第13話

「そなた……今は東洋人の顔をしているな。名はなんと書く?」


 閻魔に手を差し出され、来夢は彼の掌に「来栖来夢」と書いた。


「これで来栖来夢か。変わった呼び方だ」


「閻魔よりマシだと思うけど。それに俺の名前は来夢で来栖が苗字だよ」


「なるほど。今度は来栖来夢で姓名を意味しているのか。なるほどな」


「今度今度ってまた人違いしてる?」


 来夢がムッとして睨むと閻魔はなにも言わずに笑った。


 余裕のあるその笑みに来夢は唇を尖らせる。


 そこへ焦ったようにケルベロスが駆け込んできた。


「クルスライム!!」


「ケルベロス」


 振り向いた来夢が名を呼ぶ。


 そこに無事な来夢の姿を見て安堵したとき、ケルベロスは傍らに立つ閻魔王の姿にギョッとした声を出した。


「閻魔王!? 何故ここにっ!?」


「ご挨拶だな、番犬?」


「番犬って言うな!!」


「わたしは来栖来夢に召喚されてここにいる。咎められる謂れはないな」


「召喚されたのならさっさと返還されろっ!! クルスライム!! 呼び出したときの魔方陣は!?」


「え? あの虹色の変な模様? 閻魔王が消したいって願えって言うから、願ったらホントに消えちゃったけど?」


「つまり……閻魔王は還れない?」


 自分がやったことをまるで理解していない来夢にケルベロスは途方に暮れた。


 召喚されたのに返還されるために必要な魔方陣が消滅しているのだ。


 今の来夢が自分で魔方陣を呼び出したりできない以上、閻魔は地獄へは戻れないということである。


「謀ったなっ」とケルベロスは閻魔を睨んだが、すぐにハデスの映像が現れた。


『ケルベロス』


「ご主人様!!」


『閻魔にクルスライムを守護するよう護衛を頼んだのは俺だ』


「我がいるのにどうしてそんな真似を」


『本当は自分で付き添いたいほどなんだ。冥府の王である以上俺にはできないが。閻魔なら代理がいるからできる。だから、頼んだ。ケルベロスも閻魔に協力してクルスライムを護ってくれ』


