08:お腹いっぱい、ご馳走様

「心ー。次の土日、どっちとも空けられる?」


 良い香りのするミョウガにたっぷりのネギ。細かく刻んだ味付け海苔に、おろし立てのわさびと、瑞々しい梅肉。

 そんな色とりどりの薬味と共に大量の素麺を啜った心は夕食後、嘉一の部屋で彼の洗濯物――下着は嘉一によって取り除き済み――をたたんでいた。


「どうしたの? 来週なら空いてるよ」

「これ貰った」


 と嘉一に差し出されたのは、ホテルビュッフェのクーポンチケット。

 クーポンを手に取ると、駅の近くにある有名ホテルの名前が書かれていた。

 ディナータイムは難しいが、ランチビュッフェの価格ならば学生でも手が届く。


「びゅっふぇ!」


 心は好きな言葉が沢山あるが、中でも「ビュッフェ」と「食べ放題」は群を抜いて好きだった。実家にいたころはよく一家で出かけていたが、一人暮らしを始めてからはご無沙汰である。


 心は目をキラキラと輝かせて、クーポンと嘉一を交互に見た。嘉一は口の端を持ち上げ、悪人顔でにやりと笑う。


「行くか?」

「行くぅ!」


 即答する心に、嘉一は満足げに頷いた。




***




 係の人に連れられ、自分達の席に着席する。席まで持ってきてくれるというメイン料理をそれぞれ選んで店員に伝えると、心と嘉一は逸る心を抑えて席を立った。


 心はうきうきとしていた。目の前に並ぶ豪華な料理にも勿論だが、お洒落をして出かけていることにもかなり浮かれていた。


 去年、入学祝いにと父に買ってもらったパーバリーのワンピースは心のお気に入りだ。ブランドを代表するチェック柄の生地を使った、シルエットが美しいシンプルなデザイン。カーディガンに黒色を選んだのは、万が一ソース等で汚しても、汚れが目立たないからだ。


 嘉一もいつものゆったりとした服装とは雰囲気が違う。細身のチノパンに白いシャツ。その上から、夏用の生地の涼しげなジャケットを羽織っていた。


 こんな嘉一を見るのは初めだ。

 目線がいつもと違うこともあって、隣に立つと少しドキドキした。


 嘉一と出かけるのは基本的に買い出しのため、いつも歩きやすい靴を履いていた。

 しかし今日は服装に合わせてヒールの高いパンプスを履いている。おかげで、嘉一よりも目線が高くなった。それに気付いたのは、部屋まで迎えに来てくれた嘉一の傍に立った時だった。


 嘉一が気にしてしまうかもしれないと、靴箱を空けて靴を履き替えようとした心に、嘉一は「履き替えんの? お姫様みたいなんに」と言った。心ははにかんで、お姫様気分で家を出た。


 白いクロスが敷かれたビュッフェ台の上には、数え切れないほどの料理が並んでいる。和風から洋風、中華、エスニック料理まで――心は涎を必死に我慢した。


 手を差し出され、心は首を傾げる。


「なぁに?」

「心が持ってたら、絶対料理につく」

「わはっ。ありえそぉ」


 料理を汚さないためにも、心は「ありがとう」と言って嘉一に鞄を渡した。

 今日は心の手持ちの中で、一番小さくて女性らしい鞄を合わせていた。大きなリボン型の鞄からのびたチェーンを恥ずかしげもなく肩にかけると、嘉一は皿を手にビュッフェ台を覗いていく。


 二人でビュッフェ台を巡り、料理を皿に載せて席に戻る。心は前菜だけで二皿にもなった。嘉一は心の半分以下しかとっていない。そのくらいでいいのだろうかと、心はそわそわとした。


「このサーモン、ちょっと炙ってるのいいよな」

「ねえ。美味しいねー」

「バーナー買おうか迷ってんだよな。家にならあるんやけど、マンションやからなあ……火災報知器とか怖くね?」

「鳴ったらびっくりしちゃうかも……」

「ん。このサワークリームうめえ。何入れてんだろ」

「なんやろねえ。タルタルソースやないんやぁ」

「ニンニク入れた酢物もいいな。今度真似して作るか」

「やったあぁ!」

「ん、うまい」

「うんーおいしー」


 メイン料理は、心が肉のグリル。嘉一が魚のポワレを頼んでいた。フォークとナイフも新しく貰ったため、口を付ける前に一口ずつ切り分けて、交換をした。


 取っていた二皿を食べ、メイン料理も美味しく頂くと、心は席を立った。そのタイミングで、心のバッグを持った嘉一も立ち上がる。


「次はあっち?」

「うん」


 嘉一は「次何食うかー」と当たり前のように隣を歩く。

 心が選びきれずに困っていると、嘉一が心の分の皿も持ってくれた。嘉一が席で待っているからと急くこともなく、心は心ゆくまでビュッフェ台を歩き回り、皿に盛り付けた。


 嘉一と、あれが美味しそう、これが食べたい、と笑いながら一緒に選んだ料理は、最高に美味しかった。

 心が三皿選んでいる間に、嘉一が一皿しか盛り付けなかったのは、次にまた心が立つ時に一緒に歩いてくれるための気遣いだと、デザートの頃になってようやく心は気付いた。


 心の料理まで持っているため、両手が塞がっている嘉一の腕に、ぎゅっとしがみつきたくて堪らない気がしたが、アイスのフレーバーを選ぶ頃にはそんなことを考えていたことさえ忘れてしまった。





「心、まだ入る?」


 ジャケットを脱ぎ、ラフな格好で運転していた嘉一が、助手席に座る心に尋ねた。その声はどことなく暗い。


「今は無理かな?」

 美味しいビュッフェのおかげで、心のお腹は満腹だ。


「夜は?」

「いつも通りだと思うよ~」

「んじゃスーパー寄る」


 言葉と同時にウィンカーをつけた嘉一はサイドミラーを見て車を右車線に寄せた。いつもの道を右折するということは、遠回りして大型のスーパーマーケットへ行くのだろう。


 心の予想通り、嘉一は大型スーパーマーケットの駐車場に車を止めた。お腹いっぱいにもかかわらず、食材を見るとこれまで嘉一が作ってくれた料理が脳内に浮かび、食べたくなってくる。


 うきうきする心とは反対に、嘉一は沈んでいた。少し不機嫌なようだ。


「どしたの、嘉一君? 食べ過ぎた~? 夜作るの、無理しなくってもいいよお」


 なんといっても心は、嘉一の一の弟子でもある。それに、短大で調理の勉強をしている。一人暮らしを始めたばかりのころとは格段に、料理に慣れていた。

 今日は自分が作っても――と提案しようとした心を、嘉一が睨み付ける。


「は? 心は俺の飯じゃなくてもいいって?」

「ええ~~?」

「さっき、めちゃくちゃ美味そうに食ってたもんな」


 何故かわからないが、かなり理不尽に怒られている気がする。


「美味しかったよぉ。連れてってくれてありがとお。嘉一君も美味しかったやろぉ~?」

「美味かったけどさ……」


 嘉一は選んでいた牛乳を棚に戻すと、眉間に皺を寄せてその場を立ち去る。


「――心は。俺が作ったのを、はぐはぐ食ってたらよくない?」


(はぐはぐ?)


 否定したら嘉一の機嫌がより悪くなりそうだったため「そうだよねえ」と言うに留めておいた。だが、意味もわかっていないのになんとなく返事をしたことはバレバレだったようで、ギロリと睨み付けられてしまった。




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