魔女の願い、少女のいのち

 

 命が割れる音がした。


 震え震え亀裂など入れる暇などなく、一切の容赦なく稲妻のように割れた。散らばる命の破片に手を伸ばしては、そこは深い深い森の中。

 常闇と深緑に〝過去いのち〟は消えて逝く。


 静かな夜の中、風が囁く小さな緑の園。

 微かな喘鳴に森の獣たちは木々から身体を震え上がらせながら心配気に見ている。

 一つ、草花を揺らす音に獣は一斉に住処へ逃げる。その対面を見ていたのは覗く月と揺れる緑と流れる風のみ。

 身体を折り横たわり終わり逝く命に喘鳴で抗う少女の傍、その女は足を止めた。


「魔女だ」


 森の妖精がそう囁いた。


「魔女だ。魔女がいるわ」

「魔女だって!ほんとだ!とびっきり怖い魔女だ!」

「あの子魔女に目を付けられたのだわ」

「終わりだ。終わりだ。魔女に目をつけられたなんて終わりだ」


 と、妖精たちは次々と魔女の噂に梢を叩く。


「魔女よ魔女。この森の村を滅ぼした魔女よ」

「怖い怖い化け物を殺したのよ」

「生贄を欲してんですって」

「人を喰うらしいぞ」

「違うわよ。鍋に入れてぐつぐつ煮込んで薬にするのよ」

「怖いこわい」


 姦計な戯言に魔女はその手に持つ錫杖を横に振るった。それは滑らかに星の川をなぞるように。光が風を呼び枝葉が蠢きだす。自然の音が鼓動をそこに魔女の声に息を吐く。


「わやく者ども。私の視界から消えなさい」


 まるで蛇のように伸びていく枝が妖精を払い葉々が魔女と少女を包み込む乱流の竜巻となり介入を阻む。

 月光だけが降り注ぐ葉緑の園の中、気を失いかけている少女を魔女は見下ろし――


「貴女を助けてあげるわ」


 少女の命は葉の欠片で埋まり、魔女が錫杖を一度大地を叩けば淡い翡翠の光と共に、彼女たちは雫が落ちた後のように忽然と姿を消した。


 ――――――――――


「死んでおくれ」


 それが別れの言葉だった。


 消えない想いすら握りつぶされ、喚声すら上げられない痛みに目の奥はチカチカと赤と黒で点滅する。

 その僅かな合い間から見えたのは想起したあの人と、今、わたしを建物から突き落とした愛しい人。

 時間の経過はわからない。ただ漠然とする意識の霞みで、愛しい人がわたしを見降ろしていることだけはわかった。


「死んでないか……悪いけどいなくなってもらうよ」


 わたしの何が彼に殺意を覚えさせたのかわからない。

 彼を愛し労り尽くし添い遂げてきたはずなのに、彼の子すら授かれずに殺される運命を辿っている。

 原因はなに?

 理由はなに?

 わたしはなに?

 あなたはだれ?

 ただ一つ、冷酷な声音と無情な表情がわたしを愛していないのだと、それだけは理解して諦めてしまった。


 遠い昔、思い出し想起しては重なったのは父の怒り。


「お前は俺の子供なんかじゃねー!俺に近づくなっ!どっかいけッ!」


 父の罵声の意味を当時、小学生のわたしには受け入れられず、困惑のままに恐怖のままにただただ。


「どうして?おとうさん」


 わたしはきっと愚かだった。わたしの命は軽かった。わたしは産まれて来ていい人間じゃなかったのかもしれない。

 父はわたしの首に手をかけた。息が詰まり明滅する意識の外、化け物のような父に涙が流れては痛みと共に呼吸を止めた。

 気づいた時には病院にいて、帰って来た母によってわたしは救われた。

 それでも、きっとわたしの命は失う運命にあったんだ。


 助かった命は今日、愛しい人によって奪われた。


「じゃあな」


 そんな簡単な別れの声を耳にして、去っていく足音を耳にして、振り向かない彼を目にして――


 命の割れる音がした。


 ―――――――――――


「うっ……ここは……」


 感じたのは草花の甘く純正な香り。耳を撫でるのは風が葉を擦る自然の鳴き声。

 少女は目を開け見られない天井に瞬きを数度して身体を起した。

 二人は寝られる大きな白いベッドに質素な部屋は蔦や枝葉、花たちによって妖精の家のよう。

 少女はぼやける頭で部屋を一瞥してからはっと気づいて胸に触る。だけどそこにはあるべき音があって、失っていた欠片は命の形を取り戻していた。


「生きてる……」


 安堵、もあるが実感が湧かなく少女は自分の身体を見渡し異変に気付いた。


「これなに?」

「貴女は〝変わり者〟になったのよ」


 綺麗な女性の声が前から届き、顔を上げると扉の前に見目麗しい女性がいた。全身を大樹の影のような深緑のローブで包んでいる女性はその胸をはだかせた。


「花――」


 そこには白い花が一凛咲き誇り、まるで薔薇の呪縛のように茎のような蔦が全身を蝕んでいた。女性は腕をまくり肘のところまで見せ、そこまで浸食されているのだと少女に伝える。

 それは少女の運命を告示しているのと同じこと。

 少女はもう一度自分の胸に視線を下ろし、そこには小さな蕾が白い花弁を垣間見せそれを中心に蔦が五センチほど伸びている。


「それは魔女の茨よ。理から外れてもなお摂理に縛られる異端の証。貴女の命は魔女わたしの葉で作られているわ。言わば貴女は私のかたちで生きているわ」


 魔女は言う。少女は一度死に、そして蘇らせたと。


「貴女の命は一度欠けた。そんな貴女の欠片を私の花弁で補ったの。貴女の願いを代償に」

「わたしの願い……」


 そうよと、魔女は妖美に微笑んだ。


 それは御伽噺で誰もが知る〝魔女〟そのもののように。

 少女は息を呑み身体を抱え腕が胸のそれに突かれる。


「貴女が生きるには二つの条件がある。一つ、私の後継人となること。二つ、貴女の願いを絶対に叶えること」


 そう、魔女は人差し指と親指を立て人差し指で大きく円を描いた。

 瞬間、視界は大空の下、どこまでも遥かに続く広大な森。その森を見渡せる丘に少女たちはいた。

 竜の子供、クマとシカのお友達、トカゲの人間、鳥の馬、一つ目玉に怪物の獣。


「ここは運命から逃れられず世界から居場所を奪われた者たちの住処。魔女の私が統制する世界の裏側」

「世界の裏側……」

「魔女の才能を持つ貴女にこの世界の行く末を任せたい。私の一部を持つ貴女は今日から私の娘。だから、貴女の幸せを私は願い、私の命を貴女に捧げる」

「それがわたしが魔女になることですか?」


 世界はきっと醜く綺麗だ。知らないものと壊れたもので溢れている。

 それでも、この景色を美しいと少女は目を細めた。


 魔女が守るこの世界が――


 魔女は少女を見て、少女は魔女を見つめて。

 ここにできた初めての〝家族〟に魔女は微笑む。


「さぁ、貴女の人生ねがいの始まりよ――」

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