彼女と彼の関係 #との関
六つ花 えいこ
平凡な早川さんと平凡な三浦くんの非凡な関係
01:寝不足と履歴書
「――で、振ったの?」
「付き合えないからね」
体育で使ったハードルを倉庫にしまった帰り道――夏帆は男子の声を耳にして立ち止まる。
屋外に設置されている手洗い場に隠れて様子を窺えば、どうやら違うクラスの男子が二人で話をしているようだった。
「モテるねぇ。俺も誰でもいいから、彼女になってくれんもんかね」
「本当に誰でもいい? 私でも?」
ひょこっと、夏帆は手洗い場から顔を出した。
突然人が現れた上に話しかけられた男子二人は、驚きから固まっているようで、目を見開いてこちらを凝視する。
「夏帆ー! 着替える時間なくなるよー!」
体操服のままだった夏帆は「あ、呼ばれちゃった」と小さく零すと、固まったままの男子に目線を合わせて一息で告げる。
「名前とクラス教えて」
「……え? あっ。
「
「お、え、あ。おー」
おう。と呟いた男の子に頭を下げて、夏帆は友達の元に走って戻った。
[ 彼女と彼の関係 ]
~ 平凡な早川さんと平凡な三浦くんの非凡な関係 ~
「三浦君いますか」
次の日の昼休み――二年六組の教室。
教室の扉から呼びかけた夏帆に、六組の教室は一瞬どよめいた。
「誰?」
「三浦?」
「なんで?」
ざわめく六組の生徒達から、視線を注がれる。
六組と三組は同じ階にあるが丁字の廊下を挟んで左右に分かれているため、訪れることはあまりない。
努めて平静を装っているが、それなりに心臓が死にそうだった。暴れ狂うとはこのことである。バクバクと大きく動きすぎて、制服の上からでも心臓が暴れていることが皆にバレてしまうのではないかと心配になるほどだ。
夏帆の呼びかけを聞いて、中心よりも一列窓際の席に座っていた男子が、ガタッと大きな音を鳴らして椅子から立ち上がった。
無言でこちらにやって来る。
昨日話しかけた男子――三浦拓海だった。
「なん?」
気だるげな表情は強張っているが、威圧感はない。もさりとした黒い髪に、くどくない醤油顔。涼しい目元は、一重か奥二重か悩むところだ。背は女子の平均身長百五十七センチの夏帆よりも、うんと高かった。
夏帆は特殊指令を受けたスパイのような慎重な面持ちで、顔の横にランチバックを掲げる。
「お昼ご飯、もう食べましたか? もし他にお約束がなければ、ご一緒したいんですが」
「行く。待ってて」
こんな場所で昨日の話の続きをするわけにもいかない。
夏帆が表に出せなかった言葉を察したらしく、拓海はすんなりと頷いた。
拓海は一度自分の席まで戻り昼食を手にすると、唖然としている友人達に「ちょっと行ってくる」と告げ、再び廊下までやって来た。
夏帆は黙って頷くと足を進めた。後ろから拓海も黙ってついてきている。
(男子と二人で歩いてる……)
そんなこと、小学生ぶりのような気がした。後ろから視線を感じるのもあり、一挙一動が不自然になる。
(歩き方、おかしくないかな。教室を出る前に鏡でチェックしてきたけど、髪とか変になってないかな……)
表情だけは凜としたまま、両足両手を一緒に出すほど緊張している夏帆は、ギクシャクと歩く。
少し歩いたところにある空き教室に辿り着く。
中に誰もいないことをドアについている小窓から確認すると、夏帆は室内に入った。のそりと拓海も教室に足を踏み入れる。
教室の隅には日頃は使わない教材や、机が無造作に積まれていた。
窓は黄ばんだ染みのついたカーテンで覆われている。わずかに開いたカーテンの隙間から、太陽の光がキラリと入り込む。足を踏み入れると、少し埃っぽい。
夏帆はカーテンを開けて、窓も開けた。彼女が動いたせいで舞った埃が陽光に照らされ、きらきらと光った。
適当な机を抱え、向かい合わせに配置して腰掛ける。拓海も素直に従い、正面の席に腰掛けた。
夏帆はおほんと咳払いをして、ランチバックから透明なファイルに包まれた履歴書を取り出す。
「履歴書を持ってきました」
表情は涼しく、話し方もゆっくりと落ち着いたものだったが、緊張から多少声が裏返った。
湾曲していたファイルから一枚の書類を取り出し、頭を下げつつ両手で差し出す。
「まじで面接やん……」
その声は少しの戸惑いと多分のからかいを含んでいて、緊張していた夏帆の心が軽くなる。
「お受け取りください」
「あ、すんません。いただきます」
夏帆が両手で差し出した履歴書を、拓海は両手で受け取った。
(両手で受け取ってくれるん?)
