流雲と貝殻

武州人也

親友が姉婿に

 澄み渡った青空に、白い雲が流れている。濡れた土の地面、道の両側に高らかとそびえるヤシの木、古風な高床住宅……それらは僕に、抑えがたい懐かしみを呼び起こさせた。

 首都の学校に通う僕は、長期休暇を利用してスラ島の実家に帰省した。郷里を離れてせいぜい四か月だというのに、首都の賑やかさがそのまま裏返ったような寂しい村の様子が、僕にいささかの安心感を覚えさせる。都会で勉学に勤しむ日々に欠乏していたのは、この安心感だった。

 僕が実家にたどり着いたのは、午後三時を回った頃だった。実家の門口をくぐると、その先で母と姉が待っていた。昨日降ったスコールのせいか、庭木も土もじっとり濡れている。高床の木造家屋も、そこに暮らす家族の姿も、四か月前からちっとも変わっていない。その変わらなさに、僕はほっとした。


「ディー、帰ってきて早々だけど話があるの。こっちきて」


 まだ荷物も下ろしていないうちに、母はそう告げた。長旅の疲労もぬけないまま、僕は居間に導かれた。


 そんな僕を待っていたのは、姉の衝撃的な一言だった。


「私、リオと結婚するの」

「え、リオと姉ちゃんが!?」

「そう。もうお腹に赤ちゃんいるのよ」


 頭を木づちで叩かれたような気分だった。まさか、僕がいない間に、リオと姉貴が結ばれていて、その上子どもまで……


 リオというのは漁師の息子で、僕の幼馴染だ。漁師街の出身者は荒っぽい人が多い。僕は学校でも漁師の家の子たちが苦手で、彼らとはあんまり深くかかわらなかった。けれども彼だけは別で、僕を文弱のともがらといってけなさなかったから、自然と仲良くなった。

 僕の脳裏に、つい四か月前に涙の別れをしたリオの姿が浮かぶ。華奢な体つきに、愛らしくも凛々しい顔立ち、後ろで結わえた長い黒髪……あんなに整った容姿の少年は、都会にもいなかった。天界の造型師が作り上げた無二の傑作といっても過言ではない。


「私もびっくりしたのよ。でもリオくんなら昔から知ってるし、どこぞの馬の骨よりはよっぽど相手としてふさわしいと思ってねぇ」


 母さんが何か言っている……僕はしばらく、放心状態に陥っていた。母と姉が続けて何か話していたが、その甲高い話声は僕の耳から耳へそのまま抜けていった。祝福するべき慶事だというのに、僕の口は何も言葉をつむげなかった。


 その夜、僕はなかなか寝つけず、横になってごろごろしていた。リオは、リオは数年来の旧友だ。海岸で一緒に貝拾いをしたり、罠をかけてとった小鳥を焼いて食べたり、投げ縄をして遊んだりしたことが、まるで昨日のことのように思い出される。

 僕らの村では十五歳で成人だ。成人の儀では、サメの歯で装飾された冠を村長によって被せられる。儀式を済ませた暁には一人前の大人として認められ、婚姻の権利も生ずるのだ。僕とリオは八カ月ほど前に儀式を済ませているから、この結婚は別段何の問題もない。のだが……


「まさかな……」


 あのリオが一足早く大人の階段を上った……いや、鷹のように空高く飛び去ってしまったことに、戸惑わずにはいられない。その上相手は僕の姉貴で、しかもすでに子を成している……

 確かにリオの成人後、リオと姉貴は二人だけでどこかへ出かけることがしばしばあった。あの二人いつの間に仲良くなったんだ、などとのんきに思っていたが、今思うとあれは逢引きそのものだったのだろう。その結果として姉貴はリオの子を孕んだのだ。


「いきなり言われても、信じられないよな……」


 僕はやはり、現実味を感じることができなかった。


 あくる日、僕は鏡で自分の顔を見てみると、目の下にくっきり隈ができていた。昨晩はなかなか寝つけず、飛行機とバスを乗り継いだ長旅の疲れをほとんど癒せなかったのだから仕方ない。

 居間では、母が僕を待ち構えていた。


「あ、そうそう。リオくん今日来るから」

「リオが?」

「あの子、うちに来る度にいつもディーのことを聞いてくるんだよ。会いたがってるんだろうね。ディーが帰ってきたと知ったらきっと大喜びだよ」


 母の話を聞いた僕は、嬉しさで胸を弾ませた。旧友との再会を喜ばないものがどこにいようか。けれども此度こたびは少し事情が違う。どんな顔をしてリオに会えばいいんだろう、という戸惑いも、僕の胸の内に巣くっている。とはいえ再会を喜ぶ心は、そんな戸惑いを凌駕していた。

 ただ待つのも手持ち無沙汰だ、と思った僕は、課題図書を開いた。英語で書かれているため、逐一訳しながら読まなければならない。のだが……


「あー……全然だめだ……」


 英文の翻訳には、集中力が必要だ。けれども気持ちがそわそわしすぎて、集中力が散ってしまう。結局、読書は大して進まず、ただ時間だけがいたずらに過ぎていった。

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