「協力? この男と?」


 ケルベロスがいやそうに吐き捨てる。


 閻魔は苦笑した。


 ハデスにはああ言ったが、閻魔にしてみればケルベロスの嫌悪はわかりやすい分、適当に受け流しやすかったので。


 さっき「バカだよなあ」なんて言ってしまったハデスが現れて、来夢は気まずくて顔を背けている。


「そなた……妬いているだろう? ハデス」


 閻魔に指摘されたくないことを指摘され、ハデスは慌てて咳払いした。


 当の来夢に通じていなかったので、この嫌味は意味を持たなかったが。


 ハデスは来夢が危地に陥ったとき、召喚した相手が閻魔で妬いているのだ。


 その顔に不満の色があるので閻魔にはわかりやすい。


 こういうところが可愛いなどと笑っていたが、ハデスは気付かない。


 とことん冥府の王らしくないハデスなのである。


『とりあえずクルスライムが一度召喚術を使ってしまった以上、気付いた者が他にいても不思議はない。クルスライムの護衛をよろしく頼む、閻魔』


 わかった、と答える前にハデスは消えてしまった。


 妬いていることを指摘され、照れて逃げたのだろう。


「ハデスは可愛いと思わないか?」


「可愛い? ウーン。バカなところを可愛いと言えばそうかも」


 妬いていることを指摘され、恥ずかしくて逃げ出すなんて可愛いではないか。


 そう言おうかとも思った閻魔だったが、それを言うのはなんだか悔しくて言えなかった。


 来夢がハデスに傾きそうで。


「とりあえずそなたが世話になっている者のところへ行こう。いきなり出てきて住まわせてくれというのは、さすがに身勝手な望みだろうから。許可はもらわなくては」


「閻魔王って律儀なんだ?」


「嘘をキライそれで人々を罰する以上は自分も筋道を通す。当然のことだろう?」


 来夢に笑顔で言われて閻魔もすこし嬉しかった。


 そんなふたりを見てケルベロスは不機嫌そうだったが。


 そうしてこの日から来夢の護衛はケルベロスに加えて地獄の覇王、閻魔王が加わったのだった。





 来夢はケルベロスに案内されるまま、第一王子クリストファーの下を目指した。


 当然かもしれないが閻魔の姿はこの世界では有名である。


 元の世界、地球では想像でしかなかった閻魔の姿だが、こちらでは実体を持っている分、人々の意識も違う。


 地獄の覇王、閻魔の登場に周囲は青くなって黙り込んでいる。


「閻魔王はさあ」


 突然話し出した来夢に閻魔は歩の速度を落とさないまま振り向いた。


「閻魔でいい」


「でも」


「閻魔王とは称号だ。普通にわたしを呼びたいのなら閻魔でいい」


 元々そなたは閻魔と呼んでいたしという言葉を閻魔は飲み込んだ。


 自覚のない来夢には過去と比較されるのか1番いやなことだと掴んだからだ。


 そう言われ来夢がニコッと笑う。


 あどけない笑顔だなと閻魔は思う。


 クルスライムの頃とすこしも変わっていない。


「閻魔はさあ。ハデスと仲良いのか?」


「何故だ?」


「いや。さっきハデスが俺の護衛を閻魔に頼んだとかなんとか言ってたじゃん? それって護衛を頼まれて引き受ける程度には仲が良いってことだよな?」


「まあ普通に知己ではあるが」


 友人というのともすこし違うなと閻魔は思う。


 ハデスとの関係は言葉では片付けにくい。


「友達?」


「さあ。どうだろうな? 友人という言葉では括れない関係な気はする」


「閻魔ってハデスより年上?」


「それはわたしも知らん」


「そうなのか?」


「そもそもわたしもハデスも神話上の存在。年齢を意識することそのものが変だ。

 地球では実在していたというよりも、あの頃はあくまでも信仰の中の存在だったわけで、年齢なんてあってなきが如しだったからな」


「ふうん」


 確かに地球上では実在していたと言われると来夢としても違和感はある。


 そんなの聞いたこともないからだ。


 だから、こちらにきてから実体を得たというのなら、なんとなく納得はできる。


 こちらに召喚されることで神々は実体を得たのだろう。


 だから、年齢を問うことが間違い。


 そう言われると納得するしかない。


「クルスライム。そんな男と会話する必要はない。どうしてご主人様のときと対応が違うんだ?」


 納得できないと割って入るのはケルベロスである。


 唸るようなその声に不満の色がある。


 不満をぶつけられた来夢は困ったような顔になる。


「それはハデスに言えよ。あいつを相手にこういう態度は無理だよ。なんか腹が立つから」


「何故だ!?」


 振り向いてクワッと目を見開くケルベロスに思わず来夢は後退った。


「ケルベロス。怖い」


 元々が獰猛な獣の姿をしているのだ。


 こんなふうに威嚇されたら来夢としても怖い。


 来夢も普通の少年なのだし。


