『みゃー子』と『わたし』
水研 歩澄
①『みゃー子』
わたしが、初めてこの家に連れてこられた時、貴方はまだ丸っこい顔をした幼子だったわね。
急に慣れない場所に閉じ込められて、不安で落ち着かないわたしを指さして貴方は……
「────みゃー子だ!」
貴方があまりにも嬉しそうにそういうものだから、他の家族までわたしのことをそう呼び始めたわ。別にもう、覚えてなんかいないでしょうけど。
その日から、わたしと貴方は家族になった。
はじめは大嫌いだったわ。
しっぽは引っ張るし、何かあればすぐ大きな泣き声をあげるし。
身体の大きな貴方のことが怖くて仕方なかった。
けれど貴方が大きくなるにつれて少しずつ、わたしに触れるその手が優しく柔らかくなっていった。
毎日のように得意げな顔でみゃー子みゃー子と呼びながらわたしの頭を撫でていた。
そうしてるうちに、わたしも気づけば貴方の大きな手が怖くなくなっていた。
それから、色んな日々を過ごしたわね。
きんと陽がさす昼間にひんやりした床の上で丸くなって寝たり、しんと冷える日には2人して温いハコの中に篭ったりもしてたわね。
家族と喧嘩して1人で泣いてた貴方を慰めてあげたこともあったかしら。
月日が経って昼間傍にいない日が増えたりもしたけど、夜には必ず帰ってきて毎日同じ笑顔で呼びかけてくれた。
わたしはついに貴方より大きくなることはできなかったけれど、それでもいいの。
わたしは貴方の膝の上が好きだったから。ほのかに温くて、柔らかくて、ほと心が緩まる。そこがいつだってわたしのお気に入りで、そこがわたしの居場所だった。
時間が経って、そんな貴方もこの家に帰ってこなくなった。
“その日”のことは今でも憶えてる。
貴方が知らない匂いのするニンゲンを連れてきて、名残惜しそうにこっちを見るからすぐに分かったわ。
わたしは最後になるつもりで声を上げたけど、貴方は逃げるように出ていってしまった。
それから、貴方のいない毎日が訪れた。
何度太陽が傾いても貴方は1度も帰ってこなかった。時々、どこからか貴方の間の伸びた声が聞こえてくるくせに、わたしの傍には来てくれない。わたしから貴方の元へは行けないし、貴方に来てほしいとも伝えられない。
ただ、来る日も来る日も独りで“カチカチ”という音を聞いていた。騒がしい貴方のいない日々はひどく退屈だった。
そんな日々を幾年も過ごしているうちに、わたしは次第に身体が重くなり、食欲も減って、気が満ちなくなっていった。
わたしの身体を少しずつ蝕んでゆく“それ”の行く先に何が待っているのか……そんなことは誰かに教えて貰わずとも分かっていたわ。
そのことを悟った時、わたしは急にまた貴方に会いたくなった。
もう何年も会っていない懐かしい匂いを、何のアテもなく求めるようになっていた。
あと少し、もう少しだけ待っていれば、また貴方に会える。そんな気がしていた。
「────みゃー子!」
そして、その予感は終に現実のものとなった。
「みゃー子? みゃー子! ただいま! わたし帰ってきたよ? ねぇ、みゃー子?」
久しぶりに帰ってきた貴方はひどく慌てた表情でわたしの元へ駆け寄ってきた。
「ごめん、ごめんみゃー子。仕事とか色々忙しくてなかなか帰ってこれなくて。本当はもっと早く帰ってくれば良かったのに……貴方を後回しにしちゃって本当にごめんね」
急に帰ってきたと思ったら休みもせずに捲し立てて。相変わらず騒がしい子ね。
けど、良かったわ。
本当に久しぶりに貴方の匂いがする。すぐ近くで貴方の声が聞こえる。
「こんなに、痩せちゃって……」
そういえば、貴方少し太ったんじゃないの? 動きも何だか重たそうだし。昔から食べるのが大好きな子だったものね。
けどまあ、今のわたしよりよっぽど健康的で少し羨ましいわね。
「ねぇ、みゃー子。──────……」
何だか、貴方の声が遠くなってきたわね。
久しぶりに貴方の顔を見れて安心したのかしら。久しぶりに貴方に触れてもらって嬉しかったのかしら。最近少し、疲れていたのかもね。
ふふ、声は聞こえなくても伝わるものね。何だか貴方、今とっても幸せそう。
「………────っ!」
今回は少しだけ深い眠りになりそうだから、今のうちに貴方にずっと伝えたかったことを伝えさせてもらうわね。
────みゃーお。
「───。──だ──、みゃー子。─わ────────────ゃダ─だ──」
本当は貴方が理解できるように表現できれば良かったんだけど。でも、わたしが伝えたいことはこれだけ。
「─────、みゃー子。わたし─た─た───、─────だ─」
ねぇ、大好きよ。わたし、貴方のこと。
感謝されるまでもないわ。わたしの生命が今こんなにも満たされているのは全て貴方のおかげ。貴方のくれた日々のおかげ。
今はこれでお別れかもしれないけど、いつかまたどこかで巡り会えたなら、幸せそうな顔をした貴方と、もう一度“家族”になりたい。
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