第16話


 太陽が沈み月が天空に顔を出す頃、月宮殿では夜を統べるふたりの女神が動き出す。


 アルテミスは月宮殿の祭殿で目覚めるが、ツクヨミはテラスで目覚めることが多い。


 アルテミスは月宮殿にいる間は祭事を行っていることが多いが、ツクヨミはテラスで星を見ていることが多いからだ。


 祭事を行っているまま眠ってしまうアルテミスと星を見たまま眠ってしまうツクヨミ。


 ふたりはそのまま翌日の夜を迎えることが多いので、目覚めたときに顔を合わせる機会は少ない。


 しかし今日は違った。


 ツクヨミはテラスで目覚めると、そのまま祭殿に向かった。


 ツクヨミが向かった先にいるはずのアルテミスもツクヨミの下を目指していたのか。


 ふたりは丁度中間点にある回廊で顔を合わせることになった。


「感じた? アルテミス? わたしは感じたわ。クルスライムの気配を」


「わたしも感じたわ。月が関係しているからかしら? クルスライムはどうも今あの日みたいね」


「でも、姉様の気配は感じなかった。ご一緒じゃないのかしら?」


 アマテラスの行方はツクヨミにとって、どうしても知りたいことだった。


 クルスライムがこの世界を去るとき、アマテラスは遠慮する彼女を押し切って同行した。


 どこに向かうかもわからない旅立ちだったのに、アマテラスは妹には苦労させたくないと心配するツクヨミを押し切った。


 必ず戻ってくるからと約束だけを残してアマテラスは旅立った。


 クルスライムと共に。


 そのクルスライムが亡くなったことを知ったとき、ツクヨミはてっきりアマテラスも戻ってくると思っていた。


 しかしどれだけ待ってもアマテラスは戻ってこなかった。


 どうしてなのか。


 ずっと気にしていたのだ。


 亡くなったはずのクルスライムは戻ってきた。


 だが、やはりアマテラスは戻ってこない。


 その理由を考えてもツクヨミにはわからない。


「クルスライムが戻ってきたのに、どうして姉様は戻っていらっしゃらないのかしら」


「知りたければクルスライムに訊ねるしかないんじゃない? さすがに知っていると思うもの。アマテラスがどうしているかくらい」


「でも、もしアポロンに気付かれたら」


「そうね。わたしたちが今気付いたのは月経のせいだもの。アポロンが気付いていないのもそのせいだし」


 アルテミスの意見にツクヨミも答えるべき言葉がない。


 アポロンは悪戯好きで太陽神の名に相応しく気性も激しい。


 アマテラスは母なる神というべきか、気性の荒い素戔嗚尊という弟神がいるせいか、アポロンの扱いにも長けていた。


 そのせいでアポロンはアマテラスに懐いていたのだ。


 そのアマテラスを連れてクルスライムが去ったことで、彼はアマテラスが戻ってくるまで世界を太陽で照らすという暴挙に出ている。


 そのせいで世界は砂漠化が進み、世界は破滅へと進んでいる。


 それを阻止しようとアルテミスはアポロンに抗議して、夜の間は彼に手を引いてもらうことに同意してもらった。


 そのせいで世界のバランスは辛うじて保たれているのだ。


 そういう事情からアマテラスの帰還は神々にとっても重大事となっている。


 アポロンが気付いていない今できれば気付かれたくはない。


 しかしアマテラスの行方は知りたい。


 神々にとってもジレンマだった。


「アポロンに知られてもアマテラスの行方を知りたいと思うか。後はあなた次第だわ。ツクヨミ」


 最終的な答えを出されてツクヨミは決心した。


 クルスライムに逢いに行くことを。





 月宮殿でそんな話し合いがされているとも知らない他の神々も、クルスライムの帰還には気付いていた。


 というのもアルテミスたちとは違う方法で。


 アマテラスたちは女性特有の勘で知ったが、他の神々が知ったのは実は冥府の王ハデスのせいだった。


 ハデスが閻魔王に人間の護衛を頼み、閻魔王が素直に動いたことから、神々も気付いたのだ。


 このふたりが協力するとしたらクルスライムしかあり得ない、と。


 そのことから閻魔がだれの護衛をしているかを探って浮上したのが来夢だったということである。


 戦いの女神アテナ、美の女神ヴィーナス、争いの女神エリスなどが集まって久々に会議を行っていた。


 この世界に召喚された神々で男神はハデス、ゼウス、閻魔王などの王クラスだけなので、普通に集まったとき、そこにいるのは女神だけということになってしまう。


 特に彼女たちを統べる大神ゼウスが眠りについているのだ。


 嫡子のハデスの動きに過敏になるのも仕方のない話だった。


「それにしてもハデスにも困ったものね。クルスライムの帰還に気付いたのなら、長男として真っ先に報告するべきでしょう? それを隠した上にこっそり護衛なんて、一体なにを考えているのかしら」