拓海は愛想もよくないし、思ってることがコロコロと表情に出るほうでもないようだ。
切れ長な目と背が高いせいで威圧的に感じてしまい、何かきっかけでもなければ自分から声をかけようと思うタイプではない。
けれど、見た目の内側をほんの一瞬覗くと、
(こういう人なんだ)
夏帆の差し出した履歴書を、雑に扱わない人。
夏帆は、人生で初めて履歴書を買った。履歴書用紙がコンビニに売っていることを知った時には驚いたものだ。今後の人生できっと役に立つ情報に違いない。
履歴書には設定されていた項目に従い、ある程度沿った内容を書いている。名前、住所、生年月日。出身の幼稚園や小学校から、特技と、アピールポイントも。証明写真欄には、一番見栄えのよかった一年の冬に撮ったプリクラを貼った。
「字、きっれいやね」
ただ事実を言った、という風に、何気なく呟かれた声が胸の中にびゅんと入り込む。履歴書をしげしげと眺めていた拓海が感心したように言う。
「書道を少々」
「すご。筆でも書けるってこと?」
「書きますとも」
子どもの頃から習っている書道は、夏帆の中で一番誇れる特技だった。
学校の部活にこそ入っていないが、四歳から始めて十三年間。人生で一番長い時間打ち込んでいる習い事だ。夏帆の習っている流派においては、指導者になる資格を有する段位も持っている。
「ていうかごめん。こんなしっかり持ってきてくれて……俺なんもない」
「いやむしろ、引かないでくれてありがとう。それが一番嬉しい」
昨日拓海に声をかけたとき、己の行動力に夏帆自身もテンパっていた。
しかし咄嗟とはいえ「面接に行く」と言ってしまった手前、手ぶらはまずいだろうと、アピールを兼ねて書いてみたのだ。実際に持って行くかは今日の朝ギリギリまで迷ったが、拓海の反応を見る限り悪手ではなかったようだ。
「書き慣れてんの?」
「初めて書いたよ」
バイトはしているが、縁故採用だったために履歴書を提出してはいなかった。
「そうだよな。ってか俺、初めて履歴書とかもらったわ。今度俺も書くから、待ってて」
凄えな、と呟いた拓海は真剣に履歴書の文字を目で追っている。
(待ってて)
拓海の言葉を反芻する。
それは、未来がある前提の言葉だ。夏帆の瞳がキラキラと輝く。
夏帆は机に肘をついて、身を乗り出した。
「ええとそれは」
「?」
「合格、ということでよろしいんですか?」
突飛な提案をしていると、夏帆は自分でもわかっていた。
男子同士の他愛のない会話に横入りし、初対面にもかかわらず大真面目に、かつ、押しつけがましく事態を進行させている。
というのに、拓海は夏帆を「この人何言ってんの」と笑い飛ばすどころか、両手で履歴書を受け取り、感心して履歴書を見てくれている。
「むしろ、早川さんこそ俺でいいの?」
一旦履歴書を下ろした拓海は、苦笑して夏帆を見た。
「え、勿論」
「俺のこと知ってた? ――ってそりゃないか。名前もクラスも知らんかったぐらいだし」
「面目ない……」
「なら、なんか事情があるとか? 友達に彼氏がいるって見栄張っちゃったとか、前彼が忘れらんないとか、彼氏作らんとばあちゃんが死ぬとか」
「友達とは嘘偽りなく遊べてるし、お付き合いした経験はないし、おばあちゃんは元気だからご安心ください」
拓海は「ん」と短く返事をする。
机の上で両手を握りしめた夏帆は、何故自分がこんな行動に出たのか説明することにした。
「単純に、あの……」
いざ言葉にしようとすると、恥ずかしくなる。今まで見られていた拓海の顔も見られなくなり、夏帆は勇気をかき集めて声を絞り出した。
「ん?」
「その、男女交際に、興味があって……」
清水の舞台から飛び降りる思いの夏帆に、拓海は手を打った。
「わかる!」
「ね!」
一瞬にして、二人の顔が煌めく。
これまでの他人行儀な皮を脱ぎ捨てて、頬を紅潮させて語り出した。
「あの男子ってちょっとこう、話しかけ難いやん? いっつも楽しそうやしさ。集団で固まられてると余計になんか、あー女子とかお呼びやないですよねーごめんなさーい、みたいな」
「いやこっちはめっちゃ女子意識してるけど、言わんとしてることはわかる。女子、イケメン以外害虫に見えてそう」
「害虫?! ないない! むしろ意識しすぎちゃって、普通に話すことさえ出来んのんよ……!」
「意外すぎ。今めっちゃ話せとるやん」
「それはほら、こういう時だからさ?! 普段は男子に興味ありすぎて、ガチガチになっちゃうんだよね……」
「ほう」
「出来れば親しくなりたいし、あわよくばもっと親しくなりたいんやけど……。は? お前のレベルで話しかけてきたん? 好きになんなよ? って思われてそうで……いや、クラスの男子みんないい人達やし、自意識過剰なのはわかってるんやけど……!」
「いやわかる。めっちゃわかるよ。でも早川さん、そんな卑屈にならんでもいいと思うけど……」
「え! そんなん言うなら三浦君こそやん!」
力説する夏帆に、拓海は一瞬黙った後、真顔を向けた。
「――ぶっちゃけて言うなら、アリすか?」
「アリ寄りのアリです。ナシだったらこんなもの持ってきてません」
夏帆が履歴書を指さすと、拓海は両手で顔を覆い、天を仰いだ。
「まじか。まじかー……うわ、すげ。俺昨日、これどうなんのってドキドキしすぎて眠れんかったりしたんですけど……」
「私は履歴書を書き直しすぎて寝不足」
「は? 書き直し?」
「履歴書って修正液使ったら駄目なんだって」
「まじか。俺普通にバイトに出したやつに使ってたわ。ていうか、ただ俺に出すためだけの履歴書をそんな頑張ってくれたん……? 早川さんいい子すぎん……?」
「へへっ……今ならそんないい子の早川さんを、彼女に出来ますよ!」
「――なら」
「はい」
返事をすると、自然と背筋が伸びた。
緊張しているのは夏帆だけではなく、また、高揚しているのも夏帆だけではなかった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
向き合った席のまま、二人で頭を下げる。
二人の非凡な交際は、こうして幕を開けた。
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