして家を抜け出し、僕ら二人は二十分ほど歩いた先にある砂浜へ向かった。

 白い砂に、青い海……都会のビル群にはない、美しい風景が砂浜にはあった。ここには車の音もなければ、人々の喧騒もない。さざ波の音と海鳥の鳴き声だけがある。

 リオの褐色の背には、赤い幾何学模様が走っている。これは漁師特有の入れ墨だ。漁師の子は成人すると、みんな頬や腕、胴体に赤い入れ墨を彫り込まれる。これらの模様は一人一人異なっているらしく、二つとして同じ模様の入れ墨はないのだという。


「この間さぁ、向こうの方で素潜りしてたんだよ。そしたら日本人がすんごく大きなイタチザメに付きまとわれててね。それで……」


 リオは北側の遠くを指さしながら語った。指さした先にはダイビングスポットがあり、近年徐々に人気を増しているらしいことは知っている。リオはどうやらその近くで、イタチザメに絡まれている日本人を助けてやったらしい。


「ええ……それリオも危ないだろ……確かイタチザメってすごく怖いやつじゃあ……」

「絶対大丈夫……とは言い切れないけど、サメの対処法は父ちゃんに教わったから」


 リオの語り口は、平然としたものだった。彼はこう見えて、肝の座った男なのだ。少女のような愛らしさと華奢な体つきは、漁師の子たちの間で侮られてもおかしくない。けれども学校にいた漁師の子たちは、リオのことを決してばかにしたりしなかった。それはきっと、この少年に人一倍の度胸と根性が備わっていたからだろう。


「おっ、いい感じの貝殻みっけ!」


 リオは足元から、綺麗な貝殻を拾い上げた。貝殻を見せつけるリオの無邪気な顔は、一緒に遊んでいたかつてのリオと少しも変わらない。


「見て見てこれ。ハナにプレゼントしたら喜ぶかな」


 リオが見せてきたのは、小さな巻貝だった。白っぽい色をしたそれは、日にかざすときらきら虹色の光を放った。


 夕陽が水平線の彼方に没するまで、僕たち二人は砂浜を歩いていた。

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