 ヴィーナスがその美しい顔を翳らせて愚痴る。


 神々は大神としてのゼウスに従っているが、慕われているのは実はハデスの方だった。


 困った子ほど可愛いと言うべきか。


 ハデスには女性心を擽るなにかがあるのだ。


 そのせいで女神たちが集まるとハデスの話題になりがちで、ゼウスは益々ハデスを羨み嫌悪するのである。


 それはここにいる3人の女神たちでも例外ではなかった。


 長男としてのハデスを慕い、それぞれにその動向に過敏になっている。


 それ故に浮上した今回の事態は、女神たちには頭の痛い問題だった。


 アポロンがなにより執着しているアマテラスの行方を握る唯一の人。


 クルスライムについてなのだから。


「まあハデスって昔からクルスライム贔屓だったから仕方ないんじゃない? あたしが不和の種を蒔けば蒔くほど、彼女が泣くからって何度責められたか」


 そう言うのは争いの女神エリスである。


 彼女は立場的に争いを司っているので不和の種をよく蒔くが、それは本意ではない。


 争いの女神のくせに平和主義というなんとも変わった女神だった。


 平和主義なのに不和の種を蒔くのが役割だったため、人間には協力的になれず有名になれなかった。


 エリスはどちらかと言えばハデス寄りの神なので、ハデスには甘く採点しがちである。


 そのエリスの擁護に苛烈の気性を持っているということでは、ハデスと通じるもののある戦いの女神アテナが異論を唱えた。


「そうかしら? エリスはハデスに甘いけれど、なんでもかんでも擁護すればいいってものじゃないわ。クルスライムが復活したのなら、当然だけれどアポロンに対して対処を決めるためにも、それは報告されるべき事柄よ」


「「アテナ」」


 ふたりの女神が苦い声で彼女の名を呼ぶ。


「今この世界で太陽が与える影響は大きいの。アポロンの存在は無視できないわ。なのにクルスライムは戻ってきているのにアマテラスの気配はない。その状態で彼女の帰還を伏せて内密に片付けることが仕方のないこと? わたしはそんなふうには考えないわ」


 現実にアポロンが与えている太陽の影響を無視できない以上、アマテラスの行方を握りアポロンの恨みを買っているクルスライムの帰還は神々にとっても重大事だ。


 おまけに彼女がかつてと同じ影響力を取り戻したら、違う意味でも無視できなくなってくる。


 なのにハデスは内密に片付けようとしたのだ。


 仕方がない。


 そんな一言で片付けてはいけないとアテナは思う。


「でも、現状を見るかぎりでは彼女はハデスの誘惑を拒絶したみたいね」


 ヴィーナスの指摘に残りのふたりの女神は頷いた。


 かつての彼女なら考えられないことだ。


 ハデスが彼女を愛していたのは確かだが、クルスライムはその立場的にハデスへの気持ちを明確に示したことがない。


 しかし同じ女性という立場にある自分たちには、彼女の気持ちは筒抜けだった。


 彼女はハデスが好きだったのだ。


 だから、つれなく振る舞いながらも、彼が差し出す手を露骨に拒んだことはない。


 かつての彼女ならこんな状況で救いの手を差し出されたら、絶対にハデスの手を取っているはずだった。


 それが拒絶している。


 それをどう判断すればいいのだろうと3人は黙り込む。


「ツクヨミは……どう動くつもりかしら?」


 そのエリスの言葉と同時に3人が月を見上げる。


 そこにある面影を思い出すように。


 月の女神たちを思い出すときは月を太陽神たちを思い出すときはつい太陽を振り向いてしまうようになったのだ。


 永い時代がそういう癖を作った。


 さすがに太陽を直視するのは神々にも危険だが。


「わたしがツクヨミならクルスライムに直談判に行くわ」


「アテナはそう思う?」


「だって彼女にとっては大事な姉の問題よ? 放置できないと思うわ」


「そうね。わたしだってもしあれがハデスだったら、今頃はクルスライムのところに訪ねに行っているもの」


 そう可憐な顔で愚痴るのはヴィーナスである。


 それは残りのふたりの気持ちでもあった。


「だったらわたしたちも動く?」


 同意を求めるエリスにふたりの女神たちはしばらく迷ってから、ややあってしっかりと頷いたのだった。

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