おにぎり権
村野一太
おにぎり権
「スンマセン……、オレ、おにぎり作ったことないっす」
その言葉に、店長の目が丸くなった。近頃の高校生はおにぎりすら作れないのか、店長は高校生バイトを睨みつけた。
「イラッシャイマセ、キツエンセキカキンエンセキ、ドチラニナサイマスカ」
入口からの自動販売機みたいな声が、厨房にまで響いてきた。ピーピーピー、という音とともに新たな注文が厨房に知らされる。ピンポン、と客が呼んでいる。あの自販機は動かんだろう、店長は「ちょっと待ってろ」と高校生バイトに言うと、フロアにすっ飛んでいった。
ピーピーピーという音とともに、注文伝票と店長がほぼ同時に厨房に現れた。冷凍庫からメンチカツとトンカツを何枚か取り出しながら、店長は突っ立っている高校生バイトを背中で睨んだ。
「食べたことはあるのか?」
「え?」
「え?じゃないよ。おにぎりだよ。食べたことはあんのか、って聞いてんの」
店長は、カツ類をフライヤーにぶち込むと、冷蔵庫からセンキャベの入ったタッパーを取り出し、それを皿に盛り始めた。
「あるっす。オレ、食べる専門なんっす」
そんな高校生バイトのボケに店長の青筋が一層きわだってきた。
「三角。手袋しろ。ご飯80グラム。グッグッグッだ。そこまでやったら教えろ」
「……」
高校生バイトは店長を見た。店長は冷凍庫から、サバとハンバーグを取り出していた。それらをオーブンに荒々しく投入すると温度とタイマーをセットし、また冷凍庫に走った。冷凍庫からうどんを3玉取り出しながら、
「できたか?」
と高校生バイトに聞いた。
「あっ、まだっす。あのー……」
「なに?」
「ちょっと、わかんないっす」
店長は大きく深呼吸をした。そして、洗い場でノロノロと皿を洗っているおばあさんの方を向いた。
「下田さん」
「……」
「下田さん。しーもーだーさーん」
下田さんはなお洗い物を続けている。
店長はもう一度深呼吸すると、洗い場に走った。
「下田さんっ!」
下田さんはようやく振り返った。「え、わたし?」と自分の鼻のあたりを泡のついた指で指した。
「下田さん、すぐ返事してもらわないと困るよ」
「あら、呼んでたの?聞こえなかったわ。私、おばあちゃんだから。ゴメンね」
高速道路から一般道に降りたときに感じる、いわゆる時差ボケを店長は感じた。
「アイツにおにぎりの作り方教えてやってくれます」
「でも、洗い物が……」
「それは、中止、んで、おにぎり、以上」
店長は自販機のもとに走った。先ほどから店長を呼んでいたのだ。
「テンチョウ、イチマンエン、ハイリマース」
こいつはオレをおちょくっているのか?店長はもう一度深呼吸すると「サンキュー」といつもの返答を背中越しにして、ビーと騒いでいるフライヤーのもとに走った。
下田さんはゆーくり洗い場用のエプロンを脱ぐと、高校生バイトの方にゆーくりと歩を進めた。
「どうしたの?」
「あっ、オレ、おにぎり作れって言われたんっすけど、何をどうすればいいかわからないんっす」
「作ったことないの?」
「あっ、ハイ」
「じゃあ、わかるわけないわよねぇ」
下田さんは、ご飯を手の上にのせた。
「あの人は『グッグッグッ』って言ってたけど、それじゃダメよ」
「えっ、下田さん聞こえてたんっすか?」
「私、おばあちゃんだけど、耳はいいのよ」
「でも、さっき……」
「あれはね、無視、っていうの。高等技術よ。あなたもあと五十年くらい生きたらできるようになるかしらね」
高校生バイトは、走り回ってる店長がなんだか不思議な生き物のように見えた。
「あの人のはね、『グッグッグッ』と言うよりも『ギューギューギュー』ね、おにぎりも、教育方針も」
下田さんはご飯を手の上で転がしながらそう言った。
「おにぎりをね、たった3回で三角にしようとするからおかしなことになるのよ。強引なのよ。そもそもおにぎりはね、別に三角にならなくてもいいのよ。わかるかしら?」
高校生バイトはわからなかった。しかし、下田さんの話は、ピーピービービーピンポンの世界とは少し違うと感じた。
「こんな感じでね、優しくね、つぶしちゃダメよ、優しく、手の中で転がすの。何度も何度も、手間と暇をかけるの。強制しちゃダメよ」
下田さんの手の中でご飯が軽やかに踊っている。
空間的には制約されているものの、そこには自由があった。
人権、いや、おにぎり権が確かにあった。
下田さんの手の動きはだんだん速くなっていった。
しかし「ギュー」が一度も使われていないのは高校生バイトの目にも明らかであった。
「オニギリ、プリーズ」
催促する自販機に高校生バイトは、出来立てのおにぎりを盛った皿を、カウンター越しに渡した。
「うわー、おいしそう」
自販機がしゃべった。
高校生バイトは驚き、下田さんはにこりと優しくうなずいた。
おにぎり権 村野一太 @muranoichita
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