27:やいたもち


「は? 別れたん?」


 一月三日――立派な門松が玄関を飾る廣井家の庭に拓海は立っていた。


 母屋に加え、納屋に蔵の建つ廣井家の敷地は広い。

 定期的に入る庭師によって整えられた植木で彩られ、春には丸く刈られたツツジが咲く庭だが、冬の今は椿が主役だ。葉を落としている梅も、もうしばらく経てば華やぐだろう。

 雪見灯籠の置かれた小さな滝のある池は、冬以外は錦鯉がすいすいと泳いでいる。


 拓海の横でヤンキー座りをしている嘉一は、肩に杵を担いでいた。


「そう」

「へぇー。なし?」

「知らんよ。教えてもらえんかったし。大体あの人いっつも、変な方向に行動力ありすぎなんだよ」


 眉根に寄せた皺は、この数日ですっかり固定されてしまった。むすっとした表情のまま受け答えする拓海に、嘉一は呆れた視線を向ける。


 夏帆がよそよそしい理由はずっと、自分が我慢しきれずに触ったせいだと思っていた。


『拓海君のそういう優しさ、きつい』


 けれどあの日、自分が振られた理由は別にあるのではないかと気付いた。しかし頑なな夏帆は、拓海が宥めようとしても全く聞く耳を一切持たなかった。


(あれ以上、どう聞けってんだよ……)


 あの時拓海の出来る限りで、夏帆と向き合おうとした。なのに夏帆は全てを否定して、拓海と向き合おうともせずに逃げ去った。


(そもそも、俺は夏帆さんが言うみたいに元々優しくないし……夏帆さんみたいに、ポンポン言葉も出らん。あの日だって、精一杯伝えたつもりなんに――)


 これ以上を望まれても困ったかもしれないが――望むこともせず、こんなものかと簡単に夏帆が切り捨ててしまわれたら、拓海だってもうどうしようもない。


「お前のそれ、意地張ってどうにかなんの?」


 ふぁあ、とあくび混じりに嘉一が言う。ぎくりとしたのは、正論だったからだ。


 夏帆はこれまで、拓海が話しかけると必ずこちらを向いて話を聞いてくれた。

 拓海が手を出すと握ってくれ、拓海が横を歩けば見上げてくれた。


 だから、あれほどまで明確に夏帆に拒絶されたのは、初めてだった。


 振られたから、頑張ったから、逃げられたから。だからこちらからは連絡しない――そんなのは全て、怯えて、拗ねているだけだと、年が明ける頃には拓海も自覚していた。


「米持ってきーたぞー!」

「杵、次誰~?」


 縁側から、布に包まれた蒸した米を康久が運んでくる。一二美の奴隷二号の康久は、一二美のスカルプチュアを守るため、朝から身を粉にして働いている。


 廣井家は毎年餅をつく。嘉一の祖父母が主導となって動いている餅つきに拓海が参加するのは、今年で二回目だ。


 インフルエンザの影響で人手不足だったバイトも、年の瀬にはちらほらと復帰し始めた。年末年始は客が増えるため、年末は出たが、店長が泣きながら「本当にありがとう! 少しでもゆっくりして!」とつむじよりも奥まで後退した生え際を下げてきたため、年始はお言葉に甘えさせてもらうことにした。


 自動の餅つき器二台が常に回り続けている横で、大きな木製の臼に蒸したばかりの餅米が投入される。


「次もタクやるわー」

「は? ちょ。俺手痺れてんだけど」


 杵は重い。ここ最近部活もしていない拓海は、先ほど杵を振り上げただけで二の腕がパンパンだった。


「振られたばっかだって。ストレス発散、大事やん?」

「ちょ、かいっ――」

「早川ちゃん? 拓海、番号教えろ。そんで嘉一、彼女にしてこい」

「は?! なんで名前知って……っていうか、ひーちゃん、何言ってんすか?!」


「ひーちゃんと呼べ」と初対面でメンチを切られて以来そう呼んでいる一二美の発言に、拓海は大いに焦った。何故一二美が夏帆を知っている上に、弟の彼女に推しているのか、全く以てわからない。


「ターク! 杵、どうすんのー?!」

「早くして。さゆちゃん待ってるでしょ」

「――あああっ、もうっ!」


 容赦のない西姉弟の催促に、拓海は杵を振り上げる。

 腕の死を覚悟しながら、ぺったんぺったんと返し手に合わせて餅をついていると、嘉一も杵を持ってきて加わった。まだまだ慣れていない拓海と違い、物心ついた頃から手伝っている嘉一と早雪は手慣れたもので、どんどんと米が潰れていく。


 ひとまずOKが出た頃には、もうスマホすら持てないほどに手がぷるぷると震えていた。ついた餅を、自動餅つき機の中身と入れ替える。自動餅つき器の中で更にしとやかになって出てきた餅に上新粉をまぶし、プラスチックの平たいケースに入れて室内へ運ぶ。


 内縁うちえんに丸めた餅を並べていた自分の祖父に、嘉一が声をかける。


「じいちゃーん。餅一升、余分についてくれるって言ってたん覚えてる?」

「おー。友達に持ってくんやろ。覚えとる。一升でいんか?」

「あればあるだけ貰えりゃ嬉しいよ」

「よく食う子やのー。白でいんか? かき餅は?」

「そっちも、貰えるだけ貰う」


 台所では、康久と一二美と琥太郎が餅を丸めていた。いやよく見ると、一二美は丸めている康久の後ろでスマホをいじっているだけだった。


 新しい餅米が炊き上がるまで休憩していいと言われたため、拓海は居間にどかりと座った。


「タク、早川ちゃんと別れちゃったんだ~。もったいな。可愛い子やったし、ケーキ美味しかったのにねー」


「……え? ケーキって何です?」


 大量のグラスと、麦茶のポットを運んできた早雪に拓海は唖然としつつも尋ねた。


「クリスマスケーキだよ。クルミとかアーモンド入ってた、早川ちゃんの手作りケーキ」

「なんすかそれ……ってか、く、食ったんすか……?」

「へへん。食べちった」


 胸を張る早雪を見て、拓海はぶっ倒れた。張り替えたばかりのい草の匂いがツンと鼻を刺激する。


「何ケーキって……俺、食ってない……」

「どうぞって言われたから」

 すまんね少年。と早雪が拓海を撫でようと手を伸ばしたが、早雪の指先が触れる前に、琥太郎が拓海を撫でた。


「大きな体で拗ねちゃって」

「お前も食ったの?」

「へへん。食べちった」

 早雪の真似をした琥太郎を、拓海は蹴った。


「――なんで取っといてくんなかったんだよ……!」


 低い声で呻いた拓海に、琥太郎は笑顔で額に青筋を浮かべる。そして琥太郎の横腹を蹴っていた拓海の足首を掴むと、ずるずると居間を引きずった。


「ヘタレ二人! 畳新しいんだから擦んな!」


 すかさず一二美の怒号が飛んできて、自覚のあるヘタレ男二人はピタリと動きを止めた。






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