あなたの記憶

青海夜海

これは記憶。誰かの小さな光

アネモネの記憶

 奇跡を知りたかったです。蒼い道に転がっている小さな希望の花を。


 静かな街で君は言いました。


「忘れてしまうんだ」


 何をと聞いた私に君は真実を隠さずに言ってくれました。


「きみとの記憶。僕がきみと歩んできた全部の記憶」


 それはとっとも寂しく怖いことでしょうか。私は堪らなくなり泣きじゃくりました。君との日々が君の中でなかったものになるだなんて、信じられません。

 君は寂しそうに苦しそうに辛そうに、全部の負の感情をごちゃ混ぜにしたような顔で私の肩にそっと手を置きました。


「…………ごめん。僕がきみを、苦しませて」


 私は謝ってほしかったわけではありません。私は嘘だと、それは病気で治るんだといってほしかっただけです。だから、謝られるなんてこれっぽっちも思っていなかったので、思わず涙が引っ込んでしまいました。

 君は言うのです。


「この病気が治るのかわからない。記憶が完全に消える可能性もあるし、脳のどこかで残っているかもしれない」


 後の事実より先の治らない事実に私は再び涙が込み上げてきて、ぐっと鼻を啜ってでもやっぱり泣いてしまいます。


「泣かないで」


 無理です。


「笑って」


 無理です。


「思い出すから」


 ——絶対、ですよ。


「うん。絶対にきみを思い出すよ」


 ……約束ですよ。


「約束。きみを忘れても忘れない」


 …………


「きみを思い出すよ」


 そう、君は最後に私の唇にそっと自分の唇を重ね合わせました。君の熱が伝わって、私の心臓は止まってしまう錯覚に求めてしまいます。

 激しくもいやらしくもない綺麗な啄み。

 熱だけが伝わったキス。

 私と君の瞳は求めているのに、これ以上は私も君も踏み出しませんでした。


「じゃあ、待ってて」


 そう言って、君は記憶を忘れました。

 私とのすべての日々の記憶を——



 どうか神様。もしも、もしも願いが叶うのでしたらお願いです。

 彼を幸せにしてください。私の記憶も私の存在もあなたにあげます。


 だから——どうか——彼を救ってあげてください。


 もう、私じゃどうすることもできません。私が渡せるのは私しかいません。


 だから——どうか——奇跡を。


 彼の命を救ってくれる奇跡をください。

 どうかどうか、この『恋心』に代えて彼を——


 好きでした。恋でした。君のことが好きでした。

 何度でも何度でも言います。君が覚えていなくてもいいます。誰にも届かなくても言います。

 私がもういなくても言います。


 ——君のことが好きでした。


 そんな夢を僕は見た。

 誰ともわからないきみに恋をする夢を。

 僕の記憶にきみはいない。助かった命は奇跡だと言われた。この胸の空白はわからない。


 だけど——僕を好きと言ってくれた思い出せない女の子。


 いつかで逢えるのだろうかと、病室の窓から赤、白、青のアネモネの花々を眺めた。

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