窓の外へは
岸正真宙
窓の外へは
静かな
男の子は姉が大好きでした。姉は男の子を大切にしていました。二人はある日から二人だけで過ごす事になりました。男の子の記憶には両親はいません。姉は両親のことを覚えています。ですが居なくなってしまった理由は分かりません。姉がまだ、少女であった時、嵐の前のため父親は小屋の外に出て建付けの弱いところの補強をしておりました。母親は夕飯の支度をしていました。スープが出来上がり、食事の用意をしてテーブルに並べた後、父親を呼びに外に出かけて、そのまま二人は戻らなくなりました。嵐よりも突然、二人の存在の喪失であり、それを覚えている姉にとっては、人生で一番恐ろしい夜だったことでしょう。彼女は二人が戻ってくるものと思い、夕食を並べてその前で永遠に待っていて、そのせいで冷めてしまったスープの冷たさを今でも強く覚えていたそうです。
二人が居なくなって不安だった事はありましたが、不思議と悲しくなかったとも話していました。
その後二人は親戚の親のところで過ごすことが決まりしたが、いくつかの問題があり、結局この山小屋にて生活する事になりました。週に二回、叔母さんが来て料理やお世話をしてくれる事になっていて、月に一度山を降りて町で色々とする取り決めになっていました。それは二人の生存を確認するための儀式であったと言えます。
あれから6年が過ぎ二人の山小屋での生活も、しっかりと板についていました。姉はいくつかの得意料理ができ、山間で取れたものでとても美味しく作れます。また、母親の作っていたスープの味を目指し、毎日いろんな食材を試してみています。さらに、狩猟はできませんが簡単な罠は作れるようになり、動植物にも詳しくなることができ、山の中である程度食材を確保できるようになっていました。例えば野うさぎなどはよく取れ、町へ行く際は野うさぎと牛乳を物々交換するなどして、山のものを捉えては必要なものと交換することで、生きるための物資を入手していました。姉はとても勤勉で、町へ出かけると小さな図書館でいくつかの本を借りました。本にあることをもとに調理や食材の同定、天候や衣類の制作などあらゆる生きる上で必要な知識を蓄えました。だから、姉はとても頼りになりました。また、男の子からすればなんでも知っている人でした。
「姉さん、今日の夕飯はなんですか?」
男の子は薪を割りに行く前に姉に質問しました。夕飯を先に聞くと、疲れた時でも一踏ん張りができるからです。そして、姉は夕飯を聞かれるのが好きだと知っていたからです。
「今日は、今朝取れたキノコをつかったスープでパスタにするわ。それに、町で頂いた豚肉を煮込んで入れるのよ。豪勢よね」
男の子は、生唾を飲み込みました。豚肉はとても久し振りです。
「それは良いですね!お腹の虫が騒がしくなりそうです。では、行ってきますね」
「行ってらっしゃい、〇〇」
薪を作る場所は、小屋の窓から見える場所にあり、特段離れた場所ではありません。ですが、姉は必ず、勝手口まで出て、送り出してくれます。距離にしてみれば150mに満たないので、普通の場合はしない送り出しかもしれません。それでも姉は、毎日かならず送り出してくれます。
薪はまず倒木した木を探すところから行います。大人の人なら自分で木を切り倒すことができますが、まだ男の子には難しい仕事でした。ですので、雷や風によって倒木したものから薪を作っていました。幸い周辺にはブナやナラが多く、薪の素材には困りません。まずは倒木した木を運びやすいサイズに斧で細かくします。この作業だけで一週間は使います。男の子はその度にこの世界は大きなものだと感じていました。木を一つ自分達のモノにするために随分と時間をかけなければならないという事が、そのまま山の偉大さになり、それはつまり一生かけてもできない事だと感じたからです。運びやすいサイズにしたら、それをリアカーが持っていけるところであれば持っていき近くまで運びました。いまは先月持って帰って来た木を薪のサイズにしているところです。斧で木を割り、薪にしたら、薪棚に置き乾燥をさせます。この棚が埋まり切れば一冬は超えれると男の子には分かっているので、せっせと薪棚を埋める事をしています。冬は暖炉の火になり、普段は調理やお湯の素です。姉は燃焼について、教えてくれたのですが、男の子はスッとは頭に入りませんでした。ただ薪は綺麗な火を作るなと思っていました。大きな火ではなく、暖める為の火です。姉に見せてもらった本に書いてあった戦争で使う火はもっと凶暴でした。同じものとは思えなかったのです。薪で作る火を男の子は何時間でも見ていたくなるのでした。
夜になり、二人で夕飯を囲んでいる時、姉は星の話をしてくれました。
「〇〇、星空を見るのは好き?」
「そうだね、姉さん、星空を見るのはとても好きだよ。」
本当にそう思います。夜の星空は季節によって風景が変わります。ちらちらと瞬く星は、見ていて飽きることがありません。
「あれらの星はもうこの世にないかもしれないのよ」
「え?どういうことです?姉さん」
「星はとてもとても遠いところにあるのよ。でもね、あまりに遠すぎて、その星の光が地球に着くのに何億年も、何百億年もかかってるのよ。だから、"今"はもう無いのかも知れないわ。不思議なことね」
男の子はとても驚きました。そんな事があるのだと、見えているのにそこに無いなんて事があり得るんだと思いました。それは、自分の周りではあり得ない事だからです。でも、突然、では逆に見えてないけどそこにある星もあり得るのだと思ったのです。“見えていないのにそこにあり得る“のだと。男の子は何かが引っかかりました。食事を片付けた後、姉と一緒に夏の夜空を見て、星座について教えてもらい、夏の大三角のデネブを教えてもらいました。1400年も前の光を今見ているのが、不思議でした。
男の子が見たその夜の夢は、星の中で泳ぐような、飛んでいるのか溶けているのか分からない夢だったそうです。真っ暗闇にチラチラと光るそれらに、時を吸い取られるようにゆっくりとゆっくりと男の子は漂っていくのでした。
朝、男の子は日が上がる前に目が覚めて、昨日の夜の名残を見に顔を洗って外に出ました。まだ、チラチラと光る星と、明るくなる東の空が相まって空はまるで高級な絨毯の様になっていました。ちらりと薪割り場をみて、今日は薪棚をいっぱいに出来そうでしたので、それをしたら又、森の中へ木を探しに行こうと思いました。遠くでアカゲラが鳴いていたので、天気も良さそうだと思ったのでした。
朝ごはんを食べて食器を片付けていた時に、姉が珍しくお皿を割ってしまいした。あまり不注意をしない姉なので、少しびっくりしてました。裏口から箒とちりとりをもってきて、二人で割れた破片を残さず取りました。
「あーあ、やっちゃったなぁ。〇〇怪我はなかった?」
姉が笑顔で聞いたので、男の子は特段問題無いことを伝えました。
「あれ?このお皿……」
姉は急に顔が険しくなりました。何かを思い出そうとしているのでしょうか。
「このお皿はなぜ割れてなかったのかしら」
男の子は姉のその一言を不思議がりました。なぜならまるで、お皿が最初から割れているべきかのような言い方をしたからです。それでも、男の子はもうそろそろ仕事に取り掛かりたかったので、姉が手を止めていた、片付けを最後までしてしまいました。その間、姉はちりとりの中の割れたお皿をずっと見ていました。まるでそれを見つめることで割れたお皿が元に戻る様を確認できると思っているように—だっさふ
片付けを終えたので、男の子が仕事場に行こうとした時です。カコーンカコーンと、薪割りをしているような音が聞こえてきました。「なんだろうな」と男の子が思い、窓の外を見ようとした時です。姉はすごい剣幕で、普段出すことのない大きな声で言いました。
「駄目! 今窓の外を見ては駄目!」
カコーンカコーンとまだ、鳴っています。
「今、窓の外を見ることは、間違えているのよ。いいえ、窓の外には何も無いのよ」
男の子は姉のそんな必死な顔を見たこともないので、言うとおりにしておきました。
「窓の外になにが……」
「駄目! 言ってもならない、窓の外の事を言ってもならないの! 〇〇お願い、私だけを見ていて、私だけの事を考えていて」
姉はとうとう泣き出してしまいました。
それでも外でカコーンカコーンと音が鳴り止みません。むしろリズミカルに調子が良くなってさえいます。薪割りの事を考えて、だとしたら誰かが、薪割りを代わりにしてくれてるのかと思いました。そう思うと、自然と男の子は窓の外を見ていました。それは自然と、まるでそうすることが必要だったように——
⛰⛰⛰
私は一人きりだ。いや、一人じゃ無いかもしれないが、私には一人きりだとしか思えない。私の両親も、私の弟も、ある日突然に消えてしまったからだ。まるで、トランプに息を吹きかけたら、消えてしまうマジックのように。少なくとも、私にはそう思える。あの日弟が外を見た。私もつられて、窓の外を見た。でも私の角度からは、きっと見えなかったのだろう、首を元に戻して弟が居た場所を見たら、そこには空白があった。何も無い空白が——
私は、両親の時と同じだと感じた。きっとあの時と同じなのだと。なぜなら母さんが割ったはずのお皿があったからだ、あの時、父さんを探しに行く前に、割ったお皿を、私はまた割ったのだから。もう一度、割ったのだから。窓の外には、きっと見てはならないものが有ったのだろう。私は思う、多分、弟は時間に触れてしまったのだと。私は一人とは言い切れない。両親も弟もきっときっと——
⛰⛰⛰
窓の外には、いつもと同じ風景が、いつまでも続いているのでした。ただ、そのいつまでもが同じである、その必然性は無いのです。
窓の外へは 岸正真宙 @kishimasamahiro
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