 まあこちらにきてから、こういう非日常的な出来事にも、だいぶ耐性はできた気はしているが。


「番犬。自分の姿を意識して振る舞え。来夢を怖がらせてどうする?」


 閻魔が庇うように来夢を抱き込む。


 その様子にケルベロスは益々唸る。


 それがハデスを気遣うあまりの言動であると、肝心の来夢は気付かない。


 閻魔の腕の中でこのふたり(?)って本気で仲が悪いなあなんて感じていた。


 それからしばらくは無言で歩いた。


 なにしろ案内役のケルベロスが不機嫌で、来夢も口を開けなかったのだ。


 そうしてどのくらい歩いたのか、ケルベロスはひとつの扉の前で立ち止まった。


「そこに人の世の王子たちはいる。どうやら執務室のようだな。自室ではなさそうだ」


「どうしてわかるんだ?」


「自室はやはりニオイが濃い。執務室などの仕事で使用する部屋のニオイとは、まるで違うものだ。だから、区別もできる」


「へえ」


 感心しながら来夢は扉をノックした。


「どうぞ」


 聞こえてきたのはクリスの声だった。


 ということは彼の執務室かなと思いつつ来夢は扉を開けた。


「ライム」


 中にいたクリスが驚いたように来夢を見ている。


 その傍には報告でもしていたのかアルトの姿がある。


 彼も驚いた顔で来夢を見ていた。


「どうやってここまできたんだい、ライム? きみは宮殿の内部には詳しくないはずだけれど?」


「ケルベロスに案内してもらった」


「なるほど。冥府の門番とはいえ、やはり獣。鼻は確かだということか」


 納得したクリスの横でアルトが怪訝そうな声を出した。


「背後にだれかいるのか、ライム? 人の気配を感じるが」


「あ、うん。ハデスが俺の護衛を頼んだらしくて、護衛がひとり増えたんだあ。それで紹介してくれっていうから連れてきた」


「「護衛?」」


 呟いて顔を見合せるふたりの前で来夢が中に入り、続いて神話でよく知られた姿をした閻魔が入ってくる。


 さすがのふたりも息を飲んで硬直した。


 まさか閻魔と対面することがあろうとは思わなかったので。


「まさかとは思うけれど閻魔王……ですか?」


「如何にも。これから世話になるからな。挨拶くらいはするだろうと思ってな」


「ハデスに護衛を頼まれたって何故? そもそもハデスはケルベロスを置いていったはずじゃあ?」


「確かにハデスに護衛を頼まれはしたが、正確にはわたしがここにいるのは、栗栖来夢に召喚されたからだ」


「「召喚っ!!」」


 ふたり揃って叫んでからクリスが来夢に問いかけた。


「きみ……媒介を持っていたのかい?」


「媒介? いや。そんな変なの持ってない。そもそも召喚したって言われたって、俺、なんにもしてないし」


「しかし現実に閻魔王はそこにいる」


「栗栖来夢には召喚の際に媒介はいらぬ。念じるだけでよい」


「「まさか」」


 ふたりの驚愕の声に閻魔は淡々と答えた。


「だが、事実だ。今の栗栖来夢では立て続けの召喚は難しいだろうが、力を取り戻しはじめたら、もっと楽に召喚ができる。そうすればわたし以外にも召喚される神は出てこよう」


「つまりライムには神々が召喚できる?」


「それ故にクルスライムなのだ」


 断言されてふたりとも黙り込んでしまった。


 それは現時点で最強の召喚師ということなので。


「なんかよくわからないけど閻魔の部屋はどこになるんだ? クリストファー王子」


「ちょっと待て。わたしの部屋ということは番犬は?」


「え? ケルベロスは俺の部屋にいるけど?」


「番犬」


 低い声で名を呼ばれ、逆鱗に触れたとわかったケルベロスはとっさに距離を空ける。


 閻魔の逆鱗に触れるとさすがのケルベロスでも対抗できないので。


「ハデスはそこまでしろと言ったのか?」


「護衛をする以上同室は当たり前だろう。眠っているときになにかあったらどうする?」


「ほお。では着替えや入浴の際は?」


 ケルベロスは答えない。


 実はその際も同室なのだ。


 さすがに来夢に嫌がられるので視線は向けない。


 部屋の隅に陣取って来夢の方は見ないが、絶対に傍を離れない。


 そういう事情なのだ。


 来夢がうっとうしくなって逃げ出したのも無理はないのである。


「どうやら殺されたいと見える」


 閻魔からゆうらりと陽炎のようなものが立ち上る。


 それが怒りのオーラであると部屋にいた3人にもわかった。


 思わず青くなって後ずさる。


「クルスライム!! 助けないか!!」


「いや。でも……今の閻魔、怖い。止める勇気なんてないよー」


 来夢は部屋の壁まで後ずさって顔を背けている。


「薄情者ーっ」


 そんなケルベロスの絶叫が響いたが、部屋にいた3人は絶叫が聞こえなくなっても、頑なに顔を背けていたのだった。

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