死にたくなるような恋
分厚い灰雲を突き破って天国へ誘うような光が差し込む。ひらりひらりと舞う幻想の蝶が血濡れの道路に揺蕩い、奔り抜けた車に無惨に散った。
呆気なく真っ赤に染まるそれは、もう神秘の欠片もなく曇天は慈愛を遮った。
歩道橋から見下げる染みた道路。止まらぬ血で笑みを描いた女性が潰れたお腹を撫でながら見下ろす存在を睨んでいた。
心を消し去るような寒さが染みて、白い手に沁みついた鉄臭さを隠すように息を吐きかける。
月日はわからない。されど歩道橋から女は今日も道路を見つめる。地縛霊を体現した彼女が女を見つめている。白い手でお腹を撫でながら血糊でできた笑みを浮かべ。けれど、その眼は恨み悲しみを血涙にするように睨んでいる。それは女を睨んでいるのか、あるいは女の足元に供えられた枯れたマリーゴールドか。
一人の女子高校生がやって来た。はだけた地縛霊と同じ制服だ。友達だろうか。その手には色を取り戻したマリーゴールドが寒さに震え、女は少しだけ場所をズレる。
少女の表情は枯れたマリーゴールドのようで、女に馴染みのある名前を吐き捨てた。数秒間、事故現場を見下ろし微かに眉を絞り目を細めてから花を叩きつけるように供えた。そして、枯れたマリーゴールドの隣に供えられている赤いカーネーションを手に取り、まるで零れ落ちている唇に唇に重ねるようにぎゅっと胸に抱きしめた。
去っていく少女から逃げた赤い花びらは痕跡のよう。地縛霊は微かにすすり泣いていた。
されど、横たわる地縛霊の上を残酷に車が幾度と彼女を殺し続けていた。
雪が降り始めた。その雪に血糊も殺意も動悸も理由もすべて埋もれていけば、ふと女は切なさに襲われその場に蹲った。
心音のような足音が響き女のすぐ隣で立ち止まった。顔を上げる女。空虚と怒り、それ以上の寂寥を曇天が際立たせる。女子高校生と同じ制服は真新しく少年を幼く見せるが、冷たく染まった相貌が無邪気な子供として感じ取らせてはくれなかった。何より地縛霊の彼女によく似ていて愛おしさと懐かしさに白い唇が半開きに震えた。
真実を隠す白さを燃やすように赤いカーネーションの花束が風に揺れる。少年の瞳は毒々しいマリーゴールドを睨み、爪先は地縛霊の方角を向く。少年は一度事故現場を見下ろし、カーネーションを供えて愛を囁くように、悔いるようにカサカサな唇を動かし馴染みのある名前を呟いた。次第に嘆きは怒りを宿し忌々しい黄色い花を踏み潰し地縛霊と反対側に放り投げた。地縛霊の彼女が轢かれた時とは比べるまでもない空疎な音が響きクラクションがあの日を想起させた。
女は少年の背中を見つめ続けた。
その背中に焦燥と泣きだしたい情動を燃え上がらせながら、意味のわからない情操の静寂に呑み込まれていき、霞みの言葉はついぞ何も音にならなかった。ただただに彼女を見つめ続けるのみ、鉄臭さが嫌に身体を痺れさせた。
記憶が曖昧だった。ここがどこなのか、私が誰なのか、どこにも行かないのか。私自身、不可解な空虚を噛んでいた。
ただ一つわかるのは彼女のこと。歩道橋の下で後悔と悲しみを零し続ける彼女。彼女は自殺でも事故でもなく殺されたということだけ。
頬を腫らしついでに目元に涙を溜めた女子高生が走って来た。
驚く私など気に留めず歩道橋の柵を跨ごうと股を広げて下着が露わになる。鉄臭い柵に赤い斑は水疱瘡のよう。寒風が叩く中で愛憎を叫んだ少女は飛び降りようとして、少女の腕はあの少年に引っ張られコンクリートに背中を打ちつけた。
少年は少女の胸元を掴み上げ殴るように憎悪を猛る。少女は卑屈に嗤った。嗤って理不尽に慟哭に少年を押し倒し股を広げ下半身に飛び乗った。びしょ濡れの熟れた相貌がキスを迫り、少年は容赦なく突き飛ばした。
少女は怒り泣いて絶望に精神を崩壊させた。
何度も理解した名前を切り裂いて嫉妬の花を叩きつけて愛憎と殺意で指を差してその場から消える。
残った少年は見えていないはずの私に苦笑して、ひっかかれた頬の血を拭い、ぐしゃぐしゃになった愛の花を私に供えた。私の名前を呼んで。
思い出した。違う、理解してしまった。
拒絶していた現実の炎が積もった雪を焼き払って地縛霊の彼女に灯る。微かに膨らんでいたはずのお腹を撫でる笑みと後悔に燃える私。
彼は愛を囁いた。私の耳には伝わらない愛を、見えていないはずの私を見つめながら。
あなたの瞳に私は確かな愛を感じた。好きだった。愛していた。限りなくあなたに染まっていた。
だから、その手を無意識に掴んで消える。
柵に登った彼に愛しい人を待ち望む私が両腕を大きく広げ。沢山の白い息を残して彼は私に抱き着いた。ぎゅっと抱きしめた温もりはどんな痛みよりずっと幸せだった。
世界が終わりそうな豪雨の日に初めてキスをした。
雷に照らされた姉さんは赤い花のようで、僕は恋に落ちた。
その恋が馬鹿なものだと理解していた。けど、感情は暴力で理屈は皮膚で、耐えられない傷が愛を叫び続けた。
何よりこの愚かな恋を姉さんはその身で僕の醜悪を抱き許してくれた。心音と重なった愛言葉が覚悟を決めさせた。
姉さんを愛し続ける勇気を。
だから、死にたくなるくらいに好きだった。
姉さんのいない世界も、すべてを奪った存在も許せなかった。
声をかけても反応してくれない姉さんに、失恋のような心臓が破ける痛みを知った。それでも消えない恋心で永遠に潰えない愛を残花のように咲かせるために、雪に埋もれた彼女の隣へその手を掴みぎゅっと永遠の幸せを誓った。
曇天が光を差し、雨粒を輝かせた鏡のような一瞬の中、幸せそうな家族の姿に少女は枯れていくように泣き続けた。
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