11:はぐはぐしてろ
ことん、と音を立ててテーブルに小鉢を置く。
ごとん、と更に音を立て、もう一つ大皿を自分の前にも置いた。
夕食のテーブルに、心の作ったひと品が時折並ぶようになった。嘉一のために作った料理を、泣きそうなほど喜ばれたからだ。
「いただきます」
「いただきまぁす」
いつも通り、両手を合わせる。心はドキドキしながら嘉一を見つめた。心が作った料理があると、嘉一は必ず最初に手を付ける。
大きな手で小鉢を持つと、嘉一は箸を差し込んだ。今日はナスと豚肉の甘醤油炒めだ。ナスを美味しく食べるこつは躊躇せずに油を注ぐことだと、短大の先生が言っていた。
(ちゃんと美味しいかな)
ドキドキしすぎた心は、食べるのも忘れて嘉一を見つめる。
嘉一は心が見ていることなど知っているだろうに、全く緊張した素振りもなく、ナスと豚肉を一緒に口の中に入れた。
「ん。美味い」
ぱぁああっと心の周りに花が飛ぶ。満面の笑みを浮かべた心の前で、嘉一はまた一口小鉢を掬った。
(美味しいって。美味しいって!)
嘉一の反応は派手なものではなかったが、きちんと美味しいと思ってくれていることは伝わってきた。
『……泣きそう』
心はあれから、どうすれば嘉一が喜ぶか、そんなことばかり考えている。
泣かせたいわけではないはずだ。
けれど、あの時の嘉一が忘れられない。
(またあのくらい、嘉一君を喜ばせたいなぁ……)
そのために何をすればいいのかを知るために、最近の心はじっと嘉一を見る時間が増えた。嘉一は「見たいなら見れば」とばかりに、堂々と心に見つめられている。
嘉一を見つめながら、心もようやく手と口を動かし始めた。美味しいご飯は最高である。
先日、お米を貰いに嘉一の実家に一緒に行った際に、丁度お米農家の親戚が来ていて、直にお礼を言うことが出来た。ここのお米は粒が大きくてみずみずしくて甘くて、心のハートをしっかりと掴んでいる。
嘉一の作った夕食をもりもり食べていると、スマホが鳴った。LINEの通知音だ。
食事中にスマホをいじると嘉一がいい顔をしないので、心はとりあえず食べることに専念した。急用なら電話が掛かってくるはずだ。
ご飯を食べた後、食器を洗う。基本的に朝も夜も嘉一の部屋で食べるため、エプロンはいつも嘉一のものを借りている。心がいつぞやのホワイトデーにプレゼントしたものだ。この狭い台所に、エプロンを二枚置くのは賢明ではない。
「心、スマホ鳴った」
「あ~! 忘れてたあ~」
心が食器を洗っている間に手早く入浴してきた嘉一は、定位置に座りつつ心を呼んだ。ベッドに寄りかかり、マットに肘をついてリモコンでテレビを付ける。
心はささっと水で流した手をタオルで拭くと、くつろいでいる嘉一の隣に座った。嘉一の部屋に置いてある心用のおにぎりクッションを抱え、スマホをポチポチといじる。
「誰?」
「
短大の友達の名前を告げると、嘉一は一瞬考えて「あー」と言った。
「賞味期限三日も切れた牛乳飲んだっていう、ずぼらな人?」
「そおそお~」
不名誉な覚えられ方をしている
賞味期限が切れた牛乳を飲んでもケロリとしていて凄い、という武勇伝のつもりだったのだが、几帳面な嘉一にとっては賞味期限を三日も切らせていることのほうが印象的だったようだ。
ドン引いた嘉一は、楽しそうに話す心に、決して真似をするなとかなりしつこく言い聞かせた。
心は嘉一を怒らせないために「しないよぉー」と返事をしておいた。心の中で「嘉一君の前ではね」と付け足して。
「明日飲みに行こーって」
二十歳になった途端、食事の誘いが全て「飲みに行こう」に変わってしまった。心はよく食べるから胃が強いのかウワバミだ。飲んでも全然酔わないため、いつも飲み代は食べ物に回している。
「どうしよっかなぁ」
「なんかあんの?」
「ん~ん~」
なにかあるわけではない。ただ、いつも通りの、今日のような明日があるだけ。
そしてそれが最近、前以上に楽しい。
「バルだってえ。こんなお店あったんやねぇ」
亜珠美が送ってきた店名を検索した心は、嘉一の方に体を寄せてスマホの画面を見せた。嘉一が心の手元を覗き込むと、まだ完全に乾いていない髪からシャンプーの匂いが漂ってきた。
(何のシャンプーやろ? 男の子なんに、めっちゃいい匂い)
「行って来れば? 美味いもんあったら、今度俺とも行こ」
心のスマホをすいすいっと嘉一が操作する。画面の中の物珍しい料理に釘付けなようだ。
すぐ横にある頭をくんくんと嗅ぎたいのを堪えて、心はスマホに意識を戻した。
「そおやねー」
小洒落た店の外観や内装の後に、美味しそうな料理の写真がずらりと並ぶ。名前を知っている料理もあれば、どういう調理法をしているのか見当も付かないような料理もあった。そしてそのどれもが、小盛りである。
「お腹いっぱいは、食べられそうにないなぁ~」
「んじゃ夜食作っといてやるから、こっち帰ってきな」
心はぎゅんっと猛スピードで首を捻った。普段カタツムリのようにのんびりとした動作ばかりの心では、考えられないほどの速さである。
スマホを見るために近付いていた嘉一の顔が目の前にある。嘉一はいつも通りの不機嫌顔だったが、ほんの少し目を見開いているように思えた。
心は「楽しみにしてるからねぇ」とわはっと大きな笑顔で笑った。
***
【 cocoro / かえりたい 】
【 嘉一 / どうした 】
【 cocoro / おとこのひといた 】
【 嘉一 / は? 】
【 嘉一 / なんで? 】
【 嘉一 / 牛乳の人やなかったん? 】
【 cocoro / 亜珠ちゃんの彼氏とその友達やって 】
【 cocoro / 三人もいる 】
【 cocoro / 女の子ももう一人来るって 】
【 嘉一 / 合コンじゃねえか 】
【 cocoro / やだなー 】
【 cocoro / めんどうだなー 】
【 cocoro / いつなら帰ってもいいと思う? 】
【 cocoro / なんて言ったら帰れると思う? 】
【 嘉一 / 具合悪いは絶対に言うな 】
【 嘉一 / 送るって押し切られるから 】
【 cocoro / どうしよう 】
【 嘉一 / とりあえずそのままはぐはぐしてろ 】
【 cocoro / はぐはぐ 】
おにぎりのスタンプを押したが、嘉一から既読はつかなかった。
薄暗いバルの室内は聞き慣れない異国の音楽と、すでに酒を呷った客のざわめきで、ほどよく騒がしい。どこかのテーブルが鉄板に置いた肉を頼んだらしくて、店員が熱い鉄板を持って席の間を通過した。
心達はカウンター席ではなく、二つのテーブルをくっつけて座っている。お洒落なテーブルは小さいため、自然と隣との距離が近い。
心は亜珠美の右隣に座った。目の前には、心にとって初対面の男が三人座っている。
駅前で合流してすぐに、亜珠美が一人ではないことに気付いた。
亜珠美は短大で仲良くなった子で、心の大食いを知っても引かずにいてくれた社交的で優しい子だ。ただ、今その彼女の自慢の社交性が、心の希望とは全く逆方向に発揮されまくっている。
席につき、一通りしゃべってすぐに、隠れてスマホをぽちぽちしはじめた心に、亜珠美が体を寄せる。
「どした心~怖くないってー。話してみなよ。いい子だよ、みんな」
「亜珠ちゃん~」
亜珠美は恋多き女の子で、亜珠美の前に座る彼氏も、彼女と知り合ってから三人目の彼氏だ。
「心、男ってカイチクンしか知らんのやろ? 選ぶならちゃんと他の男も知っとかんと」
選ぶもなにも、心は嘉一を彼氏にしたいと思ったことなど一度もない。
そもそも、恋をする気がないのだ。彼氏がほしいと思ったことなんて、一度もない。
そんな心の気持ちを、亜珠美はよくわからないらしい。彼女の中では、ほしいかほしくないかではなく、出来るタイミングか出来ないタイミングか、に分けられるようだ。
「三、二で緊張してるん? すぐにもう一人来るし、大丈夫やって」
「誰~? 私も知ってる子~?」
「いんや。バイトの方の知り合い。彼氏欲しいって言ってたし丁度いいと思って」
「私は言ってないよ~」
「そう。心のは私のお節介」
ほら、食べ食べ。と言って、亜珠美は自分の分のバケットを心の皿に盛る。こういうところがあまりにも自然に、心のことを受け入れてくれているので、強く出られない。
ニンニクと油と肉の匂いで、お腹の虫がおかんむりだ。はやく食わせろ! と騒いでいるが、どうか嘉一の家に帰るまで静かにしていて欲しい。
「心ちゃん好きなん頼んで。今日は俺ら持つし」
前の席に座る男性から、優しく声をかけられる。心はゆっくりと首を横に振った。
「えぇー? いーよぉ。私もバイトしてるから~」
「うわ、心ちゃんそのしゃべり方、素? 女の子っぽいねえ」
「うわってなんだよ。いいじゃん。可愛い」
亜珠美の彼氏に引かれ、もう一人の男子にフォローされる。
「すみませーん。メニュー、右から全部」と店員に頼んで、男性陣の財布をすっからかんにすることだって出来るんだぞと内心でひっそりと思いつつも、心はにこにこと笑った